昔の人の暑気払いを、「氷室開き」で学んできた
日本

金沢の女川と呼ばれる浅野川の上流付近にあるのが、湯涌温泉。こじんまりとした温泉地ですが、昨今ではアニメ「花咲くいろは」の舞台となったことでも有名です。

湯涌温泉の奥にある玉泉湖の湖畔には、氷室(ひむろ)小屋と呼ばれる藁小屋があります。ここには毎年1月の最終日曜日に氷室に雪を仕込み、6月30日に雪氷を取り出します。

これを「氷室開き」と言い、藩政時代は前田家は将軍家にこの氷室の雪氷を献上していました。今では金沢の夏の訪れを知る伝統行事となっています。今回、そんな氷室開きを見学しに行きました。

「金沢の奥座敷」湯涌温泉


湯涌温泉は藩政時代には藩主前田一族が常用したと言われる名湯で、文人墨客も愛した温泉です。金沢駅からバスで55分ほどかかり、「金沢の奥座敷」と言われるのも納得するほどの山奥にあります。

そのさらに奥にある玉泉湖の湖畔に、今回目当ての氷室があります。

氷室開きは金沢の伝統行事

金沢の夏は、6月30日に湯涌温泉の氷室が開かれ、7月1日に「氷室まんじゅう」を食べて1年の無病息災を願うという、全国的に風変りな始まり方をします。

氷室開きは昭和30年代に一度途絶えましたが、昭和61年に復活。復活してから今回で32回目となります。これは石川県金沢市の伝統行事といってもよく、地元メディアがこぞって湯涌温泉の氷室小屋にやってきます。

著者は氷室が開くかなり前から待機していたんですが、気が付けば周りはカメラだらけ。湯涌観光協会のスタッフを囲い込んでインタビューしている新聞社やNHKなど、名だたるメディアがいました。

今回、空模様があまり良くない。というよりはっきり言って悪く、始まるや否や、ポツリポツリと大きな雨粒が降ってきました。

そんな天候の中、氷室小屋の扉の前を動かないでカメラポジションを死守しました。一瞬でも気を抜くと、観光客やメディア関係者に立ち位置を奪われそうな気がしてならなかったのです。

氷室が開く!


まず、副市長や湯涌観光協会からの挨拶がありました。

湯涌温泉は来年開湯1300年を迎えるそうで、アニメ「花咲くいろは」から発生したぼんぼり祭りや、大正時代の画家・竹久夢二が散策した「夢二の道」の舗装などを控えているとのこと。湯涌温泉の注目度が高まっていることを再認識しました。

ついに氷室が開きました。「氷室」という言葉から透明な氷をイメージしていましたが、実際は雪という感じでした。

この日は雨ということもあり湿気が多く、汗がじっとりとにじみ出るほど暑かったので、氷室から出てきた白い雪を見た時は涼やかな気分になりました。

氷室の中です。こじんまりとした藁小屋の外観とは裏腹に、大量の雪を保存できるような作りになっています。雪が解け切らないぐらいの大量の雪氷を保存できるのも納得できます。

切り出された雪氷は薬師寺へ奉納した後に、石川県知事・金沢市長、加賀藩下屋敷があった東京都板橋区、旧前田家本邸があった目黒区に贈呈されます。

氷室開きの歴史


さて史実によると、氷室の雪氷は旧暦の六月朔日(現7月1日)に将軍家に献上されました。120里(約480キロ)の江戸までの道のりを、昼夜4日かけて加賀飛脚が運んだとされています。

将軍は雪氷を食べることで暑気払いをしました。この風習は庶民にも広がりを見せ、5代藩主の前田綱紀の時代になると、金沢市近郊にたくさんの氷室小屋が作られました。

しかし、冷蔵庫なんてない時代。身分の高い人や、限られた人たちしか食べられないものでした。氷を食べられない人々は、代わりに寒ざらしの餅を食べたと言われています。

梅雨の時期は麦が収穫期でもあります。氷代わりに食べていた寒ざらしの餅は麦の饅頭となり、その後は酒饅頭へと変化しました。やがて、7月1日に氷室饅頭を食べて無病息災を祝うようになりました。

饅頭は白、緑、ピンクとあります。湯涌温泉で売られていた氷室饅頭は1つに3色が入っていましたが、これは1つ食べれば3個食べたのと同じ意味があるそうです。

県外から来た人は「氷室」という涼やかな印象の語感から、信玄餅やわらび餅のものを想像する人が多いようで、酒饅頭だと知り驚かれる方も多いようです。

暑気払いの食べ物としては氷室饅頭以外にも、あんずや枇杷、焼きちくわがあります。今回湯涌温泉では梅が練り込まれたおそうめんが売っていました。さっぱりとしておいしかったです。

今回は石川県トラック協会の皆さまが、金沢駅までおよそ4時間かけて氷室を運びました。蒸し暑い雨の中、本当にご苦労様でした!

三四郎池と雪氷の関係


ちなみに藩政時代には、現東京大学本郷キャンパスである、加賀藩主の上屋敷に運ばれていました。

こには三四郎池と呼ばれる、夏目漱石の作品「三四郎」にも出てきた池があります。この池の周りには、将軍家に献上する雪氷を一時保存するための氷室が建築されていたといわれています。

また、赤門前の和菓子屋さんには、氷室にちなんだ夏季限定のお菓子が発売されていました。著者はたまたま今年の5月に本郷キャンパスを訪れていまして、今回このように記事を書いているのがとても不思議に感じます。

氷室小屋
石川県金沢市湯涌町イ―167 玉泉湖畔
見学自由

記者としての独り相撲

今回の取材は、地元メディアがたくさん来ていたのがかなり印象的でした。

かなり早い時間に氷室小屋に行ったので、小屋の正面付近を陣取ることができましたが、気でも抜くと記者や観光客に場所を取られそうで気が気ではありませんでした。腕章やメディアパスを下げた記者たちが右往左往と移動しながら取材したり、カメラマンは撮影に専念できる様子が正直うらやましかったです。

取材者として、大手メディアとの力の差を感じました。

この記事を書いた人

千津

千津ライター

幼いころは何者にでもなれると思っていたのに、成人しても特に何者にもなれず、外に探すようになりました。特に目的もなくふらふらと出かけるのが基本で、旅行も付き合いで行くという主体性のなさ。そんなことを積み重ねて、自分に厚みを出そうと思っています。

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