ものつくり大国と言われる日本。それが始まった時期は、幕末から明治にかけてだとされています。その頃は日本が列強諸国の脅威にさらされ始め、軍事力を強化するため西洋式の近代的な軍事技術や制度を取り入れようとしたわけです。
その一環として西洋砲術を導入し、鉄製大砲を鋳造しようとしました。その際に必要になったのが、反射炉です。工業立国の礎の象徴である韮山反射炉は日本で唯一現存する実用反射炉として、2015年にユネスコ世界遺産に登録されました。
実は今、TOKIOがDASH島で反射炉を建設しているとして話題になっています。彼らも反射炉の作製にあたって、韮山反射炉を訪れています。
今回はDASH島の行く末を見守る人たちに、何気に話題となっている韮山反射炉に行ってきました。
無人島開拓は男のロマンだ! DASH島に反射炉は出来るのか?
「ねえ、りんちゃん(著者のことです)、DASH島って知ってる?」アナーキー生きているように見られている、著者の友人(男)が突然DASH島について聞いてきたことがありました。
なんでも、DASH村からTOKIOの活動が好きだったけれど、無人島開拓になったらもっと興味を持つようになったとのこと。結構、そのような男性は多いそうで、無人島開拓は男のロマンなんだと痛感しました。
DASH島の開拓の道具には鉄が必要。よって、鉄を溶かすために反射炉を作ろうという計画が持ち上がったわけですが、韮山反射炉に訪れて、さらりと壮大なことをしていることに気づかされました。
伊豆長岡駅から徒歩25分で到着します
韮山反射炉の最寄り駅は、伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅。駅に降り立つと、韮山反射炉をPRするために誕生した、「てつざえもん」が前面に出ているポスターが目につきました。
今回は伊豆箱根鉄道に乗って修善寺まで行ったのですが、車窓からこのポスターを見ていると、あら不思議韮山反射炉に行きたくなったではありませんか。そのような効果があるほど、よくこのポスターを見ました。
新しい観光地ができると、新しいゆるキャラが生まれるのが今では当たり前のことらしく、てつざえもんは永遠の16歳と言い続けて約160年という、からくり人形と西洋の機械技術を融合した、ロボット先進国日本らしいゆるキャラにも仕上がっています。
伊豆長岡駅を山に向かって15分ほど歩くと、ビニールハウスが並ぶ、のんびりとした光景が続きます。ビニールハウスには小さな白い花が見え、イチゴを栽培していることがわかりました。
後に調べてみましたが、イチゴ狩りセンターが韮山反射炉の近くにあり、富士山を見ながらイチゴ狩りが楽しめるそうです。
牧歌的でのんびりとした道が、本当に工業立国の象徴である韮山反射炉につづいているのかだんだん不安になってきた頃、えらく舗装され開けた道路に差し掛かりました。
見上げると、「反射炉カノンロード」という看板がありました。イチゴの小さな花が見えた歩道から、えらく物々しい名前の道に出てきてしまい、その先には韮山反射炉らしき建物が。それがあまりにも小さくて、正直期待していたものと違うと思いました。
伊豆長岡駅から韮山反射炉までおよそ25分。知らない道を歩いているので、かなり歩いた感じがしました。
韮山反射炉はなぜ建った?
銅像になる人というのは偉人です。この銅像は江川英龍という、日本で初めてパンを焼いた人物です。本当です。パンを焼いただけで韮山反射炉をバックに銅像が建てられた……わけではなく、江川英龍は韮山反射炉の建造を進言した人物です。
150年以上英国の植民地だった香港。その原因がアヘン戦争です。このアヘン戦争を知った韮山代官江川英龍は、このままでは西洋諸国が日本を植民地化するのも近いと危機感を覚え、国防のために鉄砲や武器を作ろう。そのためには鉄を溶かすための反射炉が必要だと幕府に建議しました。
しかし、幕府はなぜかその意見を実行に移さず、アヘン戦争から10年余り経つと黒船が来航し、開国を迫りました。それが決定打となり、反射炉の築造が決定が決まりました。
着工からわずか3年の1857年に韮山反射炉が完成したのですが、その着工途中に江川英龍が他界。その志は息子の江川英敏が継ぐこととなりました。
韮山反射炉を見たいなら、まずはガイダンスセンターへ
世界遺産に登録されたことによって、韮山反射炉ガイダンスセンターも一新されたそうです。調べてみると以前はもっと素朴でこじんまりとしたものだったそうです。
韮山反射炉をもっと知りたい人や、もっと間近で見たいという人はぜひ入ってみてください。このガイダンスセンターが韮山反射炉の入り口になっています。
目玉は映像ホールです
1500度の高温に耐えるための、耐火煉瓦やその高温を作り出す燃料の木炭や石炭です。鉄を溶かすとなると、100俵単位の木炭などの燃料が必要になり、作る大砲の種類によっても量が前後するそうです。
製鉄の技術の歴史。鉄を溶かす技術を紹介しています。鉄をなんとしても使用したいと、いろんな製鉄技術を生み出してきた人類の執念を感じます。
「もののけ姫」で有名になったたたら製鉄の説明もあり、なかなか読み応えがあります。
韮山反射炉ガイダンスセンターの目玉として、映像ホールがあります。「山」の形をした巨大スクリーンをよく見ると、凹凸があり立体的に映像を楽しむようにできています。
大砲鋳造過程を、約8分間のアニメーションで楽しむことが出来ます。巨大スクリーンで立体的に映像を見ることができるので、ライブ感を感じます。
これで分かったことは、韮山反射炉はそれのみで稼働していたわけではなく、韮山反射炉のそばにある古川という河川も利用した、大砲製造工場の一部だったことです。
大砲製造工場の反射炉の役割
韮山反射炉は大砲製造において、1つの過程でしかないということを説明しました。
まず、反射炉を利用し鉄を溶かし、鋳型に流し入れて大砲の筒部分を作成するのですが、この時点では筒状にはなっていません。砲身を筒状にするためには、中心をくり抜かなければなりません。
くり抜く動力として使っていたのが河川です。韮山反射炉のそばには韮山古川という川が流れていて、その流水を動力源とした水車を設置し、大砲をその水車によって回転させ、錐によって砲身をくり抜いていく。ということをしていたそうです。
反射炉のみが注目されていますが、これは大砲製造工業の一部でしかなく、稼働当時は鍛冶小屋や細工小屋、燃料を準備する場所があったそうです。
見た限りでは近代日本の武器製造工場にしては、えらく狭い印象がありました。もっと広かったのかな?
今更ながら韮山反射炉の詳細な説明
今更ながら反射炉の説明をさせてもらいます。
これはヨーロッパで17世紀から18世紀にかけて発達した、不純物を多く含む砂鉄や鉄鉱石から作った銑鉄(せんてつ)と呼ばれるものを溶かし、良質な鉄を生産するための溶解炉の一種です。
銑鉄を溶かすためには1,300度ほどの高温が必要になります。浅いドーム状になった炉体部の天井に燃料を燃やして発生させた熱を反射させ、熱を一点に集中させることによって高温を実現させています。
これらの構造から「反射炉」と呼ばれています。
韮山反射炉を良く見ると4つ煙突があることがわかります。連双式2基の炉体が4炉あるもので、1炉の鉄の溶解量が1.9t~2.6t。トン越えの鉄を溶解していた韮山反射炉の注目すべきところは、「実用」していた、という点です。
日本初の実用反射炉は佐賀県にありました。
日本初の実用反射炉は佐賀県にありました。佐賀藩もアヘン戦争で列強諸国の脅威を感じ、西洋式軍事力を手に入れようとしました。
その際にやはり製鉄技術が必要になり、築地反射炉を作ったのです。しかし、この築地反射炉は現存していません。復元したものがあります。また、佐賀藩は韮山反射炉を建造を進言した江川英龍に協力を要請していたのです。
山口県にも世界遺産登録された反射炉がありますが、規模からして実験用と思われています。実用していたのは韮山反射炉と言われているのですが、稼働していたのは1857年~1864年。
それ以降は動かしていた記録はなく、実際に反射炉で鉄が溶けている様子を見たことが人はいないと言われています。これはDASH島の反射炉計画の不安要素ですね。
おわりに
砲身をくり抜くためにの水車の動力とした、韮山古川の水流。何というか、せせらぎといった感じがします。そよそよとした水量です。これで本当に鉄の砲身をくり抜けたのか疑問ですが、もしかしたら、160年以上前はもっと荒々しい川だったのかもしれません。
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