金沢の語源となった不思議な泉「金城霊沢」に行ってきた
日本

むかし、むかし。加賀の国の山科というところに、芋掘り藤五郎という男がおり、その名の通り芋を掘って生計を建てていました。

この男は日本昔話に出てくるフォーマットそのもので、面倒くさいので要点だけまとめますと、この男が掘った芋には砂金が付いていて、その砂金を洗った湧泉が、「金洗いの沢」呼ばれるようになり、それが金沢の地名の語源と言われています。

その湧泉が、今回紹介する「金城霊沢(きんじょうれいたく)」です。この芋掘り藤五郎伝説は石川県金沢市出身ならば、幼いうちに教え込まれる金沢市の地名由来伝説です。

金城霊沢は兼六園に隣接しています。しかも、無料です


国の特別名勝、兼六園。石川県金沢市の観光スポットの代名詞です。入口はいくつかあるのですが、21世紀美術館の斜め前、真弓坂入り口の横には急勾配の坂があります。それを登って行くと、県立美術館の前に金沢神社という神社があります。その境内に金城霊沢があります。

金沢神社には菅原道真が祀っています。


金城霊沢のある金沢神社は、受験生がすがる神様、菅原道真を主祭神としています。石川県をはじめ、北陸地方は天神信仰が盛んな土地で、加賀藩の前田家は先祖が菅原家と言われています。前田家の家紋が天神の神文と同じ梅鉢なのもそれが由来と言われています。しかし、これは前田家の自説なので、史実とは言い難いそうです。
 
その他にも、天神信仰が盛んなこの土地を治めるために、菅原道真と同じ梅鉢の家紋にしたという説がありますが、まあいろいろあって、前田家と天神信仰は縁あったようです。

金城霊沢と芋掘り藤五郎伝説


穏やかな水鏡を見ていると、こんこんと清らかな水が湧き出てくる泉とは思えません。穏やかな水面は神聖で見惚れてしまうほど。深くなっているところに吸い込まれてしまいそうです。
 
ここで、芋掘り藤五郎は芋についた砂金を洗ったといわれていますが、山科で芋を掘って、小立野台地に差し掛かった金城霊沢で芋を洗うのは無理がないか? Googleマップで調べていただけたらわかりますが、結構遠いのです。
 
よって、ほかにも金沢市の由来には説があるわけです。金城霊沢のある場所は小立野台に差し掛かった、高台のような場所にあります。調べてみると、室生犀星が愛した犀川の上流に鉱山があり、金が産出したそうです。もちろん、犀川でも砂金が採れたそうで、ここの小立野台地も、砂金層を含んでいたといわれています。
 
マルコ・ポーロが「東方見聞録」で日本のことを「黄金の国ジパング」と紹介したことは有名です。結局、彼は日本は訪れてはいませんが、それには莫大な金を産出する国と記述しています。その証拠に日本には「金」とつく地名が日本各地にあり、金が産出した名残といわれています。
 
つまり、金が出たから「金沢」と呼ばれるようになったというのが、芋を洗ったという伝説より自然です。ちなみに、山科のほうに「芋掘り藤五郎神社」があるので、興味ある方は行ってみては?

不思議な水


手水舎には金城霊沢と同じ地下水源の水が流れています。
 
この水は鉄分とカルシウムを多く含んでいます。明治初期のオランダ人医学校教師ホルトルマン氏(金沢医科大学)の分析によれば良質の甘水。心臓が弱い人や、貧血の方に効果があるそうです。個人的に金欠にも効きそうなので、飲んでみました。鉄分が含まれているといいますが、柔らかな舌触りでおいしかったです。
 
ここで不思議に思うのが、比較的高台にあるにもかかわらず、水質の良い水が湧き出ているということです。高台は一般的に水が不足しがちといわれています。この金城霊沢は、枯れることがなく、どんなすごい雨が降り続いても溢れ出ることがない。不思議な泉と言われているのです。

おわり


ちょっと不思議な泉、金城霊沢を紹介しました。兼六園に訪れた際はぜひ足を延ばしてみてください。
 
金城霊沢のすぐ近くに、鮮やかな色壁で名高い成巽閣(せいそんかく)があり、観光しやすい立地です。

金城霊沢
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1 金城霊沢

この記事を書いた人

千津

千津ライター

幼いころは何者にでもなれると思っていたのに、成人しても特に何者にもなれず、外に探すようになりました。特に目的もなくふらふらと出かけるのが基本で、旅行も付き合いで行くという主体性のなさ。そんなことを積み重ねて、自分に厚みを出そうと思っています。

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