静岡県伊東市富戸。古くからイルカ漁が行われていたその地で「ドルフィン・ホエールウォッチングツアー」が通年開催されているのを知ったのは、つい最近のことでした。
実は、富戸港は私の愛する地元の海であり、子供の頃に良く訪れた場所です。そんな富戸港にイルカ漁を辞めて釣り船とドルフィンウォッチングに転身した現役の一本釣り漁師がいるということで、お話しを伺ってきました。
祖父の代からイルカ漁に携わり、イルカの探索船に乗り先頭を切って漁をしていた彼がイルカ漁を辞めるに至った理由、そしてなぜ180度違う選択をしたのか? 誇り高き漁師の素顔は、こよなくイルカを愛する情熱的な海の漢でした。
富戸港発「ドルフィン・ホエールウォッチングツアー」
船の出航時刻は朝9:30。船長とは船の前で9:00過ぎに待ち合わせをしました。イルカ漁に関心の深い筆者は出航前に船長から貴重なお話しを伺い(インタビュー内容はのちほど)、その後船に乗り込みました。
1975年から乗っている船長自慢の船の名前は「光海丸」。「光海丸」の「光」の文字は、加山雄三さんの「光進丸」からもらったのだとか。
「光海丸」に乗り込むと、幼い頃の記憶が蘇ってきました。伊豆で育った私には、漁師の祖父を持つ友人がいました。そのお陰で漁船に乗せてもらったり、ときには地元の花火大会を漁船の上から見た記憶があります。今思えば随分贅沢な幼少期を過ごしたものでした。
この日は曇ったり晴れたりで安定しない天気でしたが、幸運にも雨には降られませんでした。それにしても海の上というのは、どうしてこんなにも居心地が良いのでしょう? ただ船に乗って無心で果てしなく続く大海原を見ているだけで、心がとても穏やかになります。
波がほとんどなかったので船も全く揺れることはなく、かなり快適でした。
凛々しい表情でイルカを探す船長。果たしてイルカたちは姿を現してくれるのでしょうか? 船長によると、イルカたちはたまに人間の肉眼で見えるほど浅瀬まで近寄ってくることがあるようです。
私はイルカたちの通り道を航海しているだけで大満足してしまいました。この日はなんとなくイルカたちが近くにはいないような気がしていたので、私は途中でイルカたちを探すのを断念。伊豆の美しい海の景色に酔いしれていました。
結局イルカに遭遇することはできなかったけれど、城ケ崎観光名物の灯台や吊り橋などを船から拝むことができ、綺麗な景観に終始癒されっぱなし。かなり充実した船上での時間を過ごすことができました。
ちなみにイルカとの遭遇率の高いシーズンを船長にお伺いしたところ、11月とのこと。1,000頭近いイルカの群れに遭遇できるチャンスも稀にあるようで、筆者にしてみれば宝くじなど当たらなくても良いので、その奇跡のチャンスに一生に一度でいいから遭遇したいと強く願わずにはいられません。
元イルカ漁師に突撃インタビュー
世界中のメディアから一方的な批判を受けることの多いイルカ漁師。外国人活動家などによってイルカ漁の現場を隠し撮りされ残酷だとののしられたり、生活を脅かされている彼らの苦悩の日々は恐らく私たちの想像を絶するものでしょう。
そんな漁師たちが自身のイルカ漁師としての半生を語るのは、ものすごくリスキーなことです。そもそもメディアに露出するのはNGだという方が大半だと思います。
そんな中、今もなお日本ではイルカ漁が行われている現実から目を背けないでほしいとの思いで立ち上がった1人の海の漢、それが今回の船長である石井泉さん。
祖父の代からイルカ漁を受け継いできた彼が語る、イルカ漁の壮絶な現場とは? 元イルカ漁師としての半生を赤裸々に語っていただきました。
元イルカ漁師が語る、伊豆のイルカ漁の現状
―富戸港ではいつからイルカを捕獲するのを辞めたんですか?―
2004年からかな? それ以降も捕ろうとしているんだけども捕れなかっただけの話で、厳密にははっきり辞めたという宣言はしてないんです。
-イルカの数が減少しているからですか?-
というよりも、昔はイルカを探索する専用の船があって、それに乗ってイルカを探索しに行ってたんだけども、老朽化でなくなっちゃったんですよ。それで、いとう漁協に所属する通りかかった船に発見してもらって連絡を待つというシステムに切り替えたんです。
-それによって圧倒的にイルカの捕れる数が減ってしまったんですか?-
うん。だってたまたま見つけたイルカだからね。それまでは見つけに行ってたから。それと同時に、ドルフィンウォッチングに来てくれてるお客さんも減っちゃった。「イルカを殺してるの?」って言いながらもウォッチングに来てくれてるお客さんが過去には多かったんだよね。一番多い時には年間2,000人ぐらい来たんですよ。
ただ、まだ捕獲するって宣言しているし、年1回の総会でも「今年のイルカの水揚げ金額は400万ですよ」ってちゃんと予算案も組み入れられて承認されてる。だから捕らないわけじゃない。
-毎年予算が出てるんですね-
予算を付けてるんです。今年はこのぐらい捕ろうっていう目標額を。
-でもその目標額分は捕れてない状態なんですよね?-
だから0なの。その理由としてはイルカを探す船がなくなってしまったこと。それと、私が世界的にイルカの捕獲は反対だって宣言しているということもあって捕りにくくなったみたい。それは事実ですよ。
イルカ漁を巡る壮絶な戦い
―イルカ漁を辞めたもう少し具体的な理由についてお伺いしたいんですが。―
私が「もうイルカの捕獲はやらない」って言ったのは、1996年。そのときに俺は最前線で殺してたんだけど、捕ってはいけないクジラと、捕りすぎてはいけないイルカを捕っちゃったの。
実はそのときに捕獲枠っていうのがあったんだけど俺達には知らされてなかったんだよね。来たものはどんどん捕れよってスタンスだったから、それが当然だと思って捕ってたの。そしたらマスコミと保護団体の人たちが「違反じゃないか」って騒いだの。
で、俺はTBSのインタビューで「漁師たちはイルカは魚だと思ってるよ。学者だけが哺乳類だって言ってんだ! 俺たちにとっては魚なんだよ。魚を捕って何が悪いんだ!」ってテレビの画面で吠えたんですよ。そしたら日本全国のあちこちの漁師さんから「良く言った! 確かにその通りだ」って言われて僕はいい気になってたの。クローズアップされたしね。
-捕獲枠のことはしばらくしてからわかったんですね?-
そう。半年ぐらい経ってから、実は捕獲枠ってのがあったこと、それに違反してたってことがわかったの。だから、やっちゃったことは仕方ないけど、謝ろうと思って。
大勢の組合員に事情を説明して「俺は謝ろうとしてる。皆はそれについてどう思う?」って言ったら「それは正しい」って賛同してくれる組合員さんもいたんですよ。でもそれは、現役の漁師さんじゃなくて昔漁師さんだった人たち。
現役の漁師さんたちは皆私を邪魔者扱いしたんですよ。その時に漁協で正組合員が全員集まって、会合で私をバッシングしようとしてね。この港から追い出せとかこの富戸という地域から追い出せとか、組合員を剥奪しろとかね、それはそれは酷いもんだったよ。
で、俺はもうその時にイルカ捕獲の作業からは撤退すると決めたの。それで4、5年してからドルフィンウォッチングをやることにしたの。その大義名分っていうのは、これからは”イルカを捕獲する漁業からイルカを見る漁業”に転換しようって思って。
つまり1回捕っちゃうと殺しちゃうから資源が減るけれども、見る漁業だったらまた来年回遊してくる可能性もあるじゃない? それをやろうよって言ったんだけども誰も聞く耳持たなかった。
イルカ漁は存続されるのか?
―現状、伊豆にはイルカ漁師っているんですか?―
その事件があってからも組合がイルカを捕ろうとしてるんだけど、もう12年間のブランクがあるじゃない? その間にイルカ漁に長けた先輩の漁師なんかほとんどいなくなっちゃった。歳で引退して死んじゃったりして。
-技術が後世に受け継がれていないってことですか?-
まぁ口では伝わってるんだけど、トレーニングもしないし実際にやってないからね。だから組合ではもうイルカ漁はダメだろうってことになってるんだけど、捕獲枠は確保しておきたいし、もし捕ったら水族館へ売りたいってことになってる。
俺らはイルカを殺さないってことは非公式に言ってくれてるの。何代か前の先代、先先代ぐらいの組合長に一対一のときに「光海丸ドルフィンウォッチング頑張れよ。俺たちも陰ながら応援してるから、他の漁師のためにもお前頑張れよ。ドルフィンウォッチングが定着するまでには20年かかるぞ」って言われたの。
で、それを言われてから今年で15年経つかな。あと5年。その間に漁師も少なくなるでしょう。少なくなるからこそイルカ捕獲が不可能になるよね、練習もしてないしね。
俺はもちろん捕って欲しくないけど、本当に捕るとするならば練習しろよって思うよ。だから俺はFacebookで「これは俺の見解で漁協は認めていないけど、イルカを捕獲する可能性は100%に限りなく近いほど不可能」っていつも言ってるの。
イルカ漁を反対するならばそれなりの覚悟が必要
―イルカ漁などの問題に関しては、かなり過激な活動家が海外にいますよね。それについてどう思いますか?―
中には反対することによる寄付金で生計を立ててる個人的な組織でデカい大物がいるよね。誰とはいわないけども、呆れちゃうよね。それよりも俺が今気になるのは、アメリカ軍がイルカを使って軍用活動をしているじゃない?
それをなんでアメリカ人が反対しないのかって俺はFacebookに書いたの。俺はそれが本当かどうか知らないけど信じたくないって書いたらみんなから「石井、それは残念ながら本当のことだ」って返事が来たの。昨日の午後からそれをアップして今コメントが130件ぐらいあるかな。
-ほとんど外国人の方ですか?-
うん。外人ばっかり。中には「イルカを軍用に利用するのは太地町のイルカよりももっと可哀想だ」って書いてあった。
-私もそれは同感です。-
俺は前からイルカ漁に反対してる外人に対して「太地町へ行っても、日本で日本の水産庁が許可を出してるんだからそれは合法的なことだよ? 俺が問題定義した富戸みたいに違反してるわけじゃないから君らには止められないよ? 何しに太地に行くの? 無意味だよ」って言うんだ。合法的に反対することも法律違反でなければいいって、それも主張したいの。
あと、(外人に対して)君らは反対するならば、それに代わるアイディアがあるのか?と問いたい。「反対して辞めさせたとするならば、彼らの生計を保障する代替案はあるのか?」って聞いたら皆黙っちゃったの。それはできないから。じゃあ反対なんかするなよって思うね。
本当に反対したいのならば水産庁へ反対しますって手紙をいっぱい書くべきなんですよ。世界各国から水産庁へ抗議の手紙がいっぱい来てそれが何年も続けば、少しづつ太地町の捕獲枠なんかを減らそうという動きがあるかもしれないじゃないですか。政府が捕獲枠を減らした分だけ保障すればいいでしょ。
だから一番いいのは騒ぐことなくただ単に手紙を書くことなんです。ただしネットのメールじゃダメで、努力が必要だよってことを皆に伝えて。俺はそれが纏まった状態で報道陣を連れて水産庁へ行く、と。そうすれば無視できないでしょ。そもそもイルカを殺していた漁師がイルカ捕獲反対っていうのは世界的に珍しいらしいんですよ。だからこそ俺のところへ持ってこいよって言って。
それを第1回目やったときには1,000通越しましたよ。その一部をケネディアメリカ大使に持ってったの。リック・オバリーと2人で行ってきたの。で、第2弾としてそういうことをやるんだから太地町行って騒ぐなよって訴えて。
でも残念ながらもう1カ月経つけど今回は4通しか来ない。そのことを書いてみんなコメントは残すんだけど手紙はよこさない。そもそもアメリカは日本のイルカ捕獲を反対する前に自分の国でやれよって思いますよ。ましてやイルカを軍隊に使うんだから……。
実は捕獲できない種類のイルカがいた?!
―伊豆の海ではどんな種類のイルカが多く見れるんでしょうか―
今一番多いのはカマイルカってやつね。でもあれは、捕獲しようとしてもなかなか捕獲できない。
―スピードが速いからですか?―
いや、スピードは船のほうが早いんだけどね。普通、イルカを追い込もうとして音を立てると一斉に集団で逃げるのよ。英語のUの字みたいに囲んだり、船の蹄鉄みたいに輪になって半円状態でどんどん後ろから音出して脅かせば1つの方向に追い込めるの。要するに脅かして方向を変えるイルカっていうのは捕ることができるんですよ。
ところがカマイルカは見つけてまず脅かすじゃない? するとね、四方八方に逃げるのよ。そうすると収集がつかなくなっちゃうの。だから太地町でも去年かおととし、300頭ぐらいのカマイルカの群れを追い込んだけど結果的には2,3頭しか捕れなかったっていう記録があるらしい。
―それは面白いですね。種類でもまた違うんですね。―
うん。追い込み可能な種類と不可能な種類があるの。でもカマイルカが一番船には懐いてくる。船がゆっくり走ってると後ろから追いかけてきてさ、それで追い越して船の先の下を行ったり来たりしてね。カマイルカが一番人懐っこいですね。
ありがとうございました。
みなさんはイルカ漁に賛成ですか?反対ですか?
筆者はこの問題に小学生の頃からずっと向き合ってきました。そして辿り着いた答えは、どっちでもないです。
海洋哺乳類が大好きな筆者にとってイルカは特別な存在です。バンクーバーアクアリウムにはイルカの友達もいます。個人的には食べるなんて考えられません。例え隠し撮りされた映像だとしても、イルカ漁の映像を始めて見たときは身の毛がよだちました。
ただイルカを食べるのが文化なのだとしたらどうでしょう? 殺されたイルカたちの命が一切無駄になっていないとしたら、それでもイルカ漁師やイルカを食べる地域の人々を軽蔑し、責め立てますか? 他の哺乳類動物は食べていいのにイルカがダメなのは、イルカがまるでペットみたいに、人間と心を通わせることができる特別な動物だからですか?
食物連鎖の頂点に立つ私たち人間は、沢山の命を食べて生きています。同じ日本でも食文化は地域によって全く異なります。私たち日本人にとってはイルカがイヌイットのように必要不可欠な食料として存在しているわけではありません。それでも例えば先祖とあなたを繋ぐツールとしてイルカ肉が存在していたら?
私は小学生の頃にイルカを食べる同級生になんでイルカを食べるのか聞いてみたことがあります。彼女はこう答えました。「イルカを食べるのが伊豆の人たちの文化だってお父さんやおじいちゃんに教えられたから。イルカ鍋を家族で囲むのは楽しいしごく自然なことなんだよね」
私はまだ幼い友人の口から”文化”という言葉が出てきたことに驚きを隠せませんでした。そして自然と継承されている食文化がある伊豆って素敵だなと、素直に思いました(私は産まれが伊豆ではないので、地元の友人とは多少感覚が異なりました)。
私はイルカ漁に賛成でも反対でもありません。でももしもイルカ漁師をまるで人殺しのような目で見ている人がいたとしたら、それは間違いです。イルカ漁の背景を何も知らないのにイルカ漁の悲惨さばかりを訴えるのは筋違いです。
イルカ鍋を囲む家族の楽しそうな食卓を想像してみてください。それでもあなたは根拠を持ってイルカ漁反対と言い切ることができますか?
また必ず航海に参加したい
約1時間の航海を終え下船すると、富戸港には楽しそうに泳ぐ地元の子供たちがいました。彼らと自分の姿を重ねながら、地元の海で野生のイルカと出会うことを夢見ていたあの頃に想いを馳せました。
そして大人になった今でも同じ夢を見続けている自分が少し誇らしく思えました。まるで導かれるように戻ってきたこの場所、船長との出会いは運命なのだと思います。
「また必ず航海に参加します」私がそう伝えると満面の笑みで「いつでも待っていますよ」と答えてくれた船長はとても嬉しそうでした。
例えイルカの姿を拝むことができなくても、船長と接することで、イルカ漁が行われている海域に実際に足を踏み入れてみることで、イルカを食べる文化を持つ人々とイルカとの関係性を再考するいい機会になると私は信じています。
他の「ドルフィン・ホエールウォッチングツアー」とは一線を画するこのメッセージ性の高い「光海丸」のツアーは通年行われています。子供にとっても大人にとっても良い学びの場になることは間違いないでしょう。
皆さんには是非自分の目で見て、感じて、世界中から批判されている日本のイルカ漁の問題について今一度じっくりと考えてみて欲しいのです。
静岡県伊東市富戸1301-60