尋常じゃない数の穴があいている、埼玉の謎「吉見百穴」を探検してきた
日本

珍スポット大好きな、都市伝説マニアの筆者! 今回、埼玉県吉見町にある国指定史跡「吉見百穴(よしみひゃくあな)」の謎に迫ります。「よしみひゃっけつ」って読むのかな?と思って調べたことが興味を持つキッカケでした。

穴ボコだらけ! トルコのカッパドキアのような風景に圧倒される


標高46mの小高い山の斜面にある、尋常じゃない数の穴。その異様な風景は圧倒の一言。とても人間業とは思えません。その昔には「天狗や風神雷神の棲みか」などとしてウワサされていたようです。

▲発見された穴の配置を示す模型

吉見町によれば、江戸時代に住民の間で「不思議な穴がある」とウワサが広まり、風雨によって土が削られ山肌が露出したそうです。

▲発掘当時の写真

正式に発掘調査されたのは1887(明治20)年で、帝国大学大学院生だった坪井正五郎氏が卒業論文の一環として調査したことが始まりでした。

古墳時代の横穴墓跡という説


調査が進むにつれて、人骨や勾玉(まがたま)、金箔の耳飾りが次々と出土されました。大正時代になると古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓との結論に至りました。

大規模で珍しい遺跡として、1923(大正12年に国指定史跡となりました。「百穴」と言っても実数はもっと多く、現在まで219の穴が確認されています。

横穴は奥から外に向かって下り傾斜になっていて、雨水が入り込まないようになっています。更に、鴨居のようにドア止めの工夫が施されていて、石板でフタがされていたようです。立派な石板は周囲の住民が敷石にするために持っていってしまい、残されていません。

坪井正五郎氏は、現在の自然人類学、文化人類学(民族学)、民俗学、考古学までをカバーする幅広い研究を行っていた人物ですが、吉見百穴の発掘調査では穴を見つけることを優先した発掘方法がアダとなり、出土品の多くを散逸してしまいました。

発掘した穴の順番や大きさなど、詳細な記録もされませんでした。今となっては、貴重な遺跡の解明に繋がらず、坪井正五郎氏の持論を自ら台無しにしてしまった残念な発掘調査だったとも言えます。

地下軍事工場跡


太平洋戦争後期の1944~1945(昭和19~20)年には、吉見百穴周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られました。碁盤の目のように掘られた、直径約3メートルの開口部を持つ洞窟には、今でも立ち入ることができます。現状では、遺跡の保存に重点を置き、更なる遺跡調査は行われていません。

地下軍事工場跡に入ってみるとひんやりしていて、天然クーラーのなかにいるようです。山の斜面にあった草や木を切って、地肌が露出するまで表面を削った発掘方法の影響なのでしょうか? 凝灰質砂岩と呼ばれる掘削に適した岩盤の影響なのでしょうか?

崩れている場所も多く、洞内の一部エリアしか公開されていません。

ロケ地として


ここは「戦隊モノ」や「トリック」などのロケ地として使われています。事実、想像力を掻き立てる風景は「悪の組織が潜むアジト」のようなイメージにピッタリで、特撮ファンにとって「聖地」でもあります。

また、以前スピッツが撮影にも使われた場所としても知られています。色彩豊かとは言えませんが、「珍しい」「面白い」スポットとして幅広く注目されています。

コロボックル(妖精)の住居説


坪井正五郎氏はここについて、横穴墓跡とは違う説を唱えていました。北海道アイヌ民族の伝承に登場する、不思議なチカラを持つ小人コロポックルが使った住居ではないかと考えたのです。

亡くなった人を埋葬するための墓だとすると、高低差のある墓は現実的ではありません。山の斜面に開いた横穴に、亡くなった人を入れるのも大変です。

そのうえ、横穴には石板でフタをしていたわけですが、わざわざ重い石板を使う必要があったのでしょうか? 山の上からロープでぶら下げたのでしょうか?

大人1人が入るのもやっとの大きさです。

コロポックルがアパートやマンションのように暮らしていたとすれば、この立地も納得できると言えるでしょう。それに、横穴墓と言われるよりもコロポックルの住居と言われるほうが、ロマンがあっていいじゃないですか。

しかし、妖精と言われるコロポックルが、アパート暮らしというのも変ですね。「ロード・オブ・ザ・リング」に登場するホビット族の住居だったら、しっくりくるかもしれません。

ヒカリゴケの自生が謎を深める


百穴のなかには、なんと国指定天然記念物のヒカリゴケが自生している場所があります。ヒカリゴケは一般的に、北海道と本州中部以北の山地に見られるものです。

近年は温暖化の影響で縮小化傾向にあり肉眼で確認するのは難しいようですが、関東平野に生育しているのは極めて貴重です。少し深読みしてみると、先ほどのコロポックルが伝承されている、日本の北方先住民族アイヌ族の地、「北海道」との関係に注目すべきなのかもしれません。

「雄大な自然」「自然のなかに潜む妖精」というキーワードはまるでジブリのようで、ジブリマニアとしては止まらなくなるので、別の機会にお話ししましょう。

吉見百穴で見逃せない「発掘の家」


国指定史跡になっている吉見百穴ですが、実はその土地は個人所有のものです。ここは、土地を所有する大澤家が営む売店「発掘の家」です。

発見された出土品の多くは発掘作業した帝国大学に持ち出され、ごく一部だけ大澤家に残されました。その後、帝国大学で保管されていた出土品は他の出土品と混じって判別がつかなくなってしまったそうです。

なので、吉見百穴の確かな出土品として見られるのは、「発掘の家」の展示品ということになります。先ほどご紹介した石板も展示されているので、一見の価値があります。

※残念ながら、展示品は撮影禁止です。

店主の大澤氏は気さくなお人柄なので、吉見百穴周辺の情報など気軽の聞いてみてはいかがでしょう。吉見百穴の周辺には、紹介しきれないパワースポットや珍スポットがありますが、別の機会にご紹介します。

謎多き吉見百穴


古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓と判断されたのが大正時代のことですが、それ以来、様々な技術革新があったにもかかわらず調査はされていません。

単純に、吉見百穴からは古墳時代に使われていた遺物が発見されたというだけですから、古墳時代に造られていない可能性もあります。

それより以前に造られて、長いこと使われてきたのかもしれません。謎めいたパーツだけが散りばめられている状態です。

日本に限らず、世界中には多くの謎が残された遺跡や遺物が点在しています。吉見百穴もその1つと言えるでしょう。興味をかきたてられます。

自分勝手に想像できるスポットがパワースポットになる


吉見百穴の穴は、一見すると不規則に並んでいるように思えますが、見る角度によっては整然と並んでいることがわかります。視点を変えてみれば、別のモノが見えてくることは良くあることです。吉見百穴も地上にいる人間にとっては無用なモノですが、空中から見下ろすモノにとっては重要なものだとしたら……?

仮に、吉見百穴は宇宙人が人間を飼育していた施設だとしても誰も否定はできません。考えるだけで恐ろしい話ですが、このように想像力を掻き立てるスポットがある限り、パワースポット巡りはやめられませんね。

吉見百穴のお土産に


「発掘の家」で、体力を回復するための買った「紅葉屋本店の五家宝(ごかぼう)370円」。もらうと嬉しいと評判なので、お土産にも買いました。

もうひとつ、一里(約4km)を歩いている間も溶け切らずに味わえる「一里飴260円」を買いました。舐めながら吉見百穴周辺の散策を続けます。

国指定史跡 吉見百穴
埼玉県比企郡吉見町北吉見327

この記事を書いた人

MAKIJI

MAKIJI

秋田生まれ東京育ち。中年デビューのスピリチュアル系フリーライターとして、都市伝説でウワサされる神秘的なエリアをotaku感覚で追いかけます。日本人が忘れかけている魅力的なスポットの隠された謎を一緒に紐解きしませんか?五感をフル活用した情報であなたの背中をそっと後押したいと思います。

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