タイ王国の特集

恋愛の御利益も!?愛され女子珠姫の菩提寺・天徳院に行ってきました。
日本

石川県金沢市で縁起の良いことがあった際に、五色生菓子というお菓子を振る舞う習慣があります。明治ごろになると婚礼の際にも振舞われるようにもなりました。この五色生菓子は加賀藩の前田利常に珠姫が輿入れした際に、作られたと言われています。

市井の人々の習慣にも影響を与えた珠姫は、それはそれは愛されたと言われている方で、今回はその珠姫の菩提寺に行ってきました。

お断りとご理解

今回、珠姫の菩提寺である天徳院を訪れたのですが、本堂が撮影禁止でした。よって、本堂内の写真はありません。文章に偏った記事になります。ご存知の通り、著者の力量はたかが知れていますので、面白くなかったらごめんなさい。

珠姫って誰?


日本史に興味がない方にとっては、珠姫って誰?だと思いますので、簡単に説明します。

江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の次女として生まれた珠姫は、加賀藩前田利常の正室として3歳の時に輿入れしました。生母は崇源院。この方は「お江」といったほうが馴染み深いと思います。浅井長政の三姉妹の三女です。よって、お江の生母は織田信長の妹のお市の方です。

日本史が不得意な方でも織田信長と、徳川家康がどんな人かはご存知だと思います。要するに珠姫は両方の血筋を引いたお方なのです。

加賀百万石に政略結婚

珠姫が生まれた戦国乱世。有力者の娘は、生まれれば政略結婚されます。政の道具となるの当然という考えの時代。珠姫の生母もその母も政略結婚でした。

政略結婚というと、不仲という印象があるかもしれません。しかし、珠姫の祖母に当たるお市の方から夫婦仲はとても良いのです。お市の方と浅井長政の仲の良さは有名ですし、生母のお江はいろいろあって気が強い方。

徳川秀忠はお江に頭が上がらなかったといわれていますが、妻が夫を尻に引く家庭は、たいていいい家庭です。政略結婚だからと言って、不仲とはいえず、珠姫は特に前田利常に愛されたといわれています。

石川県金沢市の観光パンフレットには「加賀百万石」という伝家の宝刀というべき、キャッチフレーズがありますが、この石という単位は米の生産量のことで、一石というのは、成人の1人あたりの消費量。ということで、大名の財力を表すようになりました。

つまり、加賀藩はものすごい財力があるわけで、今も昔も金を持っているやつは強い。それが原因なのかは不確かですが、前田家と徳川家に確執がおきました。加賀藩第2代藩主利長が継いだ際、加賀藩が謀反を起こすのではないかと徳川家は疑いました。

その際、利家の正室・まつを人質として、徳川家康の孫娘・珠姫を輿入れすることで決着し、こうして珠姫は加賀藩に嫁いできました。

天徳院は広いぞ


資産のある加賀藩に嫁いだ珠姫は、前田利常にたいそう愛されたといわれ、その証拠が菩提寺の天徳院にも見られます。

菩提寺・天徳院は高野山と金沢市の二つあり、両方とも前田利常が建てたといわれ、ここ金沢市の天徳院は小立野台地に四万坪敷地を定め創建されました。広大な菩提寺を創建するところをみると、前田利常の珠姫への愛情の深さを感じます。

ちなみに、東大のシンボルの東大赤門は、もともと加賀前田家の上屋敷の正門で、東大本郷キャンパスは上屋敷跡に作られました。広さは10万4千坪あります。上があるなら、下もあり板橋区にある加賀公園が下屋敷跡です。広さは22万坪。金持ちすげえ。

天徳院の貴重なもの


天徳院に入るときにくぐる、重厚な山門。元禄7年(1694年) (元禄6年とも)に天徳院の伽藍が整いましたが、昭和5年に焼失。その際残ったのが、この山門です。これは三間一戸の二階二重門で、瓦はもともと鉛でしたが、今では普通の瓦を葺いています。

天徳院には見返阿弥陀立像と羅怙羅尊者が祀ってあります。見返阿弥陀立像は首を後ろに回しているお姿で、羅怙羅尊者は腹を自ら割き、仏性を見せるようなお姿をしています。本堂には珠姫座像をはじめたくさんの仏像があり、著者は見落としました。

この霊鐘、回廊の上に注視してないと見落とします。この梵鐘、天徳院に行きたいと加賀藩第12代藩主前田斉広公の枕元に立った霊鐘です。この梵鐘は前田斉広公の隠居所・竹沢御殿に造られたもので、竹沢御殿は兼六園にありました。

前田斉広公は心の広い人らしく、霊障にしか見えない霊鐘のお願い事を、この梵鐘を聞くものは苦悩を免れるというし、冥福荘厳の天徳院に行きたいのは理解できる。と解釈し、天徳院に移されたそうです。

天徳院の本堂

本堂は撮影禁止なので写真はありませんが、入館料を支払うと、お寺側から丁寧な説明があります。

明けの明星の化身である虚空蔵菩薩が祀ってあり、天徳院では5つの菩薩様の像がある仏像で、五大虚空蔵菩薩と呼ばれるものです。これは5つの知恵を5つの菩薩像で表したといわれています。像というより彫刻のような印象があり、珠姫はこの菩薩様を信仰していました。

その五大虚空蔵菩薩の手前に縄が垂れ下がっていて、それに人形が登ろうとしています。そうです、蜘蛛の糸です。貴重な展示物なためか薄暗く、そのせいか幼いころ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」読んでもらったことを思い出しました。

読み終わった後、母が「カンダタがなぜ地獄に落ちたと思う?」と問われ、返答ができませんでした。今では利己的な行いによって、蜘蛛の糸が切れたんだと答えることができます。

手前には賽銭箱があり、そこには前田家の家紋である梅の形をした彫刻が2つあります。左右によって、男女お賽銭を入れる場所が異なり、お賽銭を入れると、ちりんとおりんが鳴ります。著者の隣のご婦人が「おかまさんはどっちにいれるのかしら?」と、おっしゃっていました。さぁ、どっちなんでしょうね。

その他にも、珠姫の愛用品や珠姫が作った紙人形のお雛様がありました。金色の紙で丁寧に作られており、いじらしさが滲んでいました。余談ですが金沢のひな祭りは4月3日に祝います。また、からくり人形の上演も行っています。

十三詣りってなんだ


七五三は有名ですが、十三詣りは知らないなという方多いと思います。数え13歳の時に開運や福を願う行事です。13歳は元服に差し掛かるとしでもあり、京都嵯峨の法輪寺の十三詣りは有名です。

この法輪寺は虚空蔵法輪寺と呼ばれ、本尊は珠姫が信仰していた、虚空蔵菩薩。この菩薩さまは知恵の菩薩と言われ、十三詣りは知恵授かりとか知恵詣りとか言います。天徳院では三月の最後の日曜日に行っています。

天徳院と御朱印とご利益

Google検索をすると、「天徳院 御朱印」と出てきます。御朱印とはご本尊や神様の分身とされる尊いもので、訪れた日も若い女性が御朱印をもらっていました。

珠姫は14歳で初めてのお産を経験すると、24歳の亡くなるまで合計8人産みました。野球チームが作れるぐらい子供を産ませるほど前田利常と仲が良く、参勤交代でも父親である将軍徳川秀忠に、さみしいから夫を早く返してという手紙を出し、その手紙は現存しており、前田利常は2、3か月で国に戻ったという、将軍の娘という縁故を活用したエピソードが残っています。

前田利常は珠姫が亡くなった後に、側室を持ったといわれています。愛された珠姫の生き様からか、天徳院に参拝すると家内安全、子授かりのご利益はもちろん、恋愛にも効果あると言われているそうです。珠姫は伯母の淀君と真逆の人生を生きたわけです。

天徳院
〒920-0942 石川県金沢市小立野4-4-4
3月~11月 午前9時~午後4時30分
12月~2月 午前9時~午後4時
※お寺からの説明や、からくり人形の上演がありますので、1時間ほど余裕をもってお越しください
公式HPはこちら

珠姫と伯母と姉妹たち

世界史を選択した著者は、日本史の知識が年代によって、白紙状態です。

今回、天徳院の記事を書くにあたって、いろいろ調べていたら珠姫は、淀君の姪にあたるということに気が付きました。淀君のイメージといったら、淀君=悪女という図式が成り立つほどです。著者も意図して「淀君」としていますが、彼女の波乱に満ちた人生というか、不幸に満ちた人生は凄まじさを感じます。その他にも、姉妹たちも不幸に満ち溢れた人生を歩んでいるのです。

夫に先立たれたり、夫に殺されそうになったり、臨終の際に相撲見物に行くような夫だったり。と姉も、妹もすさまじい人生を歩んでいます。子供たちがこんな境遇にあうとは、お江が不憫でなりません。

この記事を書いた人

千津

千津ライター

幼いころは何者にでもなれると思っていたのに、成人しても特に何者にもなれず、外に探すようになりました。特に目的もなくふらふらと出かけるのが基本で、旅行も付き合いで行くという主体性のなさ。そんなことを積み重ねて、自分に厚みを出そうと思っています。

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