壮観。男性のシンボルを奉る「田縣神社」に行ってきた。
日本

大人のたしなみ「下ネタ」。これを上手にやり取りできたり、かわすことができる大人は素敵な人間です。男女問わず下ネタが苦手という人がいますが、もしかしたら、神聖なものを貶している行為に感じるから苦手なのかもしれません。
 
下ネタにしばしば登場する男性のシンボル、陰茎。それを奉る神社として有名な田縣(たがた)神社に行ってきました。この神社は愛知県だけではなく全国的にも有名らしく、年に一度の「豊年祭」には外国人も訪れる愛知県小牧市の「珍」スポットです。

鳥居が大きいです。


鳥居に近づくと、かなりの大きさに驚愕しました。後ろの建物と変わらないほどの高さがあるような気がします。鳥居を見上げていると、初めて名鉄百貨店のナナちゃん人形を股越しから見上げたことを思い出しました。なぜでしょうか?
 
その大きな鳥居の間から、破魔矢を持って仲良く参拝を終えて帰る家族連れを見ました。男性のシンボルを奉納されていることもあって、お子さんを連れてくるのを戸惑うものかなと思っていましたが、周りを見てみると、お宮参りに来ているような小さな赤ちゃんを連れたご両親と、そのおじいさんとおばあさんがいたりしました。
 
陰茎は卑猥なもの、淫靡なものと認識されがちですが、田縣神社は創建がかなり古く由緒があり、そして様々なお願い事を叶えてくれるオールマイティーな神社なのです。

ご祭神は御年神様で創建は稲作が始まった弥生時代


もう正月気分は抜けきったと思いますが、お正月とは神様を迎え入れ、お祝いする儀式です。その時に来てくれる神様が御年神様です。
 
御年神様とは古事記に出てくる神様である素戔嗚尊(スサノオノミコト)の孫にあたり、その子供のひとりが大年神です。大年神の子供が田縣神社に奉られている御年神です。「トシ」という言葉は稲のみのりを表す古語と言われ、この神様は五穀豊穣の神様として名高いのです。
 
創建されたのはなんと、日本に稲作が定着した弥生時代なのです。田縣神社の由来書は下記の通り。

「母なる大地は、父なる天の恵みにより受胎する」と古代人の民俗思想により始まり、五穀の豊穣・国土の発展を神に祈ったと伝えられております。
 
古来より当社には、男茎形をお供えする風習があり、「産むは生む」に通じて、子宝・安産の子孫繁栄、企業・商売の繁昌、さらには恋愛成就・縁結び・夫婦円満・厄除開運・交通安全・諸病の平癒等の守護神として全国の崇敬者に格別の尊崇を受けております。
由来書より引用

このことから、古い土着信仰に基づいた神社であることが伺えます。史料などによると、合祀されている玉姫命は尾張開拓の祖神の王女で、結婚し子宝にも恵まれ幸せに暮らしていましたが、夫の建稲種命が日本武尊のお供として出征し、運悪く戦死します。残った玉姫命は故郷に戻って子供を立派に育てあげ、働き、地元の開拓に努めました。その功績がたたえられ、田縣神社に祀られたそう。五穀豊穣と子孫繁栄に結びついたのも納得です。

なんで、男性のシンボル?

奥宮 案内
田縣神社の奥宮に行くと、参道の周り至る所に、男性のシンボルが奉納されています。その他にも対となる女性器に見立てた石と共に奉納されたりしています。

そして、奥宮には立派な男性のシンボルがご神体として鎮座し、その周りにはたくさんの男性のシンボルが奉納されていました。参道の周りから、神聖な奥宮に至るまで、陰茎が奉納されています。壮観です。
 
顔を赤らめるというふりぐらいはできますが、純情を遠い昔のどこかに置いてきてしまった著者にとって、デートで訪れたであろう若いカップルが気恥ずかしそうに参拝している姿が、撮影の邪魔で仕方がなかったです。

男性のシンボルを奉納する理由としては、看板に「逸物を供える習慣あり」と書いてあります。これはどういうことでしょうか? ちょっと調べてみると、平安時代に編纂された神道の資料「古語拾遺」に以下のような話があります。
 
神代の昔、大地主神が田んぼを作ろうとしました。百姓に牛肉を食べさせたところ、御年神がそれを知って大変怒ってしまい、田んぼにイナゴを放ったので苗は枯れてしまいました。大地主神は困って、占った結果、御年神の祟りだということがわかりました。
 
この後は面倒なので端折りますが、御年神は供物を献上してくれたことに応え、いろんなことを伝えました。そこで教えてもらった中に「男茎」を用いたイナゴ除けのまじないがあったのです。その教え通りに行うと田んぼは茂り、穀物は豊かに実ったとのこと。
 
現代の日本では蝗害(こうがい)があまり発生しないので馴染みがありませんが、苗が枯れた原因は、イナゴと違いがわからないトノサマバッタやサバクトビバッタが原因でおこる害虫被害です。日本では北海道でよく起こったそうですが、そのほか、旧約聖書の中にモーゼの十の災いのひとつとして、近代ではパール・バックの大地でもバッタの被害についての記述があります。
 
今でもたびたび起こり、昨年の7月にラオスやタイで起きたそうです。これが起こると、大量のバッタが雨雲のようにやってきて、その雨雲が過ぎ去った後は何も残ってはないということです。この害虫被害のすごさが分かる表現ですね。作物を食い荒らされるということは、食糧不足に陥るということなので、現在でも国際的に対策が取られています。
 
農薬もなく、蝗害の発生原因もわからなかった古代では、恐ろしい厄災だったことは想像に難くないのですが、それでなぜ陰茎を奉納する必要があるのでしょうか? なぜイナゴ除けのまじないに必要になのか。謎は深まるばかりです。

生殖器信仰という存在


最近では妊娠したことを「子供が出来た」と言いますが、人間はいまだに生物を作り出すことに成功していません。大腸菌でさえ「ゼロ」から作り出すことができないのが現状なのです。生命を生み出すということは神の領域だと私は思っています。
 
古来より人類は生殖器を崇めており、全世界で男性のシンボルを崇拝してきた背景があります。日本では47都道府県すべてに生殖器崇拝が存在しているといわれています。日本では男性器だけではなく、女性器も崇拝していますが、かつて人類は性器を「神聖なもの」としてとらえ、生命を生み出す不思議な力を象徴するものとして見ていたようです。
 
要するに、生殖器崇拝は生殖器を神の力の依り代として見ていたのでしょう。だから、どうにもならない自然災害を収めるために、圧倒的な神様の力を表すものとして、生殖器を奉納していたのではないでしょうか? 田縣神社はその信仰が今現在でも残った古い神社なのでしょう。

「チーン」と珍宝窟(ちんぽうくつ)

珍宝窟
大真面目な考察を書いた後は、ちょっと俗っぽいことを。
丸々と大きな玉を睾丸に見立てたオブジェが置いてある祠、珍宝窟。玉をさするとご利益があるといわれ、右は商売繁盛、金運系。左は恋愛成就、子宝系になっています。躊躇なく右をさすることを決めました。
珍宝窟 石碑
お賽銭を入れると、「チーン」と透き通るような音色がしました。玉をさすってから、お賽銭を入れましょう。睾丸の大きさの割には、陰茎部分が小さい気がします。

おわりに

本殿
今回祈祷中だったため、本殿の撮影が出来ず、ちょっと遠いところからの撮影になってしまいました。
 
男性のシンボルを奉る神社というと、抵抗があるかもしれません。現代では生殖器を恥ずかしいものや隠すべきもの。また、現代では下ネタにしてからかうものとして軽んじてしまいがちですが、古来より生殖器は生命力や神の力を表したものであり、尊いものだったのです。
 
ちなみに、訪れた後で知ったことですが、田縣神社の隣のスーパーに「赤ちゃん授かり棒」という想像通りの飴が売っているそうです。
 
参考サイト 人文研究見聞録 生殖器崇拝(性器崇拝)とは?

田縣神社
愛知県小牧市田県町152
公式HPはこちら

この記事を書いた人

千津

千津ライター

幼いころは何者にでもなれると思っていたのに、成人しても特に何者にもなれず、外に探すようになりました。特に目的もなくふらふらと出かけるのが基本で、旅行も付き合いで行くという主体性のなさ。そんなことを積み重ねて、自分に厚みを出そうと思っています。

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