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フランスならではのクリスマスの楽しみ方「クレッシュ」「サントン人形」とは?

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フランスの家庭で大切にされているクリスマスの習慣のひとつ、「クレッシュ」の飾り、そして「サントン人形」をご存知ですか? 元々はカトリックが宗教弾圧を受けていた時代に始まった置物ですが、今ではカトリックだけでなくクリスマスを愛する世界中の人々が楽しんでいます。今回はそんな、大人から子どもまで、思い思いに愉しめるクレッシュの魅力をご紹介します。

サントン人形って?

由来は、Santoun――小さな聖人

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SANTONS サントン人形というのは、小さな聖人という意味。名前の由来は、南仏に残るプロヴァンス語という古い言語“Santoun”(=Petit Saint(小さな聖人))。このプロヴァンス語、公用語でこそないけれど、話せる人や学ぶ人はまだまだいます。南仏では通りの看板にフランス語と併記している自治体もあるくらい、今でも大切にされているんですよ。
さて、このサントン人形、フランス各地で見かけるけれど、発祥はここマルセイユ。元々は、宗教弾圧されていた時期カトリックの隠れたお祈りのために作られたそう。この街で暮し始めて間もない頃に、近所の敬虔なカトリックの年配マダムが、その歴史や背景を教えてくれました。南仏・マルセイユでは、代々この土地に住んできたという人たちが思いのほか多くて、口伝えされてきた話の数々に出会えるのがとても嬉しいです。

フランス革命後の宗教弾圧がきっかけで生まれたサントン人形たち

1789年フランス革命勃発のあと、宗教的行事が規制を受け、富の象徴とされた教会が焼かれ壊されていく中で、人々が家で隠れてお祈りをするために、Jean-Louis LAGNEL(1764-1822年)によって作られたと言われています。小さな素焼きのテラコッタ(土)人形に手描きで色をつけたもので、今でも、何代も続く工房の数々で手作りされて愛されています。

サントン人形が再現するクレッシュがあちこちに

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そして、そのサントンたちでキリスト生誕のシーンを再現しているのが、Crèche de Noël(クレッシュ・ド・ノエル)。(通称クレッシュなんですが、そのままだとCrèche(保育園)と全く同じ綴り・発音なので、ここでは正式名称にしました)
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フランスの家庭の多くでは、ツリーと同じようにこの習慣を大切にしています。ホテルや駅やあちこちでも、ツリーだけでなくクレッシュが飾られているので、機会があったらすぐ傍らを見てみてくださいね。等身大の大掛かりなものから、うんと小さなテーブルサイズまで、様々です。

クリスマスを愛する人たちに欠かせない、サントン人形のマルシェ

1803年から始められたサントン市場は、なんと今年で214回目! 2016年は11月19日土曜日から始まりました。サントンのマルシェが開かれるのは、クリスマスのマルシェと同じ時期。マルセイユの港近くの商工会議所の前の広場まで、パリからわざわざ買いに来たり、フランス中・世界各国から観光客が訪れることでも知られています。
19世紀から続くサントン人形のマルシェは、カトリックでなくても、クリスマスを愛する人たちには欠かせないもの。宗教色や華美な装飾を取り除いた、この“小さな聖人たち”は、従来のノーブルなものとは違い小さくて素朴です。クレッシュの周りを取り囲むのも南仏の町並みや人々にして、宗教色を取り払ったものなので、好きな動物や村人だけを買うこともできるんです。そして、誰にでも買いやすい価格に出来たお陰で、Marseille(マルセイユ)からAubagne(オーバーニュ)、Aix-en-Provence(エクス・アン・プロヴァンス)、Arles(アルル)……そして、フランス全土に広がっていきました。
だから、この時季の港近くはフランス各地の発音だけでなく、いろんな国の言葉が飛び交っているんですよ。

工房ごとに、一体一体違うのが魅力

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小さな素焼きのテラコッタ(土)人形に手描きで色をつける、このサントン人形。今でも、何代も続く工房の数々で手作りされています。そのため、工房ごとに雰囲気に違いがあるんです。

たとえば、この工房と……
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この工房……

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お人形の雰囲気が全く違うでしょう?
さらによく見ると、同じ工房でも職人さんは何人もいるので、顔立ちに特長が出ます。たとえ同じ人の手によるものでも、一体一体少しずつ違うのがまた楽しいですよね。

イメージ通りのクレッシュで個性を愉しむ

他にも各地から幾つもの工房Atelierアトリエのスタンドが一堂に介すので、自分好みのスタイルや大きさの人形を見つけられる素敵な機会。地元に住んでいる人たちでも、毎年、少しずつ買い足すために訪れるので、週末を重ねるごとにすごい混雑になります。
写実的なもの、丸みを帯びてユーモラスなもの、クールなもの……サントン人形は、クレッシュを中心にどんどん村人や動物やオブジェを増やしていくのを愉しむ習慣もあって、いろんな工房のものを混ぜる人もいるし、同じ職人さんのもので統一する人も。小屋や村のオブジェを手作りして個性を愉しむ人も少なくなくて、我が家も、そう。自分たちの持つイメージ通りのクレッシュが作りたくて。
素材はキットになっているものもあるし、レンガ屋根のミニチュアや壁用の素材、木の切り株や苔なども単品で売っています。我が家では、1番最初の年には、まず小屋のイメージを考えて、それからどんなクレッシュにしたいかの雰囲気を決めました。主要人物を選ぶまでには、端から端までシャレーを見て歩いて、何度か足を運んで、好きなひとつの工房を選び、それぞれの表情や顔つきまでじっくり選びました。

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さて、こちらのシャレーは、我が家のものとは違う工房だけれど、今年1番に設置が済んでいたところで、ひと足先に休憩されていたオーナーマダムをそのままの空気でお届けしたくて撮った1枚。反対側の別の工房のムッシューの、「なんで写真なんか撮らせてるの? ここは買いに来てもらうところだよ」にも、ゆったり笑顔。

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肩をすくめて立ち去ろうとする後姿に向かって、「ムッシュー、これがどういうものなのかを知らない外国人、まだまだ多いんですよ。だから、私は日本語で書きたいの」と言ったら、片手を挙げてひらひらと振って、笑いながら「はいはい」。
マダムに、「そう、たとえば、黙って写真をパシャパシャと撮るのは失礼だってわかっていても、フランス語で話せない外国人はいっぱいいるし、お人形を1体だけでも買えるのを知らなかったり遠慮している人だっているはずなので、載せたいんです。知らせたいんです、日本語だけど」と言ったら、「素敵! それは、とてもいいことね!」。

大人にも楽しいサントン人形のアトリエ

型に入れて焼かれるので、素焼きの時点では、ほぼ同じ仕上がり。それに、顔が描かれ衣装が色づけされて出来上がると、職人さんごとに個性が出る上、目や口の大きさや表情がひとつひとつ微妙に違って来るんです。“人形焼”みたいにカパッと合わせるふたつの型に、素材の粘土を流し入れて作られます。こんな感じ。

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マルセイユのクリスマスマルシェでは、実演して見せてくれるガラス張りのアトリエが設えてあって、子どもたちが背伸びして覗き込んでいたりするんですよ。

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素焼きのまま買い求めて、自分で色付けすることも出来ます。
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そうそう、蒐集好きな人の多いフランスならではで、コレクターと呼ばれる人たちの”作品”が、毎年ニュースや特番で紹介されるんです。住まいの一角がクレッシュ広がりになっている人はモチロン、ひと部屋丸々サントン人形の村を設えて、年を通じて手入れをしている人もいて、とても壮観。そんな風に、自分だけの村づくりをライフワークにしている人や、代々引き継いでいる家庭も。
決まりごとの少ないお雛様みたいな感覚でしょうか。姿顔も大きさも人数も、人それぞれ、思い思いに、でも、気持ちは同じ……。
機会があったら、ぜひ足を止めてみてください。選ぶ人々の背中を眺めるだけでも、心温かくなるはずです。

Palais de la Bourse 世界で1番旧いマルセイユ商工会議所の建物

ところで、このマルシェのシャレー(山小屋風の販売スタンド)連なる写真の後方に聳えている建物は、Palais de la Bourse - Chambre de Commerce et l'Industoriel Marseille Provence(直訳すると、証券取引所宮殿)……創業は、1599年8月5日。(いつも、ついつい引き合いに出してしまうけれど、)フランス革命より約200年も前の出来事で、世界初。

そして、カネビエール大通りを挟んでこちら側の広場で、キラキラ輝いて廻っているのは"19世紀の回転木馬"(名前もそのまま)。

そんなこの場所で、昔ながらのサントン人形達を眺めながら、遠い時間に思いを馳せるのは、ちょっとタイムスリップ気分で愉しいです。

この記事を書いた人

ボッティ喜美子

ボッティ喜美子仏日通訳翻訳・ジャーナリスト

フランス在住。東京で長らく広告・PR業に携わり、1998年に渡仏。パリとニースで暮らした後、2000年からパリジャンの夫の転勤で南米ブエノスアイレスへ3年、出産も現地で。パリに戻り、地中海の街マルセイユへ転勤して13年。南仏拠点で時々パリの実家へ、家庭優先で仕事しています。英語・スペイン語も少々。