JR池袋駅から西武池袋線で約40分、JR高田馬場駅から西武新宿線で約45分。ご存知、プロ野球の西武ライオンズ本拠地がある西武球場前駅。実はココに、独特な建物が並ぶ、ちょっと奇奇怪怪なエリアがあります。
不思議なエリアのスタートは狭山山不動寺(狭山不動尊)
▲狭山不動尊境内案内図
西武ライオンズが必勝祈願を行う狭山不動尊は、1975年に開山した天台宗の新しいお寺で、正式名称は「狭山山不動寺」です。西武鉄道グループの元オーナー堤義明氏が作りました。東京上野にある寛永寺と親しかったこともあり、プリンスホテルの開発に伴い、主に東京・増上寺の徳川家ゆかりのモノなど、各地から集められた文化財が境内に配置されています。
正面玄関門になる中華風の勅額(ちょくがく)門のナゾ
勅額門は増上寺から移築したものです。第二次世界大戦の東京空襲により、多くの文化財が焼失したなかで戦火を免れました。薄黄色の色使いは、独特な雰囲気が漂っています。
空襲や土地開発でバラバラにされてもおかしくないモノが、無傷で現存していること自体がナゾと言われています。
学校の授業では習わない! 不動寺総門と本堂の組み合わせのナゾ
本堂前の総門は、元長州藩毛利家の江戸屋敷の門を移築したもので、本堂は京都東本願寺から移築した七間堂です。「関ヶ原の戦い」以降、徳川家と因縁のある毛利家の文化財が、本堂と総門をセットで扱われていることに違和感があります。関ヶ原の戦いは、「徳川家康」と「石田三成」の戦いと学校で教えられています。実は「徳川軍と毛利軍」の戦いという側面もあったのです。無造作に並べられているのは、誰も言わないタブーな話だからでしょうか? ご先祖様たちはどう感じているでしょうね。
不動寺本堂廻りと第一多宝塔の間に並ぶ石灯籠のナゾ
第一多宝塔は、大阪・畠山神社から移築されました。傍らには、日光東照宮で見かけたモノに似た多宝塔があります。本堂を囲むように並んでいる石灯籠は、2基で1セットになっているはずなのに、バラバラに置かれている感じがします。調べてみると、対になるはずの石灯籠が東京都清瀬市にあることがわかりました。徳川家にゆかりのある貴重な文化財を集めるだけでは、人の関心を集めることはできないことを、参拝者が少ない現状が物語っているように思えます。
家主が変われば名前が変わる? 弁天堂と大黒堂のナゾ
六角円堂は滋賀県・清涼寺経蔵から移築したもので、ご本尊は上野不忍池弁天堂からお迎えしたようです。なぜこのような組み合わせにしたのでしょうか?
大黒堂は、奈良・極楽寺から柿本人麻呂の歌塚堂を移築したもので、ご本尊は上野の東叡山寛永寺見明院からお迎えしました。柿本人麻呂は36歌人のひとりとして、深い恋愛の歌で知られています。それぞれ別々に、価値のある文化財なので、何でも組み合わせてしまうと味気なく感じます。
住職はよっぽど多宝塔が好きなのか? 第二多宝塔に唖然!
第二多宝塔は、兵庫・椅鹿寺から移築されたものです。同じ敷地内に多宝塔がふたつあるだけで違和感があります。私はこれまでの寺院巡りでは他に観たことがありません。
羅漢堂山門・羅漢堂・唐金灯籠が立ち入り禁止のナゾ
羅漢堂山門は、虎ノ門の元田中平八郎邸より移築されたものです。扉には三つ葉葵の家紋を観ることができます。
羅漢堂は、明治の元勲井上馨公の屋敷から移築されたもの、唐金灯籠は、増上寺から移設されたものです。羅漢堂と唐金灯籠は、石柱に閉ざされたスキマから覗くしかありませんが、53基もの銅燈籠が並ぶ光景は壮観ですが、並べれば良いというものでもありません。
歴史的な背景を知れば知るほど、テーマパーク化した文化財は、有難味が半減してしまいます。狭山不動尊にある文化財は、日本寺院の由来などを理解しようとしてはいけないエリアなのでしょう。
異国情緒たっぷり? 独特の世界観がある金乗院(山口観音)
▲案内図の左上が五重塔
狭山不動尊の頂上から稜線(山の尾根)沿いに、隣接する山口観音の頂上へショートカットして、先に奥の院へ向かいます。
横浜中華街? 朱色が眩しい千手観音堂の門と五重塔のナゾ
狭山湖周遊道路沿いのブラインドカーブにあり、ドライバー目線からでは死角になってしまうため、こんなに目立つ建物なのに通り過ぎてしまうらしいこの建物。横浜中華街にあれば、確実にランドマークになりそうな存在感はありますが、建てられている場所が悪すぎます。もっと目立つ場所に建てたほうが参拝者も集まるのではないでしょうか?
奥の院となる五重塔のなかには、千体観音堂があるようです(正月三が日のみ公開)。日本の五重塔とは異なり、八角形の五重塔はまったく雰囲気が違い、中国で見かけるモノに似ています。建物の前にある香台に、妙な顔?の細工がされています。
五重塔の足元にある怪しげな仏国窟は、巡ることで四国88霊場と西国33札所を巡礼したことになるとされる有り難い洞窟のようです。
左側に高さ1mほどの石仏と、右側に小さな坊さんの石像が並んでいます。薄暗い仏国窟内は、女性ひとりではかなりの勇気が必要です。
ドラゴンが這いまわるナゾ
五重塔から階段を下ると水子霊場が広がっています。霊場を囲むように壁の上をドラゴンが這いまわっています。
山の斜面に建つ観音堂の下には、ひな壇状に水子霊場が広がっていました。霊場の壁沿いにドラゴンが這いまわっているので、霊場を見守っているのでしょうか。日本の寺院では見かけない唐風の白い観音堂がふたつ見えますが、いったい何なのだろう?
霊場上段の観音堂小窓から覗いた観音様は、タイで見かけるようなエメラルド像です。東南アジアでは、最も霊験あらたかな仏像とされるため、巡礼者が訪れると言われています。なぜ日本の山口観音にいらっしゃるのか?
霊場中段の観音堂案内板には、「日本で初めてのビルマからのお釈迦様」とあります。なぜ山口観音にいらっしゃるのか? ナゾです。小窓から覗いたお釈迦様は、確かにミャンマー(旧ビルマ)で見かける白いお釈迦様です。山口観音とミャンマーは、どんな関係だったのでしょう。
勝手に名づけて! ドラゴン階段のナゾ
五重塔広場の下から、急斜面の階段があります。よく見るとひな壇のようになっているのですが、どんな意味があるのでしょうか? 階段をドラゴンが這いまわっている摩訶不思議な空間です。
ドラゴンの爪には細かい細工が。
日本とは思えない……ドラゴンと五重塔の組み合わせはインパクトがあります。
香台の顔とは別に、どこかからの視線を感じるナゾ
香台は五重塔・観音堂・大日堂・玉佛堂・大日堂にあり、本堂前の香台にも下から見つめる顔があります。しかし、もうひとつ何か別の視線を感じるような気がしていたのです。あなたは一体誰なのでしょうか? もしかして……鬼?
別の視線を感じるナゾの正体は白馬でした。本堂前の参道にあり、新田義貞公の白馬で鎌倉攻めする際に戦勝を祈願して、後に愛馬を寄進した霊馬堂です。ちょっと目つきの悪い白馬です。
ずらりと並んだ摩尼(まに)車「プレイグベル」と本堂のナゾ
金乗院(山口観音)は弘仁年間(810年 – 824年)に、弘法大師の開基と伝えられる由緒のある寺院です。本堂の壁には、本場ネパールで作られたプレイグベルが取り付けられています。一体いくつ付いているのか数えてみました。マニ車の数は108個あり、人の煩悩の数と同じです。お経を知らない人でも1回まわすと、1回読んだことになるものです。
ドラゴンボールに出てくるピッコロを発見? 本堂裏に弘法大師の一生が絵馬で綴られています。そのなかの1枚に、どう見ても肌の色がおかしく、宇宙人みたいな姿は……残念ながらピッコロにしか見えない絵があります。
開山堂と武蔵野七福神のナゾ
ふたつのお堂を囲むように、ドラゴンが這いまわっています。開山堂(左)は、弘法大師様が死亡された時、振り返って見送られたままのぽっくりさん(引導地蔵)が祀られています。武蔵野七福神の布袋尊(右)堂は、屋根上に装飾などがあり、台湾で見かける寺院に似ています。
別々に7種類の石材で彫られた1mほどの七福神像が揃っていて、1周すれば七福神巡りができてしまうというモノですが、それで良いのでしょうか?
摩訶不思議ワールドのまとめ
西武鉄道がホテル開発によって、お荷物になったと思われる文化財を寄せ集めて造った「狭山不動尊」。日本の寺院とは思えない雰囲気で、チベットやネパール・タイ・ビルマ・台湾・中国などの仏教の国々を、まとめて聖地巡りしているような感覚さえある「山口観音」。寺社仏閣巡りでは無く、テーマの無いテーマパーク巡りとしても、摩訶不思議なエリアです。