北朝鮮との国境の最寄り「都羅山駅」がまさに空港レベル
韓国

突然ですが、質問です。日本の近くで手軽に「国境」体験ができるのはどこでしょう。

そう、韓国と北朝鮮の国境(38度線)です。

 

よりにもよって、まだ終戦していない戦争中の二国間の国境という何やらおそろしげな国境ですが、最近、韓国と北朝鮮は緊張緩和ムード。

 

ならば国境にも行きやすくなっているかもしれない! ということで、お隣の国の国境体験を手軽に楽しんでみましょう。

 

列車はイムジンガン駅に停車

大日本帝国時代の1905年。京城と新義州を結ぶ鉄道が敷かれました。その名は「京義線」。

しかし、朝鮮戦争とその後の分断によって、「京義線」は分断されてしまいます。

 

韓国側の最北端の駅は「都羅山(トラサン)」駅。「都羅山(トラサン)」駅へはソウル駅から一日一本の観光列車が走っています。ソウル駅のチケットカウンターで切符を購入して乗車することができます。

 

また、「都羅山(トラサン)」駅から先の見学ツアーは、車内でも購入することができます。(1日観光ツアーをまとめて購入することも可能)

観光列車に揺られること一時間半ほど。

ソウルの大都会から、郊外の住宅地へと景色が変わります。

 

「都羅山(トラサン)」の一つ手前の「イムジンガン」駅まで来た時です。

全員列車を降りるように言われました。

駅のホームに一列に並び、一度駅の敷地を出て、身分証を確認されたのち、再度乗車するように言われます。

 

観光列車でわいわいやっていたし、周りも適度に民家が見えるところだったので国境に行く緊張感を感じていませんでしたが、これで一気に緊張が。

 

やはりなんだかんだいっても「国境」なんですね。

韓国と北朝鮮の間には国境から二キロの非武装地帯が用意されています。

この中は、最低限の管理のための非武装の警察以外の立ち入りが禁止されています。

 

そして、非武装地帯の外側に「民間人統制線」があります。

イムジンガン駅はこの民間人統制線の外側。ここまでは自由に一般市民が入ることができます。

イムジンガン駅を過ぎてすぐ、比較的大きな川を渡ります。「イムジン川」です。(韓国語で川を指す「江」の読み方がカンなので、イムジンガン駅とはイムジン川って意味なんですけどね)

 

同名の歌をご存知の方もいるかもしれません。

川を左右に見ながら列車は進みます。周りには豊かな自然が広がり、空の色が川面に映っていました。

 

美しい景色でした。隣に見える「爆破された橋」が見えさえしなければ……。

都羅山駅到着、いよいよ国境へ

「京義線」最北端の駅「都羅山(トラサン)」に到着しました。

着いたとたん、とても驚きました。

 

韓国の北の果ての駅なので、ひなびた駅を想像していたからです。

実際の「都羅山(トラサン)」駅は、ホームが複数ある大きめのターミナル駅並みの広さ。

(都羅山駅の隣の駅「開城(ケソン)」は北朝鮮の都市です。次の駅として記載されていました)

一年前に行った、もう一つの国境「京元線(韓国側)最北端の駅・白馬高地駅」と比べてみてください。

 

駅舎もまるで空港のよう。入国審査のようなゲートを通って出てきたロビーも広々としていました。

半分ほどはまだ使っていないよう。

 

ここまで大きな駅を造る理由は? 民間人が自由に立ち入れない駅とは思えない豪勢さに、激しい違和感を持ちました。

国境ラインは団体パッケージツアーで

私たちは専用のバスに乗るように指示されました。そして、バスの中で「車内から写真撮影をしないように。席を移動しないように」という注意を受け、現地ツアーがスタートしました。

 

平和公園

最初に連れていかれたのは、非武装地帯の中にある平和公園。

国境にまつわるいろんな事件を説明するパネルや、非武装地帯にすむ動植物の展示などがあります。

写真撮影はできませんでしたが、駅から出て平和公園に向かう途中、テレビで何度か見たことのある「北朝鮮との国境ゲート」を間近に見ました。

 

南北交流試合や、国際会議などの時にテレビ中継されるゲートです。

そのゲートの向こうは北朝鮮なのです。

 

本当に国境なんだなぁ。国境のすぐ近くに来たのだなぁと思いました。

 

ランチは大事

スケジュールの中にランチタイムがなかったので心配していました。が、ここは韓国。何よりも大切な食事を忘れるはずがありません。

 

案の定、非武装地帯の中にある食堂に連れていかれました。驚いたのが観光バスの数。

1年前に訪れた鉄原では田舎の公民館的な施設でバス2台分のお客さんだけでしたが、ここでは広い駐車場に隙間なくバスが止まっています。

 

これ、みんな、国境ツアーの人?

ランチはビュッフェスタイル。食事を楽しんだ後、「統一展望台」を目指します。

とにかく、食堂も人でごった返していたので、手早く注文と席取りを済ませて食事を始めなければなりません。

それでもこのバスはかなり遅めのランチタイムにしていたおかげで、食事の後半くらいから席に余裕が出てきました。

ホッとしましたが、この人数が同じコースを通っていくのかと思うと一抹の不安が……。

都羅山展望台

食事が終わると、ガイドさんが言いました。
「これから、いよいよ都羅山展望台へ行きます」
北朝鮮を間近に見るために小高い丘へ登ります。もちろんバスです。

 

バスはまた広い駐車場に止まります。
「次々に団体が来るので、すいている時を狙ってサクサク見学してね」
というガイドさん。

 

バスを降りると、周辺にはほかのバスで来た人たちでごった返しています。

少し先のほうに建物があり、その並びが展望台になっていて、人々が芋の子を洗うようにひしめいていました。

少しでも隙間ができたら、前へ前へ。
もっと静かな展望台を想像したので正直面くらっていました。

 

去年もう一つの国境「鉄原」に行ったときは、もっとずっと静かで、人が少なく、何やら厳かな気持ちになったのですが、ここでは感傷にふけっているひまがありません。

 

韓国人、外国人問わず、大人も子供もたくさんの人が見に来ていて、記念撮影に励んでいました。

望遠鏡をのぞいて、北朝鮮側の村の様子を見ている人も……。

見えている山々は北朝鮮

正面に走っているラインは非武装地帯との境。右側は停戦以来軍人も民間人も入れない非武装地帯。自然の宝庫

深い自然と、軍事施設と、ライン

バスの乗り間違えに気を付けてね、と送り出してくれたバスガイドさん。なるほどと思いました。

 

ちなみに今回のバスツアーのガイドさんは、軍人さんでした。軍のお仕事として、国境ツアーのガイドをやっているんですね。

外国語も駆使しながら案内してくれました。

第三トンネル

冷戦当時、北朝鮮から韓国側にばれずに侵入するために、いくつかの地下道が彫られました。

 

のちに、その存在が明るみになって、北朝鮮軍の南進は阻止されたわけですが、このトンネルのうち最もソウルに近いトンネルが1978年に発見されました。

それが、第三トンネル。今回のコースの最後の見所です。

実は展望台も第三トンネルも18年前に来たことがあります。

展望台は軍人さんが説明してくれたし、第三トンネルは素朴なトンネルの奥へ奥へ行っている間に、人影が見えなくなったので慌てて戻ってきた記憶があります。

久しぶりに訪ねた第三トンネルは、広い駐車場と駐車場を囲むように建てられた展示室かお土産屋がわからない建物を含む、広い公園のようになっていました。

 

その一つの建物の中からどうやらトンネルには入るようです。

驚いたことに、トンネルに入る前に、ケータイを含むすべてのものをロッカーに入れるようにと指示されます。そして、完全に手ぶらでトンネルの中へ。

 

長い長いトンネルは列を作って人が入るので、どこまでも人がいっぱい。

人が安全に歩けるようにきれいに整備されていました。

 

整備された下り坂をずっと行くと、横穴に行き当たります。この横穴が本当の「第三トンネル」。身長158センチの私でも気を付けないと天井に頭をぶつけるくらい低いところがある、まるで鉱山の坑道のような穴でした。

 

ずっと、ずっといくと、行き止まりになっていて、そこでUターンして戻ってくるようになっていました。

 

昔の記憶の中にある、薄暗くて、狭くて、孤独で、空恐ろしい第三トンネルは、狭さと薄暗さを残してどこかへ行ってしまったようです。

 

逆に、言葉の壁とか、体力の壁とかがあって昔ならアクセスできなかった人たちでも、触れることができる空間になったなという気がしました。

記憶ではこんな感じで外にある入口から以前は入ったような…

 

帰り道

第三トンネル、そこの付属する資料館を見学した後、バスは一路「都羅山(トラサン)」駅へ。

空港で飛行機を待つような気持ちでゲートの開くのを待ち、パスポートチェックを経て、搭乗ならぬ乗車します。

 

南北訪問自由化が成立したら、ここは国境の町としてにぎわうのかも

そして、来た道を戻っていきました。帰りは「イムジンガン」駅でのパスポートチェックはありませんでした。

一路ソウルへ

韓国の首都ソウル。ソウル駅からたった1時間半ほどのところにある国境。

こんな近くだからこそ、週末気軽に国境見学に行ける。

 

停戦しているだけでまだ終戦しているわけではない韓国と北朝鮮の国境は、「非武装地帯」「民間人統制区域」など、およそ平和的ではないがゆえに作られたいくつもの線が存在します。

 

そんな国境エリアに、こんなに手軽にたくさんの人が訪れている。

その、何とも言えないギャップが印象的でした。

この記事を書いた人

エナ

エナライター / エナツアー主催

横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの町歩きが大好きなネイリスト。ソウルの博物館、市場が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。

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