国境地帯に暮らす、ベトナムのムスリム「チャム族」に会ってきた
ベトナム

「南部を見ずして、ベトナムを語るなかれ」窓に額を密着させながらひたすら車窓を流れゆく景色を見つめながら、私はそう思ったのでした。

2016年6月。ちょうど今から1年ちょっと前、ベトナムからの帰国直前の私は、強行突破で南部のメコンデルタ地帯を高速バスに揺られながら旅をしていました。

私が向かった先は、カンボジアとの国境地帯にあるチャウドックという小さな町。よりディープなベトナム像を求めて、私は観光客がさほど訪れない行先を選んだのでした。

はたしてチャウドックには、私の中の「ベトナム像」とは一線を画する風景が広がっていました。

川には橋がないため、フェリーやボートで川を渡る人々の姿や、魚の養殖を営む人たちの水上村や、観光客を意識していないどローカルな水上市場や、イスラム教を信仰する少数民族が暮らしているという郊外の村など、様々な表情を持つチャウドック。

また、人々の信仰を集めて名高いサム山に抱かれるパワースポットであることも忘れてはならないでしょう。規模こそ小さいものの、チャウドックは長い歴史の中で生み出されたモザイクのような多様性を持つ稀有な場所だったのです。

1.チャウドックの町はどこにある?


チャウドックはベトナム南部のメコンデルタ地帯の中でも、川の向こうはカンボジアという文字通り「ベトナムの縁」に位置する小都市です。ホーチミンからは直線距離にして西へ170㎞。高速バスに乗ると6時間はかかるでしょう。

私は今回時間も限られていたことから、ダナンから直接、メコンデルタ最大の農業都市カントーへ飛び、そこからバスで2時間という時短コースを選択しました。

カンボジアと国境を接していると最初に書きましたが、実を言えばもともとはクメール王国(現在のカンボジア)の領域だったことから、カンボジア系ベトナム人も多く暮らしています。

更に言うと、チャウドックにはベトナム主要民族のキン族やカンボジア系だけではなく、中華系、そして少数民族のチャム族の人たちも暮らす、多国籍な町なのです。

チャウドック

2.新旧多彩な表情の町チャウドック


カントーのバスターミナルから出発した、チャウドック行きの高速バスの中、私は最前列の席に座っていました。

見たくなくても目に入ってしまう豪華絢爛の歌謡ショーを見るともなく見つめること2時間半、バスは川沿いに立ち並ぶ高床式の家屋が目立つエリアに入っていきました。

この辺りは雨期になると川が氾濫してしまうため、住民は高床式の家を建てているのです。

そのバスの中で外国人は私1人だけだったようですが、実はチャウドックは東南アジア地域を周遊するバックパッカーが、ベトナムから水路でカンボジア国境越えを行う際に立ち寄る場所として知られており、意外と外国人慣れしていたりします。


泊まったホテルは町の中心部で、活気あふれる市場も目と鼻の先。

荷解きもそこそこ街を歩くと、フィリピン版マック「ジョリビー」の真新しい店舗があると思いきや、大都市からは姿を消したシクロにリアカーがくっついたような乗り物で荷物を運ぶおじさんの姿や、漢字の看板が残る古い建物が現役で残されており、新旧のコントラストがこれまた不思議な空間を作り出しているのです。


チャウドック近郊にはサム山と言って、聖域として信仰を集める霊山もあることから、国内からの参拝客も多いそうです。

私自身、初日にはホテルに手配してもらったバイクタクシーの後ろに乗って、サム山に登りデコレーションケーキのようなお寺などパワースポット巡りを済ませました。

お寺巡りの翌日は、更にディープなチャウドックの表情に迫ります。

3.チャウドックは水上の活気がハンパなかった


まずはボートに乗って、活気あふれる水上マーケットの見学です。水上マーケットはカントーが有名ですが、観光化されたものとはまた違って、地元っ子のリアルなやり取りが見られて興味深いです。

船をすみかとしているのか、洗濯ものがはためく船もあれば、スイカやココナッツを大量に積んだ船があったり、はたまた小さなボートに一杯の生活用品がつまれた「コンビニボート」まで、日本とは全く異なる風景が新鮮で、且つエネルギッシュに感じられました。

迫力ある水上市場の後は、魚の養殖を営む水上生活者の「村」を訪れます。もちろんそこも川の上。大きないかだの上に家が乗っかるような形で、人々が暮らしています。

あるお宅にお邪魔させていただきました。ガイド役の船頭さんが、おもむろに床板を外し、何やら粉末状のモノを注ぐと……

何と床下に養殖してる魚が泳いでいて、餌をやると激しく水しぶきを上げて餌の争奪戦を行うという、迫力満点のショーが繰り広げられました。餌をやる前と後とのギャップが激しく、一瞬言葉を失ってしまいました(笑)。

チャウドックの水上生活者のコミュニティーは、なかなか繁栄しているのか立派なお宅が多いように感じました。上だけ見たら普通の家にしか見えませんよね。

4.チャム族の村へ


再びボートに戻り、川を上っていきます。しばらくして速度が緩み、川岸でストップ。湿地帯から、細い橋を歩み進めていくと、そこはベトナムとは思えない別世界が広がっていたのです。

そこは、少数民族チャム族に会える村。実はチャウドックに来たのも、チャム族に興味があったからなのです。この村の家屋もほぼ全て高床式。毎年かなり高い位置まで川の水が氾濫するそうです。


チャム族はかつては古の時代にはヒンドゥー教徒でしたが、現在はイスラム教を信仰しているので、村にはモスクがあり、道を歩く男性は巻きスカート上のサロンを身にまとい、女性も頭部をスカーフで覆っていました。

そして街角にはイスラムを感じさせるこんな看板を見つけました。「ドクター・ムハンマド」という意味です。

せっかく村を訪れたのに、ただ歩くだけでは面白くありません。誰かと言葉を交わしてみたくなりました。

そんな時は、子供に声をかけてみるのが一番。もしくは子供と一緒にいる大人もおススメです。「かわいいお子さんですね」なんて声をかければ、大抵相手もフレンドリーに接してくれるものです。

そんな作戦が功を奏して、軒先で遊んでいたおばあさんとそのお孫さんとお話しすることができました。

実際にはこの子からは警戒されてしまい、目すら合わせてもらえませんでしたが、おばあさんの方は気さくに返事をしてくれたので、片言のベトナム語でのちょっとしたコミュニケーションが実現しました。

おばあさんは手作りのマレー風スイーツを売っていて、いくつかランチ用に購入。後で食べたら疲れが癒される甘さが絶品のプディングでしたよ。

チャム族の村訪問も盛り上がってきたと思ったら、雲行きが怪しくなったので泣く泣く終了。チャム族の村は完全ムスリムの世界でしたが、今世界を揺るがしているような物騒な気配は全く感じられず、とてものどかなコミュニティーという印象を受けました。

5.ベトナムのムスリム「チャム族」とは?


チャム族は今ではすっかり中南部沿岸地域や、チャウドックのようなメコンデルタ地帯にひっそりと暮らすマイノリティとしての位置づけになっていますが、かつてはベトナム中部から南全域を支配したチャンパ王国を築いたマレー系民族です。

つまりベトナムの歴史を語る上で、非常に重要な人たちなのです。

先述の通り、当初はインド伝来のヒンドゥー教を信仰し、ダナン近郊にあるミーソン遺跡(世界遺産)に代表される寺院などを各地に建立していましたが、もともとのルーツであるマレー地域のイスラム化の影響を受けて、チャム族の人たちも17世紀ごろからイスラムへの改宗が始まったそうです。

現在、世界各地で多発するテロの影響で、どうしてもイスラム教徒への風当たりが良いとは言えない状況にあります。

チャム族のルーツの地、インドネシアやマレーシアでもISISの影響が及んでいると耳にしますが、ベトナムのムスリム、特に地方に暮らすチャム族の人たちからはそのような殺伐とした雰囲気は感じられません。

というのも、ベトナムのムスリムが他とは違って、マレー伝来の正統派イスラムだけではなく、歴史的に海外のムスリムとの交流が乏しかったことから、土着宗教と習合したバニ教という独自のイスラム教信仰の道を歩んだことが理由として考えられるようです。

もちろん、私は一介の旅人に過ぎないので、深く彼らのことを知っているわけでもないですし、また今後彼らがどのように変化していくのかはわかりません。

しかし、チャム族以外のベトナム人が彼らを、ムスリムであることで排斥せずに、共存する姿勢を保ち続けること、チャム族の人たち自身もマレーシアやインドネシア経由でラディカルな思想に影響されなければいいと願ってやみません。

この記事を書いた人

ユルワ

ユルワベトナム/ダナン専門家

「女一人でどこへでも乗り込む」アラフォーのトラベルライター。主にベトナムの中で大人気のダナンを掘り下げて情報発信しております。 幼少のころから東京都内を転々とし、更に家族と札幌へ移住。そんな生い立ちからついたノマド癖。 モノはないけど海が超絶きれいな太平洋上の島国と激安激ウマのベトナム・ダナンで通算3年間に及ぶ海外暮らし経験有。次はどこで暮らそうかなと思案中です。

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