タイ王国の特集

ソウルの切ない集落「タルトンネ」の”いま”を巡る
韓国

「タルトンネ」のタルとは韓国語で月、トンネは町や集落という意味です。月の町、月の集落。そこには韓国の輝かしい経済発展を支えた多くの貧しい人たちの生活とある種の切なさがあります。

近年の都市開発により、その姿を消しつつある「タルトンネ」。今回、ソウル市銅雀区上道洞にあるパムゴル(栗の里)集落の開発が進んでいると聞き、完全に姿を消す前に記憶と記録を残したいと思い、集落の中をまわってみることにしました。

タルトンネの歴史

時はさかのぼること1950年代。日本の支配からの解放を喜んだのもつかの間。朝鮮戦争の勃発で国土は激しく荒廃しました。植民地時代、空襲などで大きく破壊されることなく光復(日本からの解放)を迎えたものの、朝鮮戦争は激しい市街戦、銃撃戦が起こり、また、占領課程で両陣営から敵認定されての虐殺などを経験し、この場所は土地も人も疲弊しました。

特に鉱物資源が少なく農業依存型の土地である南側(大韓民国)側は復興が遅れ、長く世界最貧国と呼ばれる状態が続きました。戦火を逃れて南進したまま家族親族のいる北側帰れなくなった住民、畑を焼け出され生活の糧を奪われた農民たちが、仕事を求め、住無場所を求めて都市部に集まります。

しかし、都市部の土地も無尽蔵ではありません。戦争で破壊された建物の残骸、政府などの主要機関の立て直し。難民のように年に集まった貧民たちは、戦争で禿山になってしまった岩山の斜面にバラックを建ててそこに住み着くようになりました。

もちろん正式に土地を購入して家を建てているわけではありません。いわゆる不法占拠です。が、政府も行政指導などしている余裕がありませんし、膨れ上がる都市部の人口、間に合わない住宅の供給。結局、見てみぬふりをするしかありませんでした。

はげ山のてっぺんにたつバラック集落。水道は岩肌を流れる沢。日照りが続けば山の下まで降りて下の川から水を汲んできます。ガスも水道も電気の設備もありません。このような集落がソウルを含め都市部に大量の発生しました。人はこれを「タルトンネ」と呼んだのです。

追われて追われて

ソウルの中心部に形成されたタルトンネは市街地の整備に伴って早い時期に移動させられました。漢江に面した高級団地「二村洞」あたりにいた人たちは、漢江の対岸エリアに集団移住させられたとも聞きます。漢江の南側、今の銅雀(ドンジャク)区や冠岳(カナック)区あたりは、その後の経済成長時に地方から流入してきた人たちも吸収し一大タルトンネ地帯となりました。

その後、韓国の経済の中心地がソウルの中でも、漢江の北である「江北エリア」から漢江の南「江南エリア」に移動すると江南エリアの住宅価格は高騰し、江南エリアで働いていても江南には住めない人たちが、通勤地下鉄の沿線である銅雀区や冠岳区のある南部エリアに住むようになりました。

南部エリアの不動産価値が上がると黙っていないのが建設業界。ここを整備し新たな団地を建設する計画があちこちで推進されるようになってきました。

その影響をまともに受けたのはタルトンネの住民です。経済成長を縁の下で支えた世代もすでに高齢化しています。経済成長を支えたもののその恩恵にあまりあずかれないままに年老いた彼らは、その昔不法占拠という形で住み始めた土地に建てたバラックを少しずつ改造し改良して今日まで生活していました。

電気は通るようになりましたが、いまだに都市ガスの入らない集落で、練炭を燃料にした暖房で冬をしのいでいました。それでも何十年もおなじ集落、同じ人たちのコミュニティーの中でやってきたのです。ここに開発業者がやってきたのです。

この町はこのように生まれ変わります。

開発業者の書いた青写真。韓国でよく見かける高層のアパート団地に生まれ変わることになりました。そうなると住処を追われるのはタルトンネの人々。

再開発にあたり、新しくできる団地に優先的に居住できる権利や立ち退きのための補償金などを受け取れる……ともいうのですが、もともと貧しいこれらの人たちは、優先入居権利があっても費用が賄えず入居できません。

補償金があっても家が買えるほどの補償金はもらえません。場合によってはあれこれうまく丸め込まれてまともな補償ももらえずに追い出されることもあります。

そして、また1つの集落がソウルから姿を消そうとしています。

ソウル市銅雀区上道洞「栗の里」集落

タルトンネ密集地帯の中に「パムゴル」という場所があります。バムは栗、コルは集落、村、里の意味です。数年前韓国でヒットしたドラマ「応答せよ1988」のロケ地として使われた場所です。

ドラマのシーンで使われたお店はパムゴル(栗の里)集落の入口に位置する、何でも屋さんが建っていました。韓国のブログなどでは、ロケ地巡りをしたという記事が沢山上がってきます。

しかし、2017年3月に行ったときにはすでにこの場所はこんなふうになっていました。

跡形もなくがれきに……。2018年の団地完成に向けてすでに立ち退きはほぼ完了し、次々と建物を解体撤去している状態でした。

ここに集落が……あった

完全に姿を消す前に集落の記憶と記録を残したい。それで、集落の中をまわってみることにしました。

一見整備されているようで、実は錆び放題な手すりなど、どことなくメインテナンスをする手間や費用を惜しんだ感じのする階段。タルトンネではよくある光景ですが、坂が多く階段の多いところであるものの、几帳面に階段などの設備を作ることができないため、段差や手すりの作り方などにそこはかとない哀愁が漂います。

立ち退きを勧告する貼り紙。再開発指定が入り、住民の立ち退きが決まった当時のものでしょうか。それとも、住民が出て行ったあと貼られたものでしょうか。

地域差再生事業をしたときに描かれたのであろうと思われる壁画。ここだけでなくタルトンネではよく見かける光景です。生活の辛さを軽減しようとしてか、集落の壁に美大生などのアーティストたちが絵をかき地域再生を図ったのですが……。その壁画のうえに철거(撤去)の赤い文字が書きなぐるように書かれています。

暮らし向きか良くない集落の道は狭く、粗末な造りの平屋住宅が延々と続いていた……はずです。どこからか犬の吠え声が聞こえてきました。まだ住んでいる世帯があるのでしょうか。

ブルドーザーが粗末な平屋の住宅をつぶしている途中のようです。健在なのか、家具などの残りなのか両側に散らばるがれきは1つの時代の終焉を感じさせました。向こうに見えるのは、すでに再開発が終了し、新しい時代が始まっている高層住宅街。

住んでいた人が使っていたのでしょう。使用済みの練炭がうずたかく積み上げられていました。

消えゆくタルトンネたち


パムゴルというタルトンネは地図でいうとこのあたりです。来年には全く別の表情の町になることでしょう。近隣にはパムゴルのほかにもいくつかのタルトンネがあり、それぞれ再開発の途上にあるようです。

こちらの地図の赤い四角い部分はすでにだいぶ再開発が進み、以前の雰囲気はほとんどなくなりました。黄色い丸(パムゴル)のすぐ上の赤い丸のところは、住民の立ち退きはほぼ終了したものの……。

立ち退きの応じない人がいるためか、それとも計画の変更があったためか、パムゴル以上に廃墟っぽくなって残っていました。

タルトンネを生かして生きる

でも、すべての土地が完全に消えるわけではありません。今のところ再開発の指定を逃れ、人の住む地域共同体として機能しているところもあります。その1つがトケビ市場(お化け市場)。

トケビ(お化け)市場という名がついている市場ってタルトンネに多いんですよね。数ある在来市場の中でもやはりタルトンネ間を醸し出していました。

それでも、少しでも快適に住みよい町を作ろう。そんな意気込みを感じました。

心の痛いエリアではあるけれど…

正直、タルトンネに来るといつも心が痛くなります。今のタルトンネのほとんどは中心から追われた人たちの集落なので、韓国の発展とともに周辺部に追いやられ続けた人のこと、寒い寒い韓国で十分な暖房もない家に暮らし続けたおじいさんおばあさんたちの人生、不揃いの階段やその町全体から漂う差別されてきたであろう歴史など、様々な思いに駆られます。

物理的にも精神的にも明るさや楽しさを探すのが難しい地域。そして、そこを襲う再開発の波。快適な町に生まれ変わったとしても、ここに住んでいた人たちはその恩恵にあずかれない……。

もし機会があったらそんな韓国の一面にも思いをはせてもらいたい、そう思うと同時に、ここに住む人たちを好奇の目にさらしたくない、そんな気持ちも混在するのです。
心の痛いエリアではあるけれど…

この記事を書いた人

エナ

エナライター / エナツアー主催

横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの町歩きが大好きなネイリスト。ソウルの博物館、市場が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。

チャンネル

チャンネルをもっと見る
タイ王国の特集