今も昔も韓国の首都ソウルの玄関口となっているソウル駅。降り立ってみると、そんな韓国らしいはずの場所で今でも日本らしさを感じることができます。今回はソウル駅周辺を散策して、ソウルの「時間旅行」に出てみましょう。
韓国の玄関口「ソウル駅」
メインは長距離鉄道の「ソウル駅」
ソウル駅は地上3階、地下7階まである複雑な造りになっています。
メインの「ソウル駅」はソウルから韓国の地方に行く長距離鉄道のための駅。これは、ソウル駅の新駅舎の2階と3階部分です。
地方の住む人、地方に行く人たちでにぎわうこのフロアでは、ほんの少しですが韓国の地方旅の旅情を感じます。例えば、韓国では珍しい駅弁を売っているのもこの場所。あとは、長距離路線に備えて、韓国の家族連れたちが、ファストフードで食事をしていたり、地方の親戚などへのお土産を買っていたりする姿もよく見かけます。
鉄道の「ソウル駅」駅!?
ソウル市民の足は何と言っても地下鉄。ソウル駅には、地下鉄1号線と4号線のふたつの路線が入っており、これらは地下1階、地下2階にあります。
厳密にいうと「ソウル」駅ではなくて「ソウル駅」駅なんだそうですよ。その理由は別々に経営されていることにあるようで、地上にある長距離路線のほうに行くには、一度改札を出て、エスカレーターを上がらなければなりません。
観光客もお世話になるであろうソウル地下鉄ですが、1号線は鍾路(チョンノ)方面に行く時に利用します。4号線は観光では使いでのある路線です。ソウル駅→南大門市場→明洞→東大門市場などなど、観光で来られる方にもなじみのエリアを通っている地下鉄です。
空港鉄道の「ソウル駅」も!
そして、ソウル地下鉄から地上駅のソウル駅を越えた向こう側にあるのが、空港鉄道の「ソウル駅」です。こちらは、一番最後に作られた路線ということもあり、新たに地下の深い深いところに作った駅です。地下5階か7階か……とにかく、エスカレーターを何回も何回も降りていきます。
ここのお客さんはやはり空港利用の方が多いので、大きなスーツケースを押したり引いたりしている人が多いのが特徴です。
▲空港鉄道からソウル地下鉄は長い長い通路で結ばれています
ひと昔前までは、この空港鉄道からソウル地下鉄に乗り換えるのがすごく大変だったのです。しかし、数年前に地下連結通路ができてかなり便利になりました。
ソウル駅を出てみると……!
せっかくなのでソウル駅から外に出てみましょう。地上ソウル駅にはロッテアウトレットや、ロッテマートなどが併設されていて、買い物のお客さんもたくさん来ています。
ロッテスーパーは外国人観光客にも慣れているので、旅行最終日に少し早めにソウル駅まで来て、お土産はここでまとめ買いという使い方もできますね。
ソウル駅のロッテマートは商品名の日本語表示や買い物した荷物の海外発送にも対応しているので、韓国初心者やハングルが読めない人でも安心してお買い物をすることができます。
そのロッテマートのすぐ東側、階段を1階分降りたところにあるのが、冒頭のソウル駅旧駅舎です。これは、1924年に建てられたものです。
せっかくなので、このまま時間をさかのぼってみましょうか。
ソウル駅~時間旅行
鉄道開設当時「ソウル」駅は「南大門」駅だった。国立国会図書館より
今をさかのぼること約100年。この土地に鉄道が敷かれました。当時のソウル側の駅は「南大門(なんだいもん)」。今のソウル駅は「南大門」駅として誕生しました。
1918年の地図を見ると「なんだいもん」駅という名前で今の「ソウル」駅が書かれています。時は日本統治時代。この地図も朝鮮総督府により当時作成された地図です。
▲鉄道開通当初の「南大門」駅
当時はまだ大きな駅舎がなく、当時の資料ではこのような姿の「なんだいもん」駅が写されています。
▲建てられたばかりの頃の南大門駅。駅前広場は昔も今も変わらず
1924年になると、新しい駅舎が建設されます。これが、ソウル駅の旧駅舎ということになります。
こちらは1925年頃に撮影されたと言われているソウル駅です。当たり前ですが、駅舎の形は現在残っている旧駅舎と同じです。駅前の広場も以前の駅前に比べてだいぶ整備されたように感じます。
▲「京城」駅と名前を変えた「南大門」駅
1937年の地図では「なんだいもん」駅は「京城」駅へと名前を変えています。現代のソウル駅にだいぶ近い感じになってきました。複数の路線が入ってくる、一大ターミナル駅になっていることがよくわかります。
当時は、このまま義州(今の北朝鮮側の都市)のほうに延び、満州鉄道と繋がって満州地域まで続いていたそうです。漢字で「京城駅」と書いてあるあたりが、駅舎があったところでしょう。駅前の広場の向こう側には市電と呼ばれた路面電車の駅も見えます。
この当時は日本植民地時代ということもあり、ソウル駅の周辺の地名は日本式の地名に変えられています。吉野町、古市町、宝来町、御成町、南米倉町などの日本式の地名が見えます。
一方で西界洞や中林洞のように元々の地名(朝鮮名)の地名も混ざっているように見えます。韓国(朝鮮)では「町」にあたるのが「洞」なので、○○洞というのは○○町という意味になります。現代のソウルでも西界洞や中林洞はそのままの名前で呼ばれていますよ。
▲京城駅と自動車と電線。近代都市「京城」に
植民地時代がおわり、京城駅は「ソウル駅」と名前を改めました。「ソウル駅」の誕生です。
しかし、1950年に今度は朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争では、このあたりは激戦区になったそうです。もともと建物も多く発展した町だったソウル駅周辺は、市街戦では銃弾の飛び交う町と化したのでしょうね。
▲1950年代のソウル駅
そんな戦火にも耐え、残ったソウル駅とともに現代のソウルの発展がはじまります。1970年代の高度成長期には地方からの出稼ぎ労働者が次々と到着し、また、帰省シーズンにはお土産を抱えた帰省客がこの広場を埋め尽くしてソウルと地方とを行き来したといいます。
▲大きなバスターミナルが整備されたソウル駅前。今も昔も人々の交差点
現代に戻ってきました。今では、現役を引退したソウル駅(旧駅舎)は、各種の文化イベントを行う施設として活用されています。ソウル駅前広場は、バスターミナルが整備され広い道路、ターミナル、そして人々が集う駅前広場の3つに分割活用されています。
ソウル駅周辺お散歩
現在は、ソウル駅の北側から東側の一帯がビル群、南側は線路と大通り、西側は昔ながらの住宅街、そんな感じです。
▲ドラマ「ミセン」のロケ地として使われた「ソウルスクエア」
駅の目の前にドーンと立つのは「ソウルスクエア」ビル。2014年に大ヒットしたドラマ「ミセン(未生)」のロケ地として使われていました。日本でもリメイクされ「HOPE」というタイトルで2016年に放送されました。
ソウル駅の本当に目の前なのですが、このように、バスターミナルを挟んでいるので、ある意味ソウル駅からは近くて遠い存在なのです。
ソウル駅の南側は、大きな線路と大きな道路が南に走っています。その大通りと線路の間に、昔ながらの中小町工場のようなお店が細ーく並んでいます。昔は義足や義手などの製造所があり、職人さんたちが作ったリアルな義手などがすすけたショーウィンドウに飾られていましたが、最近ではかなり減りました。
代わりに増えているのが、生活支援センターです。実は、ソウル駅の周りはホームレスの方が多いところとしても知られています。以前から炊き出しのボランティアをする人も多いところでした。
景気が厳しいからか、それとも福祉に力を入れ始めているからか、炊き出しの他に職業あっせんや、健康相談窓口、職業訓練や日常生活支援の施設がずいぶん増えたように感じます。時間や曜日によっては、生活保護を受けることができたのかなと思しき人と支援者の方が、布団や最低限の日用品を抱えて、どこか新居に向かう姿も見られます。
新居というのは道路を挟んで東側、南山方面の一帯のようです。このあたりは、高層のオフィスビル、サラリーマンたちのための飲み屋があり、食堂街とともにいわゆるドヤ街でもあります。1か月2万円程度の家賃の小さな部屋だけを貸し出すような施設がいくつもいくつも並んでいます。
▲いわゆる「簡易宿泊施設」のひとつ
簡易宿泊施設は老朽化が進んでいて、倒壊の危険があると言われている建物もあります。それでも、住むところがないよりいいと居住している人もいるのもまた事実。ソウルの駅前にはソウルの光と闇が混在しています。
光と闇と言えば、ビジネスの町ソウルの顔とともに、庶民の生活の場という顔も見られるのがこのエリアです。
▲ソウルタワーが間近に見える市場「厚岩市場」
このあたりは昔から住んでいる人が多く、商店も個人商店を長くやっているという方が多いです。なので、買い物に行っても、どこかのんびりしていて、情を感じられる対応をされることが多いです。親しい近所のおじちゃんやおばちゃんのお店に、おしゃべりがてら何か買いに来た、そんな感じの接客をコンビニなどでもしてくれます。
懐かしいのはどうやら接客態度のせいばかりではなさそうです。
懐かしい街並みの町~時間旅行Ⅱ
ソウル駅のすぐ向かい、大きなビルの隣にこんな店があります。
▲昭和の子どもが小銭握って駄菓子を買いに来そうなお店
「おばちゃん。アイスクリームちょうだい」そんな声がきこえてきそうなお店です。21世紀のソウルなのに、どこか20世紀の日本を思い出すような……。ところがこれはまだ序の口のようです。
▲フアム市場の通りの手前にある、とても日本のアパートっぽい建物
大通りから南山方面に道を入ったところにあるアパートのような長い建物。昭和のドラマに出てきそうです。表側は今でも現役の町の食堂です。そう、この街は、日本式の家屋のたくさん残る場所なんです。
どうやらこのあたりは、植民地時代には住民の80%以上が日本人(内地人)という日本人街だったよう。当時建てられた日本式の家屋は朝鮮戦争やそのあとの開発などでだいぶ少なくなりましたが、それでもまだ現役で使用されているところが残っています。
せっかくなので、市場の通をぶらぶらしながら昔の日本式家屋と今のソウルっ子の台所を覗いてみましょう。
▲店員も客も顔なじみ、お友達関係のような市場の人々
飾り気のない八百屋さんは、段ボールに入ったままの野菜が積み上げられ売られています。柱には干した魚がぶら下がり、とても雑多な雰囲気を醸し出しています。店舗らしい整然とした雰囲気はまったくなく、テントを張った露店のようなたくましさが目立ちます。が、これも市場内の常設店です。真冬は寒さ対策のためにビニールの覆いを下げてさらにテント度を増します。
市場と言っても南大門市場のように観光客が来るわけでもないこの市場は地元生まれ地元育ちの人たちが日常の食品などを調達しに来るところ。ちょっと変わったものが欲しかったら南大門市場に行くんですって。ここの人たちにとって、南大門市場とフアム市場はふたつでひとつ、それぞれ補い合う関係だったようです。
▲緑の壁の日本式住宅は市場のすぐ後ろの路地にあった
市場の並びの隙間の道を入ると正面にこんな日本家屋がありました。敷地はかなり広めでほんのり緑色の壁が印象的です。
その昔、市場で商いをしていた人が住んでいたのでしょうか。家の前の路地は本当に狭くて、車はぜったいに入れない幅です。きっと車なんか必要のない人が建てたのでしょう。この家の並びは長屋みたいな造りになっていて、ドアなどはリフォームされていましたが、どう見ても日本の長屋。このうちが大家さんで、隣の長屋を人に貸していたのかも……。などと想像が広がります。
21世紀のソウルにいるのに、昭和の東京にいる感覚になったり、1930年代の息吹を感じたり…。昔の地図を片手に散策したソウル駅の周りは、積もった時間のモザイクが美しいところでした。