歴史に名を残す人物とは、偉業を成し遂げた人や人類にとって財産と呼べるものを残した人です。しかし、それに十分に当てはまる人物にもかかわらず、歴史に紛れて本流から外れてしまった人間もいます。
歴史の本流から外れてしまった背景には、当時の歴史的な背景というものもありますが、本人が表舞台に立つことを望まなかったと言われている場合もあります。「大野弁吉」という人も、そのような背景から歴史の表舞台に立たなかった人物と言われています。
今回は紹介する「大野からくり記念館」とは、表舞台に決して立たなかったからくり師・大野弁吉の関連資料と、後に日本が技術大国の始まりであるからくりに関する資料が展示されているところです。
大野弁吉って何者?
日本はアンドロイドやロボット技術は世界トップクラスといわれ、2016年12月には夏目漱石のアンドロイドが発表されました。この漱石アンドロイドがどのように社会に受け入れられていくのか研究するようです。ソニーのアイボやロボットが運営する「変なホテル」と、日本のロボットは人間とより身近にあるような気がします。
そのロボット技術の礎を築いた一人が「大野弁吉」です。
からくり師という枕言葉が大野弁吉にはついて回りますが、今でいうなら発明家や、機械エンジニアといった方が適格だと思います。彼は、19世紀の初めに京都の羽根細工師の息子として生まれました。その時代は現代技術の元になる発明が世界中で行われ始めていました。大野弁吉は20歳ごろに長崎に行き、蘭学を学んだあと、対馬に渡り朝鮮半島にも赴いたいわれ、その後京都に戻り、今の石川県金沢市大野町出身の中村屋八右衛門の長女うたと結婚し、からくり記念館のある大野町に永住しました。
東芝の創業者・田中久重
不正会計で話題となっている東芝。その創業者は田中久重という、大野弁吉と同年代に活躍した弁吉と同じ発明家であり機械エンジニアです。弁吉は彼に匹敵する技術を持っていたといわれています。田中久重も鼈甲細工師の長男として生まれました。
弁吉と同じような家庭に生まれていますが、彼はからくり人形の興行をし、東芝を立ち上げ天下に名前を知らしめました。その一方で弁吉は名声や名誉に無頓着で生涯清貧生活を送りました。
からくり人形の参考書 「機巧図彙」
大野弁吉と田中久重は生まれた家庭環境が似ているという点以外にも共通点があります。それは「からくり半蔵」と言われた、細川半蔵が制作した「機巧図彙」を参考にしている点です。大野弁吉はこの「機巧図彙」を模写し、田中久重は大切に保管したといわれています。
CADソフトもない時代に、ここまで精巧に機械の図案を製作できることがすごいです。
写真厳禁!「大野弁吉コーナー」
よって、写真はありません。ここは著者の拙い文章で我慢してください。
「大野弁吉コーナー」には大野弁吉の自筆である「一東視窮録(いっとうしきゅうろく)」の紹介があり、内容は火薬、大砲、医薬品の調合や製法、科学機器エレキテルボルダ式パイルの図式等々記されています。理系の方々なら高揚するような内容だと思います。
このコーナーの中で個人的に最も心惹かれたものは、写真技術です。大野弁吉は写真技術のパイオニアとして名高く、彼の写真は銀板ではなく、湿板写真です。この写真技術は1851年に英国のスコット・アーチャー氏が発明したことになっていますが、これよりも2年早い段階で弁吉は湿板写真を発明しています。
職人として活躍していた大野弁吉は、木彫りやガラス細工、蒔絵といった作品も残しており、手先の器用さを伺える作品が残っています。
からくり人形実演
からくり記念館では決まった時間にからくり人形の実演を行っており、実演に使われているものは復元されたからくり人形を使用しています。今回見せていただいたのは、からくり人形の代名詞とも言われている「茶運び人形」と「段返り人形」と呼ばれるものです。
茶運び人形
しずしずとお茶を運び、茶碗をお盆から持ち上げるとピタッと止まり、再び茶碗をお盆に戻すと、くるりと踵を返して元の所に帰っていきました。
澄ました顔が少し小憎たらしく見えるぐらい、滑らかな動きをします。おじぎのような人間らしい仕草もしてくれます。
ぺらりと着物の裾をめくると、人間臭い動きをしていた人形とは思えないシステマティックな中身に、度肝を抜きました。電池のような動力ではなく、ゼンマイ仕掛けで動きます。当時は鯨のひげをバネやゼンマイとして使い動力としていたようです。しかし、現代では高級品なので、代わりに金属のものを利用しています。
人形がくるりと踵を返し戻ったり、止まったりする仕掛けは、歯車に「カム」があることで可能にしています。ゼンマイ式時計の歯車に重なるように付いているあのカムです。もともと茶運び人形は、西洋からやってきた機械時計を応用して作られているので、カムがあるのも納得します。
段返り人形
このからくり人形は階段のようになっている段差を、バク転をしながら降りてきます。ゼンマイで動く仕掛けではなく、自身の重さで降りてくる仕掛けになっています。
うんしょ、
よいしょっと、降りてくる人形の中には砂時計の形をした筒が入っており、その中には水銀が入っています。人形の頭が下に向くと、水銀が移動する。つまり重心が移動することによってバク転をしながら、段差を降りることを可能にしています。
「日本は石見銀山をはじめとする銀山を有し、銀の産出国として有名でした。銀の抽出方法として、水銀を利用していた背景もあり、水銀は身近なものだったのかもしれない。」と学芸員さんが話しておりました。
おわりに
他にもからくりの歴史を知ることができるコーナーがあったり、技術者としての忍耐力と発想力を養える知恵の輪や、今ヨーロッパ系の観光客のハート鷲掴みにしているからくり箱が触れたりします。粘着質な著者はこれらに挑戦し、かなり長居してしまいました。よって、忍耐力のある方はや負けず嫌いな方にはお勧めの場所でもあります。旅行サイト等には家族向けと書いてあることも多いですが、理系の方はかなり楽しめる場所だと思います。