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    ソウルでは、難民のバラック村がおしゃれに変身しつつあります
    韓国

    「どこに住んでいるの?」「木洞」
    「会社はどこ?」「駅三(洞)」
    「ここ、どこらへん?」「三清洞」

    などなど、ソウルっ子たちの生活は「○○洞(日本でいうところの○○町に相当)」という単位でなっています。

    が、南山の東南の山肌に位置する龍山2街洞は『解放村』という通称名で知られています。ソウルのこのエリアは独特な歴史と独特な文化を持つ場所なのです。ここの“歴史”と“今”についてお伝えします。

    ソクたびソクたび

    「解放村」の今と昔

    解放村の歴史Ⅰ~1945年まで


    南山に沿って走るバスの停留所が解放村の入口(現在)

    解放村のある一帯は、1945年までは日本軍の基地でした。南山の東南の一帯を梨泰院(イテウォン)の近くまで軍用地として押さえていました。

    南山2号トンネルと3号トンネルの合流したあたりには射撃場もあり、付近は深い森だったのでしょう。

    解放村の歴史Ⅱ~朝鮮戦争の激動


    ソウル市立図書館より

    日本からの解放とともに日本軍が撤退したあと、基地はアメリカ軍が引き継ぎました。が、その後すぐに朝鮮戦争が勃発。多くの庶民たちが難民のようになって南へ南へと非難します。

    戦線の移動に翻弄されるように、多くの人々も北へ南へとさすらうことを余儀なくされたのです。

    1953年。休戦協定が結ばれ、38度線基準で南北に分断されます。この時、現在の北朝鮮地域出身者たちは故郷に帰りたくても帰れなくなりました。

    解放村の歴史Ⅲ~タルトンネの形成


    ソウル市立図書館より

    難民となったまま故郷に戻れなくなった(元)北の住民たちが目をつけたのは、森で覆われた南山の山肌でした。坂の多いソウルの中でもとりわけ坂だらけのエリアです。

    日本軍が撤退した後、放置されていた山の木を伐り、バラックで家を建て、沢の水を汲んで生活用水や飲料水にし……。やがて、同じような背景を持つ人たちによるバラック村が出来上がります。

    故郷に帰りたくても帰れない。帰りたいなどと公に言えない。そんな人が作る急斜面に面した月に近い町、タルトンネです。

    解放村の中の階段。急傾斜と階段が続く町

    苦しいながらも、やっと安心して生活ができる。誰が言い出したのでしょうか。いつだれからともなくこの地域を「ヘバンチョン(解放村)」と呼ぶようになりました。

    「解放村」で「新しく興そう」。タルトンネ「解放村」の中心となった市場を、人々は「新興市場」と名づけ、戦後を生き抜くのです。

    解放村の歴史Ⅳ~高齢化する解放村


    そんな解放村も戦後60年。バラック村からソウル市内の1つの街として発展させてきた世代も高齢に。町の中心ともいえる存在「新興市場」の主人たちも高齢のため1人また1人と廃業していきます。

    解放村はさすらい人の憩いの場

    解放村の南東にある梨泰院(イテウォン)。ここも一時期、活気を失いました。しかし、21世紀はグローバル社会。韓国政府は移民たちを受け入れる社会へと舵を切ったのです。

    外国人たちに住みやすいイテウォンの街は、異国情緒を楽しめる町として再び活気を取り戻します。そしてその波はすぐ隣の解放村へと。

    朝鮮戦争で故郷を失った人たちの町「解放村」。そこに新たに住み着いたのは異国から来た人々。国籍を超え、人種を越え不思議なコミュニティーが広がります。

    かつて、朝鮮半島北方の難民を受け入れた「解放村」は、コリアンドリームを夢見て流れてきた多くの国の人も受け入れます。そしてここに新たな文化が生まれていました。

    地元人のチャレンジ~コスモス食堂

    アーケードのように作られたトタンの屋根と廃業した店の暗さのせいか、どこか廃れた感じのする市場の中で目を引く入口を見つけました。

    縦書きで「コスモス食堂」。

    民家に入るのかと思うドアの向こうには長い長い廊下と、その先には階段が。白く塗られた壁は可愛いですが、この市場の雰囲気と長い廊下。少しだけ入るのをためらってしまいました。

    上がってみると店内は明るくかわいく。女の子好みのインテリアのこじんまりしたレストランでした。

    メニューのイラストもかわいらしい。

    2種類のカレーの盛り合わせとチャップステーキ

    野菜カレー8,000ウォン、エビカレー8,000ウォン。2種類のカレーの盛り合わせ9,000ウォン。チャップステーキ12,000ウォン。

    から揚げ

    サイドメニューにはコロッケとから揚げ。あれ? 韓国ではから揚げは日本式牛丼屋さんなどでしか見ないもの。珍しいです。

    メインのカレーもサイドのから揚げも、洋食で育った日本人にはほっとする味でした。

    5テーブルほどの店内はあっという間にいっぱいに。デートで利用のカップルや若い女性グルーブなどがおもな客層のようでした。

    古い建物を工夫してお店をつくっている

    キッチンに立っていたのはオーナーのお母さん。この町に長く住んでいるのだそう。色々聞いてみました。

    -カレーもから揚げも日本っぽかったんですが……
    ここ、日本式の食堂だよ。

    -でも、なぜなじみ深い韓国料理ではなくて日本食にしようと思ったんですか
    若い人はこういう料理好きじゃない?

    なるほど……。確かに若いお客さんが多いですね。しかし、古い市場の中に若いお客さんを意識したお店を作るとは。お店に出ていたフロアスタッフさんにも聞いてみました。

    -このお店はできてどのくらいですか
    4,5か月ほど経ちますね。

    -どういう経緯でここにお店が?
    オーナー親子も僕もこの町の住民なんです。オーナーがここにお店を作ったので僕も手伝っています。

    チャレンジを応援するコミュニティー


    登りたくないほどの廃墟感を醸していた階段は整備されて何かの展示会会場に

    市場の中を散策すると、新しい試みが芽を出しているのを見かけました。この市場で60年以上そうめん屋を営んでいるご主人に聞いてみました。

    -ご主人は長くここで商売をしていらっしゃるんですか。
    そうだね。もう60年以上になるよ。毎日屋上でそうめんを作ってここで売っているわけ。テレビにも出たことあるよ。

    -最近この市場には新しい店ができているようですね。
    最近は若い人たちが次々と店を開いていっているんだよ。以前は店がどんどんつぶれて、ほら、隣のうちみたいに店を改造して住宅になっていたんだけどね。今、店舗として残っているところは次々新しいテナントが入っているんだよ。

    -どうして急に注目を集めるようになったんでしょうか
    この先にタレントがやっている書店があるのとか、あっちにも、有名人の自宅がある……そういうことで見に来る人が増えているんだよね。それに、こんな雰囲気が好きって若い人とかも多いからね。

    -長く商売をしていらっしゃると市場もいろんな変化があったでしょうね。
    そうだね。最初の頃はバラックだったからね。ここ一帯。そこに、この市場ビルを建てたの。しっかりした建物を建てようって作って。普通は30年もたつと老朽化して使えなくなるけど、ここのは50年経ってもびくともしないよ。
    みんなで少しずつ権利をもって商売しているからね。道路に面しているところ。市場の内側にある店。上のほうの階は住宅になってるし。昔はこの通路いっぱいに人が通っていたんだよね。でも、また人が来るようになってきて……


    -新しい人が入ってきて、新しいスタイルの店を次々作っていくことについてはどう思われますか?
    もちろん! いいに決まっているじゃないか。いろんな人が入ってくるのはいいことだよ。

    -これからこの市場はどんな風になるんでしょうか
    この秋から、このトタンの屋根の張替え工事が始まるんだよ。本当は先月位くらいらやろうって話だったんだけど、梅雨に工事するとなると何かと大変だから秋から取り掛かることになったんだ。合わせて通路の道も歩きやすくするってことになったし。
    昔みたいな八百屋や魚屋などの店が並ぶ地域の台所としての役割はなくなっていくだろうね。代わりに、おしゃれな食堂とか新しい形態の店とかが増えていくんだろう。それでも、新しい風が吹くことはいいことだよ。

    新しいものを受け入れるのが解放村流

    激動の歴史に翻弄された人たちの居住地。ヨソモノとして寂しい思いをしながら根を張った居留一世の人たちは、新たな住民たちに対して温かかったです。苦労した人のもつ包容力というか温かさを感じました。市場の中では欧米系の芸術家の方が展示会も開いていて、この町はどんな背景を持つ人も暖かく受け入れる、そんな懐の深さを感じました。
    新しいものを受け入れるのが解放村流

    この記事を書いた人

    エナ

    エナライター / エナツアー主催

    横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの町歩きが大好きなネイリスト。ソウルの博物館、市場が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。

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