韓国チャンシン洞の縫製タウンはリピーターに行ってほしい
韓国

韓国リピーターの皆様。
「ソウルは何回も行ってて、もう行くとことないなー」という皆様!
チャンシンドン(昌信洞)をご存じでしょうか?
今日は韓国マニアック旅行初心者のためのおすすめスポット『チャンシンドン』をご紹介したいと思います。

東大門と昌信洞の深〜い関係

チャンシンドン(昌信洞)の最寄駅は、観光客にもおなじみの東大門駅(トンデムン-ヨク)。
何度かソウルに行かれた方ならよくご存じの場所でしょう。ファッションの町として有名な東大門はデパートのようなビルがいくつもならび、その中に数え切れないほどの店がひしめき合っています。

 

夜中になると、卸売専門のビルもオープンし、その姿はまさしく不夜城。眠らないファッションの町です。
東大門市場の中には生地市場もあって、薄いレースのような生地から鞄やカーテン向きの生地まで、圧倒されるほどの数と種類の生地が取引されています。

洋服の卸売市場でも、生地市場でも、歩いていると日本からのバイヤーらしき人の姿を見かけます。

 

ところで、東大門市場に並んでいる服はどこで作られているのでしょうか?   その大部分を製造しているのが、東大門市場から道を一本隔てた「チャンシンドン(昌信洞)」なのです。

昌信洞の歴史

昌信洞(チャンシンドン)は日本植民地時代、石切り場として知られました。ここから切り出された石は朝鮮総督府の建材などになりました。

 

植民時時代が終わり、朝鮮戦争が停戦になるとこの町の人口は一気に膨れ上がります。

1960年代や70年代、韓国の経済は急な成長を遂げます。その主体となったのは東大門市場の被服産業。

 

当時清渓川(チョンゲチョン)沿いに平和市場がオープンし、市場のビルの上層階にはたくさんの縫製工場が作られたといわれています。東大門の被服産業が巨大化するにしたがって、川沿いから奥へ奥へと新しい工場が建てられるようになりました。

 

川から奥に入ったエリアというのが、この昌信洞(チャンシンドン)なのです。田舎からでてきた十代の少女たちが朝から晩まで狭い作業部屋でミシンを動かし、服を作る。その服が東大門市場に並び、日本をはじめとした世界に輸出され……。韓国は「漢江の奇跡」といわれる高度成長を果たします。

 

2000年代になると、東大門のアパレル卸売そのものが観光資源となり、卸売のスタイルを取り入れた小売対応のファッションビルが次々とたてられます。

工場は清渓川(チョンゲチョン)沿いから少しずつ姿を消し、東大門市場は一大アパレル市場と変貌します。

 

東大門市場を支える縫製の町としての昌信洞(チャンシンドン)が完成するのです。

現在でもここ昌信洞(チャンシンドン)には3,000ほどの縫製工場が稼働しているといわれています。

そのほとんどがアパートの一室程度の小規模の工場です。70年代や80年代には10代の女工さんであふれていた昌信洞(チャンシンドン)。

現在は、50代60代の熟練工と、中国語を話す若手の職人さんによって支えられています。

2014年、鍾路区は「観光地化支援事業」の対象地として整備し始めました。

今の韓国を作ってきた人たちの忘れてはいけない記憶として、生きた町ごと保存しようということでしょう。

縫製博物館

昌信洞(チャンシンドン)の中ほど、町工場しかないようなところのどまんなかに縫製博物館があります。

まずはここで縫製業全般と、韓国における縫製産業について勉強します。

といっても、ハングルは読めないという方、安心してください。韓国の博物館の特徴は、文字が読めなくても大体のことが把握できます。

 

展示の仕方に工夫があって、写真やパネルが多く、まだ文字が読めない子供でも分かりやすい展示になっているんです。

ここで作られるさまざまな衣服。デザイナーさんの名前が添えられています。

奥には、昌信洞(チャンシンドン)を代表する職人さんについての紹介写真もあります。

 

職人さんの道具。そして手の技。

縫製の町として発達してきた様子は地図を使って説明。

 

昌信洞(チャンシンドン)の昔と……

今。

 

ここで注目していただきたいのが、説明書きの部分。ハングルが少し読める人ならぜひともチャレンジしてください。

大きな文字の下に小さな字で、「A」「あ」と書いてあります。縫製産業でよく使われる言葉についての説明書きなのですが、英語と日本語の該当する言葉を書いているんです。

 

英語がアルファベットなのに対して、日本語の部分はなぜかハングル文字ですけど……。

ミツマキ

チドリ

ニホンバリ

 

今ではそんなの使わないよ、というような古い言い回しを中心にハングル文字で書かれているみたいです。

 

続いて縫製業界の専門用語を一般向けに説明している個所では……。

マトメ
シアゲ(シヤゲ)
グチ
ワキ
ホシ
キューキュー
ナナインチ

どこか日本語っぽい言葉が並びます。書かれている説明部分の韓国語を読むと…。

マトメ … 仕上げ作業の一種
シアゲ(シヤゲ) … 最終仕上げと配達(配送)
グチ  … ポケットなどの口の部分の処理
ワキ  … わきの部分や腰、肩の部分の加工
ホシ  … 間隔の広いステッチ
キューキュー… 端の部分をくるっと丸く作ったボタン穴
ナナインチ … 一直線の形で作ったボタン穴

う~ん。日本語の意味と似ている。

それもそのはず。現代の韓国語の中には、植民地時代とその後の高度成長期の技術導入の影響で、職人さんが使う言葉を中心にかなり日本語由来の言葉が残っているのです。

 

「純粋韓国語を使おう」運動も起きているようなのですが、慣れ親しんだ言葉を急に変えるのは難しい。

特に、職人さんが使っているような言葉は、伝達が失敗すると大きな損失が出たり危険を伴ったりするため、なかなか新しい「韓国固有の表現」が定着しないという事情があります。

 

職人さんの世界を覗くことは一観光客の立場ではなかなかできることではありません。ところが、この博物館ではそれができてしまうんです。

とはいえ、本当にこんな日本語由来の言葉を使っているの? ニュースで見る限り、韓国はかなり反日度が高いから、これらは博物館だけに展示してある過去の遺物なのでは?と思われますか?

 

町全体が博物館で資料館

では、町に出てみましょう。

町のいたるところに看板があって、道端で立ち止まりながら、この町について知ることができるようになっています。

こちらは縫製業界の二十四時間。

注文を受けたものを各分野の専門工場で順次加工しながら製品にしていく過程が書かれています。

 

今着ている服も、こうやっていくつもの小規模工場や多くの人の手を経て作られたんだなぁとハッとさせられます。

こちらには、町の歴史についての説明が。場所は町工場の駐車場の入口です。

会社はそれぞれ統一されたデザインの看板がつけられています。

会社ごとに、どんな商品を扱っているのかが絵で描かれていて、上にはキャッチフレーズと会社名、下には連絡先。

とてもおしゃれです。

 

あ、出てきました。大きな看板にでかでかと書かれた「わき」

 

こちらは「くち」

 

頭上に見えた、建物2階の工場の窓には「だいまる」

 

「だいまる」の左隣は「ハチョン」。これは漢字で書くと「下請」。その隣も漢字で書くと「客工チーム」、「オーバー士」「裁断士」「した(誰かの下でアシスタントをする人)」「ミシン士」
こちらは韓国語と日本語が混ざった韓製日本語です。

年季の入ったこちらの看板には「しやげ」

日本語を母語にする職人さんが「しあげ」というのを聞いて覚えた職人さんたちが「しあげ」を「しやげ」と解釈して韓国語に取り入れた例なのでしょう。

ディープな職人の町は見どころたくさん

ちょっとだけハングル文字が読めたら楽しみが倍増する昌信洞(チャンシンドン)。

昌信洞(チャンシンドン)の見どころはそれだけではないんです。

断崖絶壁の上には駱山公園(ナクサン公園)という公園があって、そこからの景色はソウル有数の写真スポット。

東大門駅側には昔ながらの市場も健在です。

いかにも職人さんたちの町の、職人さんたちのための台所という風情の昌信(チャンシン)市場の品ぞろえはB級グルメの宝庫という風情でした。

また、ここには、韓国最初の大衆サウナがあるそうです。仕事を終えた職人さんたちの憩いの場なのでしょうね。

 

東大門駅からマイクロバスサイズの「マウルバス 鍾路03」番に乗ると駱山公園まで連れて行ってくれます。

そこには、区が用意した観光マップ看板があり、写真を撮ってそのマップを頼りに散策することもできます。

チャンシンドンと(上)お隣のスンインドン(下)

ただしものすごい高低差のあるきつい坂道ですので、歩きやすく転んでも大丈夫なくらい身軽な服装で楽しまれてください。

昌信洞縫製博物館
서울특별시 종로구 창신4가길 26
ソウル市 鍾路区 昌信4街ギル26
公式HPはこちら
開館時間:10:00-18:00
休館日 :毎週月曜日

この記事を書いた人

エナ

エナライター / エナツアー主催

横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの町歩きが大好きなネイリスト。ソウルの博物館、市場が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。

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