ボリビアには、日本語しか話せない人が実はたくさんいます
ボリビア

日本からはるか遠く、地球の裏側の国ボリビア。他の南米の国と同様にスペインの植民地であった過去があり、公用語はスペイン語です。

ほかにインカ帝国から伝わる少数言語のケチュア語やアイマラ語、グアラニー語を話す方も居ますが、大多数の人はスペイン語を話します。

そんな日本と馴染みのない国に思える南米のボリビアですが、日本と非常にゆかりのある場所があります。そこには日本人がたくさん住んでいて、日本語しか話せない人もたくさんいるんです。

日本を思い出すボリビアのある場所を、ボリビア在住のZICが今回ご紹介します。

ボリビアにある日本人が住む場所! サンファン日本人移住地


ボリビアには日本人移住地とされる場所が2つあります。1つは第二次大戦後、沖縄からの移住者がつくった町、オキナワという町です。

そしてもう1つがサンファン日本人移住地と呼ばれる場所です。ボリビアの現地の人はコロニア・ハポネサ(日本人移住地の意)と呼びます。

サンファン日本人移住地に行くには、ボリビア第二の都市サンタクルスから150㎞ほど。車で2時間30分ほどの場所にあります。

サンタクルスから北上してモンテーロという町を経由し、そのモンテーロからさらに1時間30分ほど進んだ場所にサンファン日本人移住地はあります。

60年を超える歴史! 移住民の開拓史

はっきり言って、観光地ではありません。これといった見どころはなく、ただ普通の町です。それがこの日本人移住地の良さでもあります。町の人口は半分が日本人、半分がボリビア人だと言われています。

個人的に驚いたのは、町に排水溝があること。おそらくボリビアで唯一排水溝のある町かもしれません。こういった日本人の細やかさが町に表れています。

サンファン日本人移住地の中心の広場近くに清掃員が居ます。これもボリビアの町ではなかなか見られない光景です。

町の中心には市役所があり、歴史資料館もあります。60年を超える移住史の過酷な歴史を見ることもできます。

移住の歴史は1950年代にさかのぼります。当時この場所はジャングルだったそうで、そこから移住者たちの過酷な開拓の歴史が始まりました。

テントを張って生活し、ピューマやアナコンダが出たり、水害や病害に悩まされ、ジャングルを切り開き、なんとか町をつくり今の形に至ったそうです。

土地はたくさんありましたから、地道に開墾を続け、今では、米や大豆や麦といった作物を育てたり、養鶏場や魚の養殖をされている方もいます。

様々な商品をプロデュースして豊かな暮らしができるようになったそうです。ここまで来るのに多大の労力と血と涙を流したそうです。

外国を旅行中に癒される、日本語が通じる場所


観光地ではないこのサンファン日本人移住地ですが、もしボリビアを訪れることがあるなら、ぜひ立ち寄ってほしい場所です。

普段、海外を旅行していると、言葉の壁や習慣の違いに戸惑います。「日本だったら」「日本語が通じたら」なんて思ってしまうこともしばしば。

サンファン日本人移住では、そんな思いを忘れることができます。ここには7~800人の日本人が住んでいると言われていて、いわゆる日系2,3世だと日本語しか話せない人が多く居ます。この町では、出会う人と日本語で会話ができるんです。

それだけではありません。美味しい日本食を食べたり、懐かしいクリームパンやアンパンを買うこともできます。日本の風を存分に感じられる場所です。

この町で出会う人と友達になってください。同じ日本人であること、日本語で話せることをとても喜んでくださります。60年を超える歴史が紡いできた日本の心がここにはあります。

同じルーツを持つ日本が存在する地球の裏側の小さな町、サンファン日本人移住地。ぜひ、ボリビアに来た際には立ち寄りたい場所です。

サンフアン移住地

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ZIC

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南米ボリビア在住。ウユニ塩湖以外にも見どころはたくさんあり、現地から見つめた旅の情報を楽しくお伝えできればと思います。また南米各地の魅力あふれる情報もお伝えしたいと思います。

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