海の匂いが風に乗って、わずかに鼻腔へとどく。
遠く潮騒が聞こえてくるほかは、丘の上へ徐々にあつまってくる人々の足音しか聞こえない。
その音も降りつもった雪に吸い込まれて、あたりは静けさにつつまれている。
夜が近づいてくる。
空と、海と、一面の雪は、うすい青から、だんだんとその色を濃くして染まってゆく。
内側からほんのりと光を発するような、やわらかな青色に。
その光は、澄んだ外気を、そのまわりだけなんとか溶かそうとするようにゆらめくろうそくの炎に、いっそうかがやきを増す。
「雪明りだよ。
案外に明るくて
もう道なんか無くなってゐるが
しづかな青い雪明りだよ。」
伊藤整『雪あかりの路』―「雪夜」
「雪あかりの路」を知っていますか?
冒頭で引用したのは伊藤整の「雪夜」という詩の一節だ。
伊藤整といえば小説家・評論家として、あるいは翻訳家として国語や歴史の教科書を思い起こす人も多いだろうか。
北海道に在住していた幼年~青年時には主に詩作をしており、小樽を代表する文学者でもある。
そして小樽市では、この伊藤の詩に着想を得て、毎年2月にキャンドルで冬道を照らす「雪あかりの路」が催されている。
「雪あかりの路」は今年で19回目を迎える市民手作りのイルミネーションだ。
小樽運河沿いの「運河会場」、旧手宮線沿いの「手宮線会場」のライトアップを中心として、その年ごとに花火の打ち上げやライブ、コスプレ写真撮影会など様々なイベントが企画されている。
特に冬の運河に「浮き球キャンドル」が浮かぶ景色は「さっぽろ雪まつり」同様に年々知名度が増し、訪れる人は今や50万人を超えるという。
運河会場。土曜日ということもあり、大盛況。
かきわけて、かきわけて、腕をのばして運河の写真を撮りました!
期間:2017年2月3日(金)~12日(日)17:00-21:00
伊藤整ゆかりの地・塩谷会場
盛り上がってこそのイベント。
「雪あかりの路」のために国内や海外から多くの人が訪れ、楽しんでいるようすは、ここに住むものとして素直に誇らしい。
しかし、近年のイベントの熱気は、伊藤の書いた「しづかな雪明り」とは少々趣が変化してもいるようだ。
そこで今回は2月4日(土)・5日(日)にわたって開催された「塩谷雪あかりの路」へ出かけてきた。
この塩谷会場は、小樽駅から車で20分ほどかかる。公式ガイドブックでは取り上げられていない、メーンの会場から離れた場所で開催されているのだ。
小樽から塩谷方面に向かうと、羊蹄国道沿いに伊藤整文学碑のあるゴロダの丘への入り口がある。看板と、こちらの手作りの看板を目印に、会場へ向かおう。
「しづか」に明かりが花開く
伊藤整が小樽時代を生活していたゆかりの地・塩谷会場でのライトアップは、今年で9回目をむかえる。
400~500個のランタンが設置された、規模の大きな会場だが、なんと中心となって運営しているのは20人にも満たないボランティアスタッフの方々。
11月ごろから会場の広場の木々の枝打ちをし、氷のランタンとろうそくの準備をした。
陽の傾く16時ころから、1時間ほどかけて、ひとつひとつていねいに火が灯されてゆく。
この日会場に到着したのはもうすぐ17時になるというあたり。幸せなことに、闇がおりてくる速度と同じくして会場にともっていく灯りをゆっくりとながめることができた。まるで夜が来ると開く花を見ているようだ。
時間とともに変化していくうつくしい青。
ちなみにろうそくは大きいものが4時間、小さいものが2時間ほど燃えているという。
開場のあいだ、灯りが絶えないのも、会場をつくる人々が火の世話をつづけてくれるおかげだ。
手作りの「雪明り」に惹かれて
訪れた2月4日は開催初日だったため、点灯式が行われた。
碑の周りの灯りだけは、ライターを使わずに一から火起こししたもの。
文学碑が明るく照らされると、塩谷小学校の子どもたちによる校歌の斉唱(伊藤整による作詞)があり、会場では甘酒がふるまわれた。
甘い汁をすすりながら手をあたためているといつの間にか会場はすっかり暗くなっている。
枝から吊るされた氷のランタン。
これは蜂の巣状のろうそくのかまくら。
内側からオレンジに光る雪玉。いろいろなアイデアが楽しい。
こちらの会場に来るのは、子どもたちをはじめとする地域の人々で、観光客は少ない印象。
ただ、カメラを構えている人の姿も多く見られた。聞けばこの場所をカメラに収めるため、はるばる国内各地から集まっているそう。
ここに来るまでの凍った細い斜面を車で登るのは、はじめての人には酷かもしれない。皆どのようにここを知って集まるのだろう。
「雪あかり」の世界へさらに浸るなら
冬の夜に光る雪を毎年、毎日のように見ていても、「雪あかりの路」に参加して、あらためてそのうつくしさに感動した。
なにより塩谷会場を訪れてつよく感じたのは、あたりまえのことだが、人の手によってつくりあげられたイベントであるということ。心がほっこりあたたかくなった。
もしも自分が「雪夜」の作者であったなら、すごくうれしいだろうと思う。
▲旧郵政省小樽地方貯金局の建物が利用されている
さて、記事を通して伊藤整に興味をひかれた・もしくは伊藤を愛読してきたブンガク好きに、最後にもうひとつだけ勧めて記事を締めくくろう。
小樽市には伊藤をはじめとして、小林多喜二や石川啄木など小樽にゆかりのある文学者の資料を所蔵した文学館がある。こちらもぜひ併せて訪れてほしい。
伊藤の仕事場を再現した一角。
古書はひとり5冊まで持ち帰ることができる。寄付をわすれずに。
併設のカフェ。こちらもお代は自分で決めて貯金箱へ入れる仕組みになっている。