セルビア人とクロアチア人ってどうして仲が悪いの?
クロアチア

こんにちは、ライターの新田です。クロアチアを旅していると「どうしてセルビア人と仲が悪いのか」と日本人旅行者から聞かれます。クロアチア人とセルビア人は複雑な関係です。今回は知られざるクロアチア人とセルビア人との関係を見ていきたいと思います。

クロアチア人、セルビア人とは? 


▲セルビア人が使用しているキリール文字

クロアチア人、セルビア人は共に南スラブ語群に属するスラブ系民族です。ロシア人やポーランド人とは親戚のような関係になります。クロアチア人とセルビア人は外観だけでは判別がつきません。どちらも同じように見えます。異なるのは宗教と使用している文字です。クロアチア人はローマ・カトリックを信仰しています。

それに対して、セルビア人はギリシャ正教の流れを汲むセルビア正教を信仰しています。クロアチア人はラテン文字を使用するのに対し、セルビア人はロシア語と同じキリール文字を用います。一応、クロアチア語とセルビア語は別言語ですが、同じ言語のように意思疎通ができます。

クロアチアに住んでいたセルビア人 


▲ドゥブロヴニクにあるセルビア正教会

かつて、クロアチアにはボスニア・ヘルツェゴビナ国境近くとセルビア国境近くにたくさんのセルビア人が居住していました。多くのセルビア人がクロアチアに居住するようになったのは18世紀頃です。当時、クロアチアとボスニアの国境はハプスブルク帝国とオスマン帝国の国境でした。

ハプスブルク帝国はオスマン領から逃れてきたセルビア人を国境付近に住まわせるようにしたのです。国境付近の一帯を一般的に「軍政国境地帯」と呼ばれています。

19世紀頃までは「クロアチア人」「セルビア人」という意識もなく、平和に暮らしていました。しかし、19世紀中頃になると「民族」や「宗教」が強調され、「クロアチア人」「セルビア人」という意識が互いに生まれるようになりました。

対立が先鋭化したのは20世紀になってから 


▲第一次世界大戦後に活躍したラディチ

第一次世界大戦の終結後、クロアチアとセルビアは隣国のスロベニアと一緒に「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人王国」を建国します。首都はセルビアのベオグラード。王様はセルビア人が即位しました。なぜなら、19世紀にセルビアは独立国になっていたからです。それに対し、クロアチアは大国に支配されていました。

▲ヤセノヴァツ強制収容所跡

当初からセルビア人を中心に政治が進められ、次第にクロアチア人は不満を持つようになります。そして、第二次世界大戦が勃発。クロアチアはナチス・ドイツの協力を得て「クロアチア独立国」を建国します。

それに対し、セルビア人はナチス・ドイツに占領されました。クロアチア独立国は領内のセルビア人を虐殺。ボスニア国境付近にヤセノヴァツ強制収容所を作り、多くのセルビア人とユダヤ人を虐殺しました。

いろいろありながら平和に暮らした両者 


▲チトー

戦後「友愛と団結」をスローガンにクロアチア独立国や民族主義者に勝利した人物がユーゴスラビアを建国しました。それが、チトーです。チトーは徹底的に民族主義を禁じ、「ユーゴスラビア」を建国することで諸民族の友愛と団結を目指したのです。クロアチア人とセルビア人は互いに争わなくなり、民族を超えた交流も見られました。

しかし、全てが順風満帆ではありませんでした。1970年代にはクロアチアの自治拡大を目指す運動「クロアチアの春」が起こります。タブー視されていたクロアチア独立国の見直しを求める声も出ました。

これに対し、チトーは運動を徹底的に弾圧。その代わり、各共和国の自治拡大を目指した憲法を新たに制定しました。ユーゴスラビアは全ての分野において分権化を徹底したのです。

経済の悪化から紛争へ 


▲トゥジマン

1980年代、経済政策の失敗により、ユーゴスラビアの経済は急速に悪化しました。その中で、問題を解決するために各共和国の自治縮小が議論されまたのです。そこで、登場したのがセルビアのミロシェビッチです。

ミロシェビッチはチトー時代にはタブーだった民族主義を利用。急速にセルビア人の支持を集めてる一方、セルビア領内にあった2つの自治州(ヴォイヴォディナ/コソボ・メトヒヤ)の権利を縮小しました。

セルビアの動きに対し、クロアチアもユーゴスラビアからの独立を求めるようになります。クロアチアでは歴史家であったトゥジマンが台頭しました。トゥジマンは「クロアチアの春」の際に、クロアチア独立国への評価見直しを求めた人物です。この頃から、クロアチア領内ではクロアチア人とセルビア人との小競り合いが始まったのです。

1991年、クロアチアはユーゴスラビアからの独立を宣言しました。しかし、トゥジマンはクロアチア領内のセルビア人に何の配慮もしませんでした。セルビア語をクロアチアの公用語から外し、セルビア人を次々と要職から外したのです。

そして、セルビア人を虐殺したクロアチア独立国の再評価に言及したのです。独立に対し、セルビア人は激怒。セルビア人はクロアチア領内にセルビア人の自治区「クライナ・セルビア人共和国」を作りました。

▲ヴコヴァル

セルビアのミロシェビッチはクロアチア領内のセルビア人を支援する目的でクロアチアに侵攻。多くのクロアチア人が亡くなりました。特に、セルビア国境に近いヴコヴァルでは多くのクロアチア人が亡くなりました。世界遺産で有名なドゥブロヴニクも甚大な被害を受けたのです。

1995年、トゥジマンはクロアチア領内にあった「クライナ・セルビア人共和国」を壊滅するために、軍事作戦「嵐作戦」を決行。見事、作戦は成功し、クロアチアは国土統一を果たしました。しかし、この作戦により、クロアチア領内に住んでいたセルビア人が殺され、家を追われたのです。

最後に 


現在、政治上ではクロアチアとセルビアとの関係は正常化していますが、住民レベルでは「まだまだ」といったところです。このように、見ていくとクロアチア人とセルビア人との関係が悪化した理由が複雑であることがわかります。

セルビア人、クロアチア人関係改善の鍵は教育 

セルビア人とクロアチア人が仲良くなるには教育が大切だと思います。過去にあった悲劇をどのように次世代に伝えていくか。これが難しくかつ重要です。もしかすると、このテーマはセルビア、クロアチアだけでなく、世界全体に突きつけられている課題かもしれません。

この記事を書いた人

新田浩之

新田浩之鉄道&中東欧旅行研究家

1987年生まれ。神戸市在住。専門は鉄道と中東欧です。国内では鉄道系イベントの取材、国外では中欧、東欧、ロシアの歴史スポットを訪ね歩いています。

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