先日、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア系元政治家で、ボスニア戦争時の戦犯として裁判にかけられていたカラジッチに有罪判決が出たとのニュースがありました。
まだ記憶に新しいそのボスニア戦争を背景としたセルビア映画、「ライフ・イズ・ミラクル」をみなさんご存じでしょうか。
戦争というと暗く重たいイメージですが、この映画は全くのコメディ。
バルカン・ジプシー音楽に乗って、とぼけた登場人物たちとたくさんの動物が大騒ぎします。
その舞台となった土地が、撮影が終わった現在も映画村として存在しているのです。監督が「だって気に入っちゃったんだもん」という理由で、映画のセットそのまま、撮影後に購入して村を作ってしまったというからなんとも豪快。
今回はその村を訪れてみました。
セルビアについて
今回ご紹介する村はボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアの国境近くの、セルビア側にあります。
セルビアはバルカン半島の中心部に位置する山がちな内陸国です。
首都はベオグラード。
べオグラードとはセルビア語で「白い街」という意味なのですが(べオ=白い、グラード=街)、14世紀にオスマン・トルコがここに攻めてきた際、白靄にかすむ早朝の街の美しさに心を奪われその日の襲撃を中止した、という有名な逸話もあります。
(ベオグラードの町中でよく見かけるストリートアート。左下にはロビン・ウイリアムスの似顔絵も。)
170万人の人口を誇る、バルカン半島の中でも大きな都市であるにも関わらず、地下鉄はありません。
いろいろな理由を聞きましたが、一番面白いなと思ったものは、「ドナウ川とサヴァ川という国際的な水路が合流するこの都市は、戦略的に重要な拠点になるとして昔から数々の大勢力による征服にあった。そのため、戦いの度に繰り返される爆撃のせいで、過去の都市の瓦礫が何層にも積み重なっていて地下を掘れないから」、というもの。
爆撃と言えば、1999年のコソボ紛争の際もベオグラードはNATO軍の爆撃を受けました。
その時に壊された建物は今でもまだ片づけられることなく、街の中にそのまま残されています。
そういうのを見ると、その地下鉄を掘れない理由もなんか納得してしまうというか、この国では地下に過去の瓦礫が積み重なっていると言われても、別に驚くことではないのかもしれません。
(ベオグラード中央駅からすぐ近くの大通り沿いに残されている建物。)
セルビア旅行の入門編はこちら→セルビア旅行の注意点 温厚なセルビア人でも周辺諸国には敏感!? | TRIP’S(トリップス) の記事に譲るとして、早速映画の舞台となった、ドゥルヴェングラード(別名クステンドルフ、なぜかドイツ語)へ向かいましょう。
いざ、不思議な村「ドゥルヴェングラード(クステンドルフ)」へ
ドゥルヴェングラードは小高い丘の上にあります。
ツアーで訪れる以外のもっとも一般的な交通手段は、ここドゥルヴェングラードから40kmほどのところにあるウジツェという町からバスか乗り合いタクシーとなります。
その場合ドゥルヴェングラード下の道で降ろされるので、頑張って丘を登ってください。
(ドゥルヴェングラードの看板ではないけれど、入り口のところにあった看板)
さぁ、つきました。
いざゆかん、映画の世界へ!
と浮き足立っているところへ、「入場料250セルビアディナール(≒260円)よろしくネ」としっかり係の人に徴収され、ちょっと出端をくじかれます。
現実離れした物語の村のはずが、そこらへんは意外と現実的というか。
そういうバランス感覚がセルビア(というかバルカン)ぽいなと思います。料金設定も現実的だし。
この村の建物はセルビアの伝統的な家のつくりでできていて、すべて木造です。
実は、ドゥルヴェングラードという名前は木の街という意味。
ちなみに別名の「クステンドルフ」とは、この村を作った映画監督エミール・クストリッツァの名字「クストリッツァ」と、ドイツ語の村という単語「ドルフ」を合体させたもの。
レストラン、カフェ、ケーキ屋、教会、映画館、ホテル、土産物屋、プールにジム……となんでもござれの映画村。
各通りや広場や施設には監督が好きな人たちの名前が付いているという、個人の趣味むき出しの仕上がりをお楽しみください。
(ここはイラン出身の映画監督、アッバス・キアロスタミの名前がついた広場。 このほかにも、二コラ・テスラ(セルビア出身の発明家、セルビア人の誇り)通り、ジム・ジャームッシュ(アメリカの映画監督)通り、ニキータ・ミハルコフ(ロシアの映画監督)通り、イングリッド・バーグマン(「カサブランカ」の主演女優)通り、イヴォ・アンドリッチ(ユーゴスラビアの作家)通り、フェデリコ・フェリーニ(イタリアの映画監督)……などなど。)
家の壁には、チェ・ゲバラやマラドーナの似顔絵も画いてあります。
映画館の名前はなんと「スタンリー・キューブリック(『時計じかけのオレンジ(映画)』の映画監督)」です。
(二コラ・テスラ通りにあるスタンリー・キューブリック映画館)
ここではエミール・クストリッツァ監督の作品が独占上映されています(というかそれしかない)。
映画を見ようと思い行ってみると閉まっていたので、そこら辺にいた人に尋ねると、「5人集まらないと上映しない」とのことでした(あれ、似たような話がどこかでもありましたね)。
わたしが訪れたときは真冬だったので、村には他にお客さんがおらず、見ることができませんでした。
レストランは「ヴィスコンティ」。
こちらもイタリアの映画監督の名前をあしらったもの。
店内はお上品でムード満点。
ピザにケチャップがついてこなければ、自分がセルビアにいることを一瞬忘れてしまいそうでした。
幻のジョニー・デップ像
わたしがドゥルヴェングラードを訪れた一番の理由は、「ジョニー・デップの(全く似ていない)等身大の銅像がある」と聞いて、それを見るためでした。
それが、2月の雪が降る中、村中どこを探してもない。
(ドゥルヴェングラードから見える景色。監督がこの場所を気に入ったのもうなずける。)
再びそこら辺にいた人に尋ねると、「あぁ、それは去年撤去したよ」とのことでした。
ジョニー・デップファンの方、どうかお気を付けください。
そもそもなぜセルビアにジョニー・デップの銅像があったのかというと、1994年にエミール・クストリッツァ監督はジョニー・デップを主演に「アリゾナ・ドリーム」という映画を撮りました。
その縁で、毎年冬にこの村で催される国際映画祭(Kustendorf International Film and Music Festival)に2010年、ジョニー・デップが訪れました。
ジョニー・デップの銅像はその時に作られたそうです。
この映画祭にはその他、先ほどの監督お気に入りリストにも登場したジム・ジャームッシュやニキータ・ミハルコフも過去に訪れています。
2009年には日本人の映画監督が最優秀短編映画賞に輝きました。
今年の様子はこちらから→Kustendorf Film and Music International Festival(英語です)
いかがでしたか。
エミール・クストリッツァ監督はサラエボ出身。
ユーゴスラビアが崩壊し、ボスニア戦争で故郷をなくしたため、「自分の村を作りたくて」ここにドゥルヴェングラード(クステンドルフ)を作ったそうです。
(ドゥルヴェングラードの近くには、鉄道も走っています。上からみると線路の形が8の字に見える。もともとはサラエボからベオグラード間を運行していましたが、1974年に廃止。現在はこの村周辺の区間のみ観光用として復活しています。)
(村の施設で母親が働いている間、子供は猫と遊んで待っていた。)
バルカン半島は過去にいくつもの紛争を経験し、今もなお街のいたるところでその傷跡を目にすることがよくあります。
けれどそんな中でも人々は、いつも楽しいことを模索して喜びを見出すパワーを持っています。
ぜひ一度その空気を感じに訪れてみてはいかがでしょう。
わたしが行ったルートは以下の通り。
サラエボ→ウジツェ→ドゥルヴェングラード
サラエボからはサラエボ東バスターミナルより毎朝6時発チャチャック行きバスがあります。ウジツェは終点チャチャックの手前。
ウジツェからはサラエボ行きバスに乗り、途中モクラ・ゴラで下車、徒歩でドゥルヴェングラードを目指すか、宿で乗り合いタクシーを注文するかで行けます。乗り合いタクシーの場合は、村の入口か村の下の道で降ろされます。
ウジツェからの日帰りが可能。
ドゥルヴェングラードにはホテルもあるので宿泊もできます。