「アートとわたし、ふたり旅」
そんな看板を背負って書き始めることに。第1話、何を書こうか頭を抱えました
……なんてことはなく。迷いなく、このお話をさせていただくことにします。
“死ぬまで行き続けたい美術館”のハナシ。
よく、「死ぬ前に1度は訪れたい世界の絶景!」とかあるじゃないですか。
でも正直、ほんとに感動した場所って1度じゃ満足できないというか。わたしはよくばりなので、命の許す限り何度でも訪れたいのです。
出会いは2013年夏のこと。友人と一緒に訪れた瀬戸内国際芸術祭。
瀬戸内海の島々に照り付けるのは、身も心も丸焦げにするかのような鋭い日差し。
そんな太陽の中、干からびながらも目黒区ほどの小さな豊島(てしま)の山道を、自転車よろめかせ、漕ぐ、漕ぐ。
その山道の途中にあるのが、〈豊島美術館〉。
展示物のことなど何も知らず、ただ、丘の上に建つ水滴のごとく丸いなめらかなフォルムに惹かれたから訪れただけの場所だったのに、「美術館」の概念を気持ちいいくらい捻じ曲げられることになりました。
係員のお姉さんが配っていた整理券はすでに1時間半ほど先のもの。
他にも見たい作品があったし(しかもそこそこ離れた場所に)、レンタサイクルの返却時間というリミットの中にいたものだから、見るのにどのくらい時間がかかるか聞けば、
「うーん………15分くらいで帰る人もいれば、1日中いる人もいますね。」
差がありすぎてわけがわからない。一体どんな美術館なんだ。
一応受け取った整理券の時間に戻ってきて、さらに敷地内で並ぶこと15分ほど。
あの、なんとも言えぬ形をしたコンクリートの建造物は、トンネルのような入口からはじまる巨体を大地に横たえていました。
コンクリートなのに土足厳禁で、外から中を見やれば、美術館だよね?と問いたくなるような、開放的な空間があるだけ。
疑いながらも足を踏み入れたら、すべてが腑に落ちました。
そこには確かに、アートがありました。
天井に大きく開いた2つの穴。それぞれの穴の下に、大きな水たまり。床にはいくつもの水滴。
その水滴たちが、離れたりくっついたりしながら灰色の床の上をぬるりぬるりと水たまりに向かって這って行くのは未だかつて見たことのない“水”の姿で、なんていうか…すごく、色っぽい…
心がギュウウウとなる感覚。
こうして思い出しながら文字にしているだけで心拍数が上がる…!
そして力強くよみがえる昂揚感と、再訪の欲求。今すぐ飛行機に飛び乗ってしまいそう。
あの水滴の動きをずっと見ていたらなんだか泣きそうになって、でももし涙が落ちたら、ほかの水滴のように水たまりに向かっていくのかしら…
ロダンの地獄の門のような迫力があるわけでも、ダリやピカソの絵のような超人的な才能を感じるものでもない、ただの水。
蛇口をひねればざあざあ出るような、空からだってぽつりと降ってくるようなそれが、あそこではまぎれもなく芸術となっていました。
アートが何かというのはすごく哲学的で難しいハナシ。
ですが、豊島美術館と出会って思ったのは、琴線に触れたらそれはアートなんだろうということ。たとえそれが、なんでもない水であっても。
多分世の中には、旅先に美術館があったとして、行こうかなと思うか選択肢に浮上すらしないかという2種類の人に分けられるのではないでしょうか。
わたしは前者のタイプなわけですが、それは多分「心がふるふる震える感覚が楽しいから」なんじゃないかと。
どんなものがあるんだろうっていうわくわくとか、予期せぬ作品に出会ったときのドキドキが楽しくて、わたしは美術館に向かうのだと思います。