その日、私は埼玉県内の「羽生(はにゅう)駅」に降り立ちました。ベトナムマニアの筆者、ユルワがなぜ埼玉に?と思われた方もいるかも知れません。私はある目的を持って、この羽生市にやってきたのでした。
その目的とは、江戸時代から続く藍染の街、羽生で藍染の文化に触れて実際に体験すること。そして、そのきっかけが、ベトナムで旅したとある場所にあったのです。
それはわたしがベトナム北部、中国との国境近くの山岳地帯を訪れたときのこと。そこで暮らす少数民族「黒モン族」が身にまとう、濃紺の民族衣装に魅せられた私は、糸を辿るように藍染の世界に引き込まれていきました。
ベトナムから始まった「藍染をめぐる旅」が、日本の藍染という着地点に降り立ったのです。
サパでモン族の藍染に出合う
まずはベトナム北部の「サパ」でのお話から。観光客にも人気が高い山間にあるサパは、元は植民地時代のフランス人の避暑地だったことから、現在でもヨーロッパ人を含め世界各国から観光客が訪れる人気の観光地。
ハノイからの高速バスを降りるや否や、民族衣装姿のお土産売りの少女たちに取り囲まれるというのがお決まりのパターンになっています。世界各国語でモノを売ろうとする彼女たちの気迫に押され気味になりながらも、どことなくヨーロッパの雰囲気を残す街を歩いていきました。
噂には聞いていたけれど、実際に体験すると彼女たちはすごかった。ぜひ現地へ行ってそのすごさを体験していただきたいものです。
しかしながら、サパの本当の魅力は街中にはあるとはいえません。街を出て近郊の村へのトレッキングツアーに参加してみましょう。この辺りで暮らすモン族の人々の生活にじかに触れるチャンスです。
このトレッキングツアーというのが面白いもので、英語が堪能なガイドとしばらく歩いていると、途中で民族衣装姿のモン族のおばちゃんが合流してきます。
本来ならば彼女はこのツアーとは無関係。ツアーに同行して山道に不慣れな観光客のサポートをしてくれたりするのですが、最後にえらく高い値段で布小物を売るという「ビジネス」がおまけとなってついてきます。
どうやらこれがサパ特有の「ツアースタイル」のようで、ガイドも特に何も言いません。私は事前にネットで情報を得ていたのでさほど驚きませんでしたが、実際に濡れた坂道では転ばぬよう手を取ってくれたり、実際にモン族の文化に触れるきっかけになったりしたので、個人的には同行してくれて良かったと思います。
おばちゃんから買ったものはどう考えても高すぎるのですが、道中、色々良くしてくれたので、そのお礼もかねて払うことにしました。もちろんかなり値切りましたけれどね。
しかも、途中から他の観光客にくっついているモン族のおばちゃんや、乳飲み子を抱えた女性も加わって、少数民族の女性たちと山歩きという、なかなか面白い展開に。ユルワは少数民族マニアなので、実際に彼女たちとささやかながら交流が持てたのがうれしかったです。
そんな少数民族&観光客グループがある村に差し掛かった時、ガイドが口を開きました。モン族の家の前に植えられている植物がインディゴ、つまり藍染めの染料となるものだというのです。確かにその村に暮らす人やグループのおばちゃんたちは濃紺の布に身を包んでいました。
そう、彼女たちは自家製の藍染で衣装を作る「黒モン族」と呼ばれる人たちだったのです。
モン族は色とりどりの衣装の「花モン族」などさまざまなグループに分かれるのですが、藍染の生地に刺繍が施された衣装を着る人たちは「黒モン族」や「青モン族」と呼ばれています。
ちなみに民族衣装のインナーは普通のTシャツだったりします(笑)。
その時、1台のバイクが私たちの間を通り抜けていきました。運転していたのは黒モン族のおじちゃん。そのおじちゃんは藍染のジャケットをさらりと身にまとっていたのですが、その姿に私は目が釘付けに。ネイビー好きの私は、深い色合いの紺色に肌触りがよさそうな素材の上着に一目ぼれしてしまったのです。
サパの村で藍染が生み出す深い色合いに魅せられた私は、日本へ帰国してからもその思いを絶やすことなく持ち続け、藍染について色々調べてみました。
藍染について
深い色合いの青を生み出す「藍」はアジアだけではなく古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、そしてヨーロッパ世界の全世界的に見られる天然染料です。染料としてだけではなく、医療・化粧品などにも用いられたりするなどその使用範囲の広さに驚きます。
現在は安価の合成インディゴが主流となっているため、ベトナムの少数民族の村で見たように、自家製の藍と布を使って藍染を行う手仕事としての藍染は非常に少なくなりました。
ここでベトナムから日本に目を向けてみましょう。日本でも藍染が非常に盛んに行われてきました。
サッカーサポーターの方ならご存知、日本代表チームのユニフォームは「ジャパンブルー」と呼ばれていますが、その言葉の由来は、明治期に日本を訪れた外国人が、当時の日本人がよく着ていた藍染の着物や歌川広重の浮世絵で描かれた青色の美しさをたたえて用いたことにあると言います。
藍染の街「羽生」
他の国々と同様、合成藍の普及により天然藍による染物は衰退の道を歩んだのですが、ベトナムの少数民族の村で出合ったような伝統的な藍染は途絶えたわけではありませんでした。
調べていくうちに、東京から電車で2時間ほどの埼玉県羽生市で昔ながらの手法で藍染が続けられていると知り、ユルワはベトナムのサパから埼玉の羽生へと旅を続けていきました。
羽生の藍染の歴史は、江戸時代後半から羽生や近隣地域の農家の主婦たちが農閑期を利用して、家族の衣類を作り出したことから始まります。羽生だけではなく近隣の加須などでも同様に藍染が行われていました。
さらに調べてみると、現代にも生きる昔ながらの職人芸は、ベトナムのモン族のおばちゃんたちの藍染の手法と似ているのです。
古いスカーフが藍染で蘇る!
ここまで追いかけてきたら、実際に藍染を体験したくなってきました。羽生市内の創業1837年の老舗工房「武州中島紺屋」では、リーズナブルに藍染体験ができるということなのでサクッと体験予約を済ませました。
武州中島紺屋は、東武伊勢崎線羽生駅からタクシーで5分、徒歩で25分ほどの距離に位置します。昔ながらの門構えに感動し、更に目の前の排水溝の中も藍色に染まっていたのを見て、改めて藍染の街であることを実感しました。
体験コースは事前予約制で、ハンカチ、シルクショール、Tシャツなどを染めることができます。また、持ち込みもOKということだったので、ユルワは母から受け継いだシルクスカーフを持ち込みました。
スカーフは古くて、クリーニングでも落ちない汚れが目立っていたため、藍染の力でスカーフに再び命を吹き込みたかったのです。なお、素材によっては染まらないものもあるので、事前にウェブサイトで確認をお忘れなく。
さあ、いよいよ体験が始まります!
「シルクはよく染まりますよ」という職人さんに連れられて工房へ。藍染は藍の草を発酵させて染料を作るため、工房内には染料を溜めた「藍ガメ」が並んでいます
まずはスカーフを藍ガメの中へ入れて、そのまましばらく染料が染み込むまで待ちます。仕上がりに模様を入れたい場合は事前に輪ゴムなどで縛って模様をつくるのですが、ユルワはスカーフ全体を藍色に染めたかったので模様は無し。
シルクの繊維に藍がしみ込むようによく揉む必要があるのですが、藍ガメの深さは2mもあるので、一度落としたら拾えません。また自分も落ちないように注意が必要です。
一度スカーフを上げて、空気にさらします。藍は酸素に触れて発色するのです。更に濃く染めたい場合はもう一度藍ガメにつけて同じ作業を繰り返します。
いい感じに染まりました。最後にお湯や水ですすいで不要な染料を落としたら、アイロンをかけて乾燥させて出来上がり。何と所要時間30分以下という早ワザで藍染が完了。
藍染は繊維を丈夫にするだけではなく、虫よけにも効果的で色の美しさだけではなく実用性にも優れているそうです。奥が深いですね。
まとめ
今回ユルワは藍染という伝統的な手仕事を通して、ベトナムの山岳地帯と日本の埼玉とをつなぐ糸を見つけられた気がします。
伝統的な手工芸は手間がかかるため、日本だけではなくベトナムでもその数は減ってきています。サパで一緒にトレッキングをしたモン族の人たちも安価な輸入衣料などを着るようになってきています。それ自体は悪いことではありませんが、一方で彼女たちが伝統を守り続けてくれることを心から祈るばかりです。