ダークな雰囲気に包まれた、泣く子も黙る「KGB博物館」に行ってみた
リトアニア

こんにちは、ライターの新田です。私は6月上旬に、バルト3国に属するラトビアとリトアニアを訪れました。

今でこそEUに加盟し、順調に発展しているバルト3国。しかし、20世紀はバルト3国にとって苦難の時代でした。

今回は、バルト3国のうち、リトアニアにある「KGB博物館」を紹介します。

ソ連→ナチス・ドイツ→ソ連の占領を受けたリトアニア


リトアニアにとって20世紀はあまりにもつらい時代でした。リトアニアが今日のような独立国家になったのはいつでしょうか?

リトアニアがソビエト連邦から独立したのは1991年のこと。まだ、独立してから30年も経っていません。バルト3国はソ連→ナチス・ドイツ→ソ連の順に占領されました。

リトアニアが最初に独立したのは1920年のこと。第1次世界大戦とバルト3国を支配したロシア帝国の崩壊に乗じて独立したのです。しかし、独立時代は長くは続きませんでした。

1939年、ナチス・ドイツとソ連の間で「独ソ不可侵条約」が結ばれます。この条約には秘密条項があり、リトアニアがナチス・ドイツ(後にソ連)が占領することが決められていました。

1940年、エストニア、ラトビア、リトアニアはソ連に占領され、多くの人々がシベリアに追放されたのです。

KGB本部として使われていた頃の写真

第2次世界大戦が始まると、1941年にナチス・ドイツがバルト3国を占領しました。そして、1944年に再びソ連が再占領。以降、1991年までリトアニアはソ連を構成する一共和国の地位に甘んじていたのです。

ダークな雰囲気に包まれたKGB博物館(リトアニア・ヴィリニュス) 


最初に紹介するのはリトアニアの首都ヴィリニュスにあるKGB博物館です。KGB博物館の建物は国民を監視したKGB(国家保安委員会)の本部を使用。

館内は1階と地下に分かれています。1階はソ連占領時代の解説、地下は実際に使われた牢獄を展示しています。

さっそく、入場料を払って1階から見学しました。最初のブースはソ連が攻め込んできた1940年~1941年のブースです。

私を出迎えたのはバルト3国の占領を決めたソ連の指導者、スターリン! これはリトアニアで作られたカレンダーです。

さて、リトアニアを占領したソ連が最初にやったことは敵対勢力のシベリア追放でした。「敵対勢力」のレッテルを貼られたのは、知識人や少し小金を持っている農民の家族。つまり、子供も極寒のシベリアに追放されたのです。

人々はこのような貨車に詰め込まれました。中はトイレ替わりの穴がひとつ。何週間も立ちっぱなしの状態だったのです。もちろん、シベリアに着くまでに亡くなった方も大勢いました。

この写真はリトアニア人が住んでいたシベリアの村です。人々はシベリアで厳しい長時間労働を行いました。スターリンが亡くなった後、追放されたリトアニア人は母国に帰ることができました。

しかし、リトアニア当局は「敵対勢力」の帰還に乗り気でなく、シベリア追放者は帰国後もさまざまな差別を受けたのです。

リトアニアの人々は様々な方法でソ連の支配に「NO」を突きつけました。この写真は1972年、リトアニア第二の都市、カウナスで発生した暴動を捉えたものです。

このとき、一青年がソ連の抵抗を示すために焼身自殺しました。一見すると平和なデモに見えますが、このような悲劇的な出来事が起きていたのです。

1985年、ソ連の指導者にゴルバチョフが就任。「ペレストロイカ」をスローガンにソ連で大改革が行われました。リトアニアでは「改革」を飛び越え「独立」を目指す運動が盛んに行われました。

民警が取り囲む中、リトアニアの3色旗が目立ちます。リトアニアは1991年にようやく、ソ連から独立しました。

恐怖のKGB支配 


「泣く子も黙るKGB」と言われるほど、恐ろしかったKGB(国家保安委員会)。一体、彼らの活動の実際はどのようなものだったのでしょうか。

こちらの写真、パッと見ると視聴覚教室に見えますね。実は、この部屋では「敵対勢力」の盗聴を行っていたのです。具体的には人々の会話や電話をヘッドホンで盗み聞きし、全て記録にとっていました。

「盗聴されている人々」はいつもビクビクしながら生活しており、中にはノイローゼになってしまう人もいました。

盗聴し「こいつは危険、逮捕だ!」とKGBが判断したら、危険人物を地下の牢獄に収監しました。この牢獄が本当に不気味なのです。例えば、この不思議な部屋。

写真では少しわかりにくいですが、台の周りは水が入れられました。当然、冬になったら水は凍ります。囚人は台の上で耐えるしかないのです。KGBはこのような拷問を通じて、囚人から情報を得たのです。

こちらも拷問部屋です。とにかく狭いです! 1人がやっと入れるくらいです。この部屋に入ると、数時間立っていなければなりません。どれだけつらいことでしょう。

なお、1960年代~70年代にかけて「改善」され、椅子が設置されました。

これはシャワー室です。牢獄が設置された当初はシャワーを浴びることすら許されませんでした。この無機質な雰囲気が何とも言えません。

ところで、1階と地下牢獄を結ぶ階段は不思議な造りになっています。階段に「壁」があります。なぜ、このような「壁」があるのでしょうか?

これは絶望した囚人が自殺するのを防ぐためのもの。ソ連では「自殺」も「罪」になりました。

リトアニアのKGB博物館のポイントは 

リトアニアだけでなく、旧ソ連だった国々にはこのような博物館があります。私は2年前にウクライナ・リヴィウにある「占領博物館」に行きました。

さて、ヴィリニュスの「KGB博物館」のポイントは規模が大きいこと、そして英語解説が充実していることです。特に全てのパネルに英語があるので、ほかの「KGB博物館」と比べると理解しやすいと思います。

KGB博物館 (Genocido Auku Muziejus)
Auku g. 2A, Vilnius 01113, Lithuania
公式HPはこちら

「独立」ではなく「独立回復」

ところで、リトアニアをはじめとするバルト3国は1991年の「独立」を「独立回復」と表現しています。これは1920年~1940年の独立時代の継承に重きを置いているからです。なお、ロシアとは第2次世界大戦やソ連時代の歴史をめぐって今でも対立点が存在します。

この記事を書いた人

新田浩之

新田浩之鉄道&中東欧旅行研究家

1987年生まれ。神戸市在住。専門は鉄道と中東欧です。国内では鉄道系イベントの取材、国外では中欧、東欧、ロシアの歴史スポットを訪ね歩いています。

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