こんにちは、ライターの新田です。今回、ニュルンベルクを訪れたのですが、その理由はただ1つ! ニュルンベルクにあるドイツ鉄道ミュージアム(DBミュージアム)を訪れること。
一体どのようなミュージアムなのでしょうか? その魅力をご紹介します。
そもそも、ドイツ鉄道ミュージアムとは?
まず、ドイツ鉄道ミュージアムの概要を簡単に解説しましょう。
ドイツ鉄道ミュージアムはニュルンベルク交通博物館を構成する一博物館です。ドイツ鉄道ミュージアムの歴史は意外と古く、1899年のバイエルン王立鉄道博物館を前身としています。現在の建物が竣工したのは1925年のことです。
現在では、ニュルンベルクを代表する観光スポットに成長しました。ニュルンベルク中央駅からも歩いてアクセスできるので、ぜひ立ち寄ってみてください。
ドイツ以外の車両も展示されているドイツ鉄道ミュージアム
それでは、さっそくドイツ鉄道ミュージアムを紹介しましょう。このミュージアムにはドイツ以外の貴重な車両も展示されています。
まず注目したいのが、19世紀前半にイギリスで使われていた石炭車。こちらはイギリス以外で展示されている車両としては、世界最古のものです。
写真では少しわかりにくいですが、存在感がものすごくあります。特に車輪の大きさには驚きました。
ドイツ鉄道ミュージアムには数多くの蒸気機関車が展示されています。個人的に注目したのは1906年に製造された王立バイエルン鉄道のS2/6型蒸気機関車です。
この蒸気機関車は高速運転のために製造された試作車。たったの1両しか製造されませんでした。最高速度は150km/hも出たそうです。日本の蒸気機関車とは異なり無骨な印象を受けました。
今でも使えそうなお召し列車
ドイツ鉄道ミュージアムの目玉のひとつがお召し列車です。
まず、カラーリングに注目しましょう。一昔前に走っていた「ブルートレイン」を彷彿とさせる青色が目に染みます。そして、青がバックになっているので金色の装飾が本当に目立ちます。
このお召し列車はバイエルン王だったルートヴィヒ2世のために製造されました。ルートヴィヒ2世は日本人に人気のノイシュヴァンシュタイン城を築いたことで知られています。
彼の人生は悲惨そのものでしたが、城とお召し列車がこのように展示されているのが、せめてもの救いかもしれません。
マニアックなモノもたくさん!
ドイツ鉄道ミュージアムには車両だけでなく、その時代の鉄道事情がわかる資料もあります。そのひとつが1906年当時の鉄道時刻表です。私はドイツ語がわからないので、地名だけをピックアップして解読しました。
一番上にあるのがニュルンベルクからバイエルン州にあるシュヴァーバッハまでの時刻表です。当時は1日18本ほど、所要時間は約1時間でした。現在は1時間に3本ほど、所要時間は約20分です。鉄道の進化がわかる資料ですね。
個人的に見ごたえがあったDRの展示
個人的に最も興味深かったのがDR(ドイツ国営鉄道)の展示です。
ドイツを知っている方ですと「あれ、ドイツの鉄道はDBでは……」と思うでしょう。DRはドイツ民主共和国(東ドイツ)側の鉄道を運営していました。東西冷戦時代は国と同じく鉄道も2つに分かれたのです。
DRの車両は共産主義国家らしく、とにかく無骨なデザインが特徴です。その代表例がDRの電気機関車、250形です。この電気機関車は1970年代から1980年代にかけて製造されました。
よく見ると、日本の代表的的な電気機関車EF65に似ているような気もします。
ちなみに、こちらは西ドイツ側、DBの代表的な機関車、103系。東側とは全く異なる愛嬌たっぷりのデザインがたまりません。私は103系の大ファンなので、103系の模型も持っています。
さてさて、DRは意欲的な車両も作りました。それが、1970年代に製造された2階建て通勤型客車です。この模型の横には2階建て通勤型客車の宣伝ビデオが流されていました。
残念ながら、この客車はドイツではほとんど見られません。ところが、一昔前のルーマニアでは見られたそうです。もし、この2階建て客車がルーマニアに移籍した理由や背景を知っている方がいましたら、教えてください。
こちらは1980年代の東ドイツの壮大なプロジェクト、ムクラン(東ドイツ)~クライペダ(リトアニア)の鉄道フェリー計画です。
当時、リトアニアはソビエト連邦の一共和国だったので、東ドイツとソ連を直接結ぶ線として注目されたそうです。手前から2番目の人物は東ドイツの指導者、ホーネッカー国家評議会議長です。
1989年にベルリンの壁が崩壊、東西ドイツは「統一」へと進んでいきました。1994年、DRは消滅しDBに統一されました。
ところで、ベルリンの壁があった時は西ベルリンから東ドイツを通って西ドイツに至る列車はありました。しかし、東ドイツ領内の駅には止まりませんでした。
こちらは過渡期に使われたと考えられるベルリンとミュンヘンを結ぶ列車のサボです。サボには東ドイツのライプチヒ(Leipzig)と書かれてありました。おそらくライプチヒにきちんと止まったのでしょう。歴史を証明するサボだと思い、ひとりで興奮していました。