韓国の薄暗くてディープすぎる市場「チョノ市場」を散策する
韓国

人が集まるところに市場あり。韓国・ソウルにも大小さまざまな市場があります。観光客が集まる市場もあれば、アジア一の卸専門市場、週末ともなると家族連れであふれかえる市場もあります。

そんな様々な市場の中でも本日は、ソウル市内で1、2を争うディープな市場をご紹介したいと思います。

東の最果て千戸洞(천호동:チョノドン)

ご紹介する千戸(천호:チョノ)という場所はここです。

googlemapより

そう。ソウルの東の端。ソウルの端の端なんです。ここがソウルであることは忘れ去られてしまいそうな、そんな外れにあるコミュニティ。それが千戸(천호:チョノ)洞(ドン)です。

百済の都・風納土城。洪水によって脚光を浴びるという皮肉

はるか昔。この地にある文化が栄えていました。建国当時の百済です。今でも、百済の遺跡を多く見ることができます。千戸(천호:チョノ)には、王宮とも考えられる遺跡があります。風納土城(풍납토성:プンナプトソン)です。

しかしその後、百済は北の高句麗の攻撃から逃げるように南へ南へと遷都を繰り返します。そして南西の古都・ブヨでその歴史を閉じます。百済の都としての役割を終えたのち、千戸(천호:チョノ)は深い眠りに入ります。

その千戸(천호:チョノ)が再び登場するのは20世紀になってから。

1915年のソウル 朝鮮総督府発行地形図・国立国会図書館(日本)所蔵

1915年の地図です。当時、朝鮮半島の南東部の諸都市とソウルを結ぶ陸路は2つありました。メインとなったのは漢江の中洲を横断する経路。地図の左上から中洲を通って右下に流れている道がそれです。そして補助的に使われていたのが、広津(クァンジン)ルート。千戸(천호:チョノ)のあるところです。

1925年。漢江大洪水が起きます。洪水は漢江に面した町々に甚大な被害を及ぼしました。メインルートは壊滅。完全に復興するのは1970年代に入ってからだったという話もあります。

中洲を通るルートが壊滅状態に陥ったため、広津(クァンジン)ルートが注目を集めます。時は日本帝国時代。多くの資本家が朝鮮半島のあらゆる場所を開発しようと躍起になっていた時でした。

ソウルから地方都市に鉄道を作るなどという構想もあったようです。中洲ルートが使えなくなってしまったため、このような構想も千戸(천호:チョノ)側へと向いてくるのです。

1937年のソウル 朝鮮総督府発行地形図・国立国会図書館(日本)所蔵

しかし残念なことに、この構想は日本の敗戦とともに闇に葬られてしまいます。

朝鮮戦争によって一大コミュニティに

千戸(천호:チョノ)はその後、さらに不幸な出来事を通して発展します。それは朝鮮戦争。ある晩突然始まった金日成率いる人民軍の南下。多くの一般市民たちは、一夜にして戦争の恐怖に陥れられます。家族の手を引き、身の回りの物を担ぎ、とにかく流れに乗って南へ南へと逃げます。

今の北朝鮮側に住んでいた多くの家族もまた、こうして南下してきました。そして、その後二度と故郷に帰れなくなります。再び故郷に戻る前に国境線が引かれたからです。そんな取り残された人々が集まったのが千戸(천호:チョノ)です。

こうして千戸(천호:チョノ)は一大集落となってしまうのです。

ソウル最大規模の市場

故郷に戻れない人々が身を寄せ合い、ものを分け合い住むチョノドン千戸(천호:チョノ)。そこに、高度成長期にソウルを追い出された貧民や、再開発の犠牲になった人たちが移り住み、人口が膨れ上がります。

現在の千戸(천호:チョノ)駅の駅前は、地方の学生街のような雰囲気です。

これだけの道幅なのに信号がついていない。正面には「천호시장(チョノ市場)」という青い看板はあるものの、両側の店の看板と同化して見分けがつきません。

看板の下を通ると屋根付きの市場が。屋根のせいではあるけれど昼でも薄暗い市場は、マーケットのにぎやかさや威勢のよさとは無縁でそこはかとない哀愁が漂います。

とはいえ、さびれているわけではありません。

ソウル広しといえど、ここほど充実した市場はそうそうありません。野菜や肉、魚や総菜の店と総合スーパーだけで構成されているような市場が大勢を占める21世紀のソウルにあって、ここだけは80年代で時を止めているかのようでした。



隣接しているというよりも、つながっているといったほうがいい場所に新千戸市場があります。

かわいらしい、市場の看板を発見しました。なんと、3つの市場が合体していたんです。合体しているなら市場の名前は1つでもいいのではないだろうか……、そんなことを思ってしまいました。

ディープな市場の周りのディープな町

どこか業を背負っていそうな市場。市場の周りも散策しました。そうすると、ほかの地域ではみられないディープすぎる町が広がっていたのです。

まず現れたのはアンポンタン。豚のこぶくろを使った料理の店です(豚のこぶくろのことを韓国語でアンボンといいます)。併記されている別メニューは腸詰です。

この町、皮とか内臓系の料理を出す店が多いんです。

古びた旅館の甲板が乱立する路地。

再開発が進むソウルでは、もはやこんな路地ほとんどありません。こんなに歩道がガタガタしているのも、こんなに狭いのも、そして、こんなに安宿が乱立しているも……。

ソウルのアングラを見たかったら…

ソウルで1、2を争うほどの影のある街・千戸(チョノ:천호)。そこには、どこまでも影を背負う町が栄えていました。

千戸市場

この記事を書いた人

エナ

エナライター / エナツアー主催

横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの町歩きが大好きなネイリスト。ソウルの博物館、市場が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。

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