イタリアには、家具や家など、古いものを修理しながら使うという伝統があります。イタリアの古い家々は築500年を超えるものも珍しくありません。みんなリフォームして住むのが当たり前です。
フィレンツェには、なんと刑務所をリフォームして使っている場所があります。はるか昔、中世かルネッサンス時代に使われた刑務所でしょう?と思われましたか?
いいえ、そこはつい最近、1985年まで刑務所でした。現在は、人々が集うレストランやバール、住宅、オフィスになっています。
旧市街の修道院が刑務所に
世界中から観光客がやってくる賑やかなフィレンツェ大聖堂から、東へ1.5キロの道を歩いて20分、静かな住宅街の一画にレ・ムラーテがあります。
レ・ムラーテ(LE MURATE)とは「壁」のこと。由来は、1370年、この場所からほど近いルバコンテ橋(ヴェッキオ橋の東にある現在のグラッツィエ橋)の小さなあばら屋で、12人の修道女達は外に出ることのない「壁に囲まれた」閉鎖された中での祈りの生活を送ってたことにあると言われています。
修道女達の人数が増えたことに伴い、1424年に現在の場所に街の有力な銀行家の一人、ジョバンニ・ディ・ベンチが出費して現在の場所に修道院が作られました。ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチは、このベンチ家の娘、「ジネヴラ・ディ・ベンチの肖像」を描いています。
1883年から1985年の約100年間は、男性受刑者用の刑務所として使われました。刑務所はその後、フィレンツェ郊外に新しく建設された、ソリチャーノ刑務所の完成にともなって移転しました。
ギベリーナ通りに現在も壁に残る、サンタマリア・デッレ・ネーヴェ礼拝堂(雪のマリア礼拝堂)。この手前にレ・ムラーテの入り口があります。中に入ってみると四方を建物で囲まれた、サンタマリア・デッレ・ネーヴェ広場があります。
1999年から再開発プロジェクトが始まり、2004年に完成しました。このプロジェクトに参加したイタリア人の1人、レンツォ・ピアノは、日本の関西国際空港や、パリのポンピドゥー・センターの建築家としても有名です。
このレ・ムラーテには、住宅、カフェ、レストラン、本屋、旅行代理店、チケットオフィスなどがあります。
この通り抜けできる通りに面してオフィスや本屋があります。
実際に監獄オフィスで働く人にきいてみたよ!
レ・ムラーテの中には、エスクルージブ・コネクション旅行会社(EXCLUSIVE CONNECTION公式サイト)のオフィスがあります。フィレンツェを中心とした色々なツアーや、オプショナル観光も販売しています。広々としたオフィスの中を見せていただきました。
中に入ってみると、奥に深いつくりになっています。明るく塗られた壁も全く「刑務所感」がありません。よく見るとデスクは1つ1つパーテーションのように仕切られていますが、これはまさか……?
そう、この仕切りは、元の監房だったところ。厚い壁を取り除いて、まさに元の作りを再活用したパーテーションとなっています。1つ1つの区切りには窓がありますが、高い場所にあり鉄格子がはまっています。「監獄オフィス」で働く女性に聞いてみました。
と、あっけらかんと答えていただきました。さすがイタリア人、古いものには大変寛容です! そして、実際にオフィスはとても静かです!
色んな名残が!
周辺を歩いてみると、色んな名残があります。
刑務所のドアまで修復してしまうのがイタリア的ですね。
監獄レストランやカフェで食事してみよう
ラ・ムラーテにはレストランとカフェがあります。レストランの名前は、レ・カルチェリ(LE CARCERI公式サイト)「監獄」のこと!
中に入ると上の方に、「ムラーテ男子刑務所」の石版が。
ピッツェリアでもあるので、奥にはピザ窯もあります。
奥の方に見えるのはトイレのドア。先ほどのドアと似ているということは……?
窓の位置は高く、鉄格子が入っているので、刑務所感が満載!
食事よりも、軽くお茶でも!という方にはカフェもありますよ!
カフェ・レッテラリオ・ムラーテ(CAFE LETTERARIO公式サイト )
中では、地元のサッカーチームフィオレンティーナや、国際試合も見れます。若者が沢山利用するカフェ。この広場の木製ベンチも背もたれがついて面白いですね。
インフォメーション
大聖堂から歩いて20分程度。並行して通る、アーニョロ通りからもギベッリーナ通りの間に位置しています。どちらの通りからも入れますが、元々刑務所だったので、通り側からみると高い塀があり、中に入ると広場が開けています。