元祖「武士の鑑」、鎌倉御家人イチのイケメン「畠山重忠」の郷はこちらです ~嵐山町菅谷と鎌倉~
日本

元祖「武士の鑑」、鎌倉御家人イチのイケメン「畠山重忠」の郷はこちらです~嵐山町菅谷と鎌倉~

鎌倉時代きってのイケメンとは? 源頼朝が「武士の鑑」として寵愛した畠山重忠の魅力をたどってみましょう!

鎌倉以前

畠山重忠は1164年、現在の埼玉県深谷市畠山で生まれたと考えられています。父は畠山重能、母は三浦義明の娘。畠山氏は坂東八平氏のひとつ秩父氏の傍系で重能の時代に畠山の地を本拠地とした一族でした。母方の三浦氏も坂東八平氏の一つです。

1180年、頼朝が旗揚げした時、当時17歳の重忠は、京都にいた父・重能に代わって一族を率い、平家側として参戦します。その時、母方の祖父である三浦義明が守る衣笠城を攻め、その時、祖父・三浦義明は討死しています。

しかし、その後、畠山重忠は頼朝軍に加わります。木曽義仲と源頼朝との戦い「宇治川の戦い」では華々しい活躍を見せ、源平盛衰記には「青地の錦の直垂に、赤威の鎧を着た21歳」の畠山重忠が出てきます。

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↑鎌倉文化交流館に保存されいてる畠山重忠の甲冑

頼朝お気に入りの武士

畠山重忠は、源平合戦でも大活躍をします。一ノ谷の合戦の有名な鵯越の坂落としの時は、馬を背負って降りたというエピソードがあります。重忠は教養も深く、静御前が鶴岡八幡宮で舞った際には伴奏を担当しています。

そんなこんなで源頼朝は畠山重忠を非常に気に入ります。重忠ははじめ足立通元の娘と結婚し長男がいましたが、頼朝は自身の妻・政子の妹を猶子(名目上の養子)にしてから重忠と結婚させます。

鎌倉の中心部、八幡宮のすぐわきに畠山重忠館跡があることからも、頼朝の寵愛ぶりがうかがえます。

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埼玉県比企郡嵐山町~畠山重忠の本拠地

そんな畠山重忠ですが、彼の本拠地は現在の埼玉県にあります。『頼朝・頼家・実朝?いいえ、こちらは義賢・義仲・義高の三代です。嵐山町は歴史の宝庫でした』でご紹介した、源義賢の大蔵館からすぐのところです。

駅から歩くこと15分。「埼玉県立嵐山史跡の博物館」はまさに畠山重忠のための博物館です。彼の本拠地・菅谷館跡の上に立つ史跡の博物館は、入口のところからすでに鎌倉様式。

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街道からくぼんだ部分を越えるようにかかっている橋を渡ります。このくぼみ、館が攻め込まれないように作られた堀なんです。

立てかけられた看板にはこんな説明がありました。「二重土塁:菅谷館跡は、現在の国道254号線の下にあった自然の谷で形成された幅の広い低地によって城外と隔てられています。谷を臨む城跡の前面には、低い土塁と堀、さらに内側に高い土塁が築かれ、二重土塁となって守りを固めています。」 

内部は質素な造りの博物館ですが、当時の重忠の生活環境がよくわかります。

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秩父エリアの城郭分布図です。真ん中あたりに「菅谷」がありますが、ここが重忠の館です。重忠より後世の城もありますが、もともとの本拠地が枠外北側の深谷市であったことを考えると、家族・親族の本拠地がこのあたりに複雑に存在したことがうかがえます。親戚同士であっても無条件に信用できない、けれども、無駄な殺生はしたくない…そういう重忠の生き方がこの土地で育まれるのです。

博物館の裏手は史跡公開エリアです。

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↑二の廓(にのくるわ)跡や 土塁の跡

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館は若干高くなっていて、木々の間から、周りの田畑が一望できました。


同じ一族の河越氏の本拠地は入間川沿いのどこまでも平らな場所でしたが、畠山氏の本拠地は、自然をうまく使う守りに固い土地でした。鎌倉が天然の要塞の町であり町を囲む山も中心を通る道もすべて守るに易く攻めるに難しを実践しているように、鎌倉武士の鑑の館も守るに易く攻めるに難くつくられているようでした。

その後の畠山氏

そんな畠山重忠でしたが、頼朝の死後、勢力の拡大を恐れた北条時政と妻・牧の方の陰謀にかかり、嫡男・重保ともども葬られてしまいます。では、畠山氏はここで滅亡したのでしょうか? いいえ、北条政子の妹で重忠の妻が、足利義兼(源頼朝の従兄弟)の長男と結婚し、足利義純が「畠山」氏に実質婿入りするかたちで畠山氏を再興します。坂東八平氏から足利(源氏)となった畠山氏は、その後、室町時代の三管領の一つとなっていくのです。



●埼玉県立嵐山史跡の博物館

埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

開館時間:9:00-16:30

休館日:毎週月曜日、年末年始

この記事を書いた人

エナ

エナライター / エナツアー主催

横浜出身のソウルっ子。2000年から2002年、ワーホリ滞在。その後横浜での10年間を経て2011年、再度渡韓。本業は日本語教師。ソウルの博物館、市場、路地が主な生息地。普通の町を普通じゃなく感じさせるエナツアーなるものを企画していました。最近は日本家屋の残る町にはまり気味。現在は本業の都合でソウルと山の中にある地方都市との二重生活中です。ソウルの穴場のお店や、地方とソウルで生活しながら見えてきたものなどをブログやSNSなどで紹介するのが趣味。

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