世の中には、墓で生まれ、墓で育ち、墓で死にゆく人がいることを知っているだろうか。
約ひと月ほど前、ふらりとマニラの墓地に迷い込んだ私は、墓で生きる人々を目の当たりにして、身体中に電流が走るような衝撃を受けた。
死んだ人の居場所であるはずの「墓」。
墓地内に洗濯物が干されている日常風景を前にすると、うまく思考ができなかった。
しばらく呆然とした後に、「もしかして、ここで生活しているのだろうか・・・?」という、なんとか論理的に導き出された結論も、うまく呑み込むことができなかった。
信じられなかった。
常識を覆される、久しぶりのカルチャーショックだった。
「墓」から分かる文化と歴史
そもそも私は、各地の墓を巡るのが好きで、国内外を問わず新しい場所を訪れたら、なるべくお墓参りをするようにしている。
例えば国内でも、沖縄の墓では墓前の敷地は宴会ができるくらい非常に広くて驚かされた。
本当に宴会をするための敷地と聞いて、さらに驚いた。
バルセロナの墓は、街並みと同様にアーティスティックでかっこ良かった。
キューバの墓地では、意外にも日本人の墓があったが、あまりに汚かったので思わず掃除をしていたら、辺りが暗くなってきて、慌てて墓地を後にした。
墓からその土地を見てみると、また違った切り口で旅をすることができる。
大都会に残るマニラの墓
マニラという都市は、旅人の間では治安の悪さや観光資源の少なさからあまり評判の良い都市ではないようだ。
「だからこそ」と逆に行ってみたかった都市のひとつではあったが、本当に治安は悪そうなので墓地に行くことは無意識のうちに選択肢から外していた。
しかし引き寄せてしまうのか、街を散策しているといつの間にか全く意図していない場所にいて、すぐ近くに墓地があることに気がついてしまった。
「墓地はたいてい閑散としているし、ここはマニラだし・・・」と思い留まったが、少しだけ中を覗いてみると、子連れの市民の姿が何人も見えたので、入ってみることにした。
キリスト教を背景にしたマニラの墓は、実にユニークだった。
墓なのに教会なんじゃないかと思うくらい、大きな聖堂のような墓がある一方で、木の棒を交差させた十字架だけがぶっきらぼうにささっている墓もあった。
中でもユニークだったのは、カプセルホテルのような墓。
写真で見ると分かりやすいと思うが、彩り鮮やかでアート作品のような印象を受けた。
墓で生きる人々との出会い
そうやって好奇心を満たしながら墓地の奥に踏み込んで行くと、大きな墓で作られた影に休む人を見た。
はじめは清掃会社や墓石会社のスタッフだろうと思っていたが、墓と墓の間にロープを張ってそこに洗濯物が干されている遠くの光景がたまに目に入り、「あれ?」と疑問が湧いてきた。
あまり気にせず、奥に進む。
すると、遠くに煙が立っていた。
少し近づいてみると、焚き火を囲む家族、その横にトタン屋根の小屋があった。
常識が覆され始め、頭のなかが少し混乱し始めたが、「答えを確かめたい」という本能で足が動き、さらに近づいてみると、強烈な異臭に脳が突き刺された。
ゴミ山、南国の魚市場、ガンジス川の焼場など、今までいろいろな匂いを嗅いできたつもりだったが、こんなに強烈な匂いは初めてで胃の中のものがせり上がってきた。
青年2人、赤ちゃんを抱えたお母さん、老婆がこっちを見つめていた。
目の前の光景と異臭に感覚が狂わせられ、激しい動悸と悪寒に襲われていた私は、思わず目をそらした。
その場を立ち去りたいという衝動に足早に歩くも、その先には違う世帯の、同じような光景があった。
発展するマニラのビル群を背景にしたその光景は、私の目に刻み込まれるように強く焼き付いた。
墓で生きる理由
墓地の入り口の賑やかなエリアに戻ってきた私の頭の中は、ぐちゃぐちゃになっていた。
あの匂いはもう無くなっていたが、少し思い出すだけで吐き気がした。
後頭部をハンマーで強く叩かれたような衝撃を落ち着かせるために、木陰に座って整理した。
結論はどう考えてもたった1つ、「墓で暮らしている」。
「墓で暮らすとは?」
「赤ちゃんから高齢者までいたということは? ここで生まれてここで死ぬということ?」
「墓は死者のための場所では?」
そういえば、バイクタクシーが停まっていた。
父はここから出勤していくのだろう。
木陰でおっぱいをあげている母もいた。
「墓で暮らすとは、一体?」
時間が経つにつれて、ほんの少しずつ理解が進んできた。
ビジネス街などのマニラ中心部は発展が進み、スラムエリアが少ない。
かつての住居を奪われた人々の結論としては、当然の結果ではないのだろうか。
本人たちに聞かない限り、答えは謎のままだ。
社会からの断絶
その後、スコッター(Squatter、不法居住者)が多く住んでいるトンド地区に行ってみた。
確かにスラムエリアではあったが、そこには愛情と活気があった。
子どもたちがバスケットボールをして笑顔で盛り上がり、お母さんは大声で子どもを叱る。
なにを言っているか分からないが、おじさんは真面目な顔で立ち話をしている。
日本の下町情緒のようなあたたかさを感じた。
墓で見た光景で忘れられないのは、そこに生きる人々の瞳だった。
私の勝手な思い込みで大変失礼な話かもしれないが、輝きが失われた彼らの瞳の奥には、淋しさがあったように思う。
墓地には幾世帯かあったが、世帯によっては明らかに孤立していた。
マニラには多くの人がいるのにも関わらず、社会とは断絶して生活しているという事実に、悲しさがこみ上げてきた。
人はどういう形であれ、誰かと心が繋がっていないと自らの生に対して粗雑になってしまう。
幸せとはなにか?という普遍的なテーマを尋ねられたとき、私は「繋がり」が、そこに近い答えだと思っている。
世界中どこでも、「墓」は生きる人と死者とを繋ぐ大切な役目を持っている。
しかし、墓で生まれ墓で死ぬ人々に、繋がりという幸せはあるのだろうか。