人の心臓の音を聞くと、安心をおぼえることはありませんか?
トクッ トクッという、その人が今確かに生きていることを感じる音。それは人が生まれ持ち体内で息ひそめている、小さなアートだったりするのです。
これもまた、瀬戸内の話なのですが。
香川県は豊島の「心臓音のアーカイブ」。クリスチャン・ボルタンスキーというフランス人アーティストが行ったアートプロジェクトの作品が集められた小さな美術館です。彼のプロジェクトとは、“人々の心臓音を生きた証として収集する”というもの。
この美術館のメインは、ひと部屋のインスタレーション。
薄暗く奥行のある部屋に足を踏み入れると、響く無数の心音
鼓膜ではなく、神経で感じる鼓動
ドクン、ドクン、という紫色を思わせる生命の音
目をつむると体の全細胞がひとつひとつの音を体内に取り込む感覚
photo:http://www.benesse-artsite.jp/boltanski/portfolio.html
決して長時間はいることのできない空間でした。
たくさんの不揃いな心音を聞いていると、体の内側がざわついて、恐怖に近い気持ちの悪さをおぼえ、逃げ出したくなる。
と同時に、自分の生きている音を未だかつてないほどハッキリと感じた瞬間。
心臓音というアートによって、わたしは自分自身の生と真正面から向き合うこととなりました。
芸術鑑賞が教えてくれることは、「向き合う」ということ。
その対象は目の前の作品であったり、自分自身であったり、今回のように、もっと根源的な何かだったりもするようです。
豊島美術館もそうでしたが、“生きていることを感じるアート”というものがこの世にはあって。
体に語りかけてくるような、対〈身体〉という構造で鑑賞する芸術がこの世にはあって。
美しい海や空を見たときの感覚も同じことではないでしょうか。
ソレが何をするわけでもないのに、人の琴線に容赦なく触れて、感動や畏怖その他の言葉に表せない感情を湧き起こさせる力が自然物にはあるのだと思います。
わたしたちは、アートを観に美術館に行きます。
でも、もっと身近なこの体内にもアートと呼ぶに足るものがあって、もっと言えば人体そのものを美術館と呼ぶことができるのかもしれない。
昨今特に物議をかもすことも多い話ではありますが、わたしはそんな気がしています。
“生命で感じる生命のアート”が脈打つ「心臓音のアーカイブ」
美術館の目の前には『わたしは今生きてるんだな』って思うような、夏の海と空。