「1万人の人骨で装飾された教会」と聞いて、いったいどんな光景を想像するでしょうか。
「そんな場所が本当にあるの?」と思ってしまいますよね。想像しようと思っても、なかなか想像できるものではありません。
しかし、チェコのプラハ近郊にある世界遺産の街、クトナー・ホラには実際にそんな教会があるのです。世にも珍しい、人骨だらけの教会をご紹介します。
世界遺産の街、クトナー・ホラ
チェコの首都・プラハから東へおよそ65キロのところに位置する街、クトナー・ホラ。旧市街と、少し離れた「セドレツ」と呼ばれる地区が世界遺産に登録されています。
クトナー・ホラは13世紀に銀鉱脈が発見されたことで急速に発展。最盛期には当時のヨーロッパの銀の産出量の3分の1を占めるほどでした。
さらに、14世紀にはボヘミア王ヴァーツラフ2世によって王立造幣局が設立され、王国通貨の製造を担うようになり、さらなる隆盛を誇ります。
ところが、16世紀に入ると、銀の枯渇とともに急速に衰退、栄光は過去のものとなってしまいます。今ではすっかりのどかな地方都市といった趣。
その一方で、街に点在する壮麗な建造物を見れば、この小さな街がかつて並々ならぬ繁栄を誇っていたことが肌で感じられます。
クトナー・ホラの衝撃スポット、墓地教会(セドレツ納骨礼拝堂)
クトナー・ホラの観光スポットといえば、街のシンボル的存在である「聖バルバラ教会」が挙がることが多いのですが、ある意味ではそれより有名かもしれないスポットがあります。
それが、セドレツ地区にある「墓地教会(セドレツ納骨礼拝堂)」。一見こぢんまりとした何の変哲もない教会ですが、その内部には私たちの想像を超えた光景が広がっているのです。
1万人の人骨で装飾された礼拝堂
入口をくぐった瞬間、目に飛び込んでくるのが人骨で作られた装飾。いきなりこの光景に面食らいますが、これはほんの序章に過ぎません。心の準備をして、さらに奥へと進んでいきましょう。
礼拝堂の内部に足を踏み入れると、骨、骨、骨……壁も天井も、そこかしこが人骨で覆われています。
この教会に納められている人骨はなんと4万人分。そのうち1万人分の人骨を用いて、シャンデリアや紋章など、さまざまな装飾が施されているのです。
聖地ゆえに埋葬希望者が集結
では一体なぜ、ここにこれほど多くの人骨が集まったのでしょうか。
それは13世紀後半、セドレツの修道院長が、聖地エルサレムにあるゴルゴダの丘から持ち帰った土をこの地にまいたことに始まります。
それ以来、セドレツ墓地は聖地と見なされるようになり、ここへの埋葬を望む人たちの遺体が、中央ヨーロッパ各地から集まってきました。
教会が建設されたのは15世紀のこと。その後、大きくなりすぎた墓地の教会を縮小するため、教会の地下が納骨堂として使われるようになったのです。
かなり不気味、だけど芸術的!?
うず高く積み上げられた人骨、至近距離で並ぶ人骨……どこを見ても人骨のオンパレード。薄暗い空間のなかで繰り広げられるそんな光景はなかなか不気味で、奇妙な興奮と緊張感に包まれます。
しかしこの空間には、不気味なだけでは終わらない不思議な美しさがあるのです。
19世紀に墓地教会を購入したシュヴァルツェンベルク家の紋章をかたどった装飾。
人骨で作られた聖杯。
こうした大がかりな装飾は、1870年、シュヴァルツェンベルク家の依頼により、チェコの木彫師フランティシェク・リントが手掛けたものです。
すきまなく整然と積み上げられた人骨の山も圧巻。
日本人の感覚では「人骨を人目にさらすなんて」と思ってしまいがちですが、「死」というものは本来「生」と切っても切り離せないもの。
秩序正しくを飾られた人骨を見ていると、死者の魂がそこに宿っていて、しかもこうして飾られていることに喜んでいるような気さえしてくるのです。
一見奇想天外なこの礼拝堂は、死が誰にでも訪れる身近なものであること、そして限られた命を精一杯生きることの大切さを伝えているのかもしれません。
Zamecka 127, Kutna Hora – Sedlec, 284 03