ひとりの異邦人に引き寄せられるように、武蔵国未開の地に1,799人が移民してきました。漢字で「高麗」と書かれていれば、普通は「こうらい」と読むのではないでしょうか。今回ご紹介する高麗(こま)神社、わざわざ「こま」と読ませることに興味を惹かれます。現地でしか感じられない、謎めいた物語がありそうです。
渡来人の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)と高麗神社
かつての朝鮮半島北部に栄えた高句麗(こうくり)から、高麗王若光と共に、高句麗人1,799人が移民して、未開の武蔵国が開拓されました。その後、若光は716年に高麗郡の首長になりました。若光が当地で没した後、高麗郡民は徳を偲び、「高麗明神」として祀った経緯があり、1300年の歴史がある高麗神社です。
ひとつ目の鳥居をくぐった参道の右に、将軍標と呼ばれる2対の像があります。出入り口で、邪気の侵入を防ぐ魔除けとして、朝鮮半島の風習により造られたようです。かつての高句麗との関係の深い神社だとわかります。それぞれの像に描かれている顔を見ると、思わず……笑ってしまうほどユニークな表情をしています。
出世明神として知られるようになった高麗神社
若光の子孫が代々宮司を努め、現在の宮司で60代目になります。鳩山一郎氏らが参拝後、相次いで総理大臣になったことから「出世明神」と呼ばれるようになり、パワースポットとしても知られるようになりました。
風水で使われている、「龍脈」という言葉をご存知でしょうか。山脈の連なりを気の流れるルートと考えて、長野県諏訪から飯能や日高へ、巨大な龍脈が続いています。大きな龍脈上にあることから、高麗神社にも龍のエネルギー(気の流れ)が満ちているとされています。
知る人ぞ知る狛犬に挟まれるパワースポット
特に2匹の狛犬の間には、強い出世上昇運のパワーがみなぎっているとされています。心を落ち着けて、深く深呼吸すると龍脈のパワーをしっかり受け取ることができます。狛犬の間で立ち止まる人たちは、おそらく知っているのでしょう。
高麗神社本殿入口の門までせり出しているモミジが特徴的です。7:3分けのヘアースタイルに観えるのは、私だけでしょうか?
ぜひ観て頂きたいのが、寺社仏閣名を示す門の扁額(へんがく)です。「高」と「麗」の文字の間に、小さく「句」の文字が入っています。なぜ、こんな控えめに書き込まれているのでしょうね。これでは、高句麗(こうくり)神社ということになってしまいます。
本堂で参拝を済ませて、境内右側にある「ヒガン桜」に立ち寄りましょう。狛犬の間の次に、出世上昇運のパワーが強い場所と言われています。
そしてもっと若光について知るために、高麗神社を後にして、隣接する場所へ歩いて5分ほど移動します。
出世開運で知られる聖天院
聖天橋から望む外見からは、日本のお寺と変わらないように観えます。
若光は徳のある人格が慕われ、未開の土地を開拓した功績により、高麗郡の首長になりました。そのことから、こちらは若光の菩提寺として、出世開運のご利益があるとされています。
「天下大将軍・地下女将軍」の石柱(チャンスン)が建っていることから、日本の寺院との違いを再認識します。門の手前にある石灯籠は、東京芝増上寺のモノのようです。寺社仏閣巡りをしていると、あちらこちらで増上寺の石灯籠を見かけます。
聖天院の無料エリアへ
聖天院は、「無料で拝観できるエリア」と「有料で拝観できるエリア」があります。まずは無料エリアを見てみましょう。
楼閣のような雷門には、風神と雷神の巨像が安置されています。
雷神(左)と風神(右)は、とても迫力があります。
雷門の天井から赤い提灯が飾られています。
雷門を右に進むと、若光を祀る高麗王廟があります。前にあるヒツジの石像が印象的です。更に右に進むと、整備された高麗殿ノ池があり、左の雷門へ戻ると、弘法大師像があります。ココまでは、無料で拝見することができます。
有料エリアへの階段
雷門裏の階段を上がると、拝観料300円が必要になります。
中門にある受付所で拝観料を納めます。ご朱印を頂きたい人は、ココで一緒にお願いしましょう。
中門前にある手水舎(ちょうずや)には、龍と親子のカエルがいます。カエルは「幸福をもたらす」ということでしょうか。
中門をくぐると、良く手入れされた庭園が広がっています。そのなかで、目に止まったのが書院・庫裡にあるモミジです。淡い色に染まって可愛らしいですね。
武蔵野三十三観音霊場の第26番でもある、聖天院の阿弥陀堂です。モミジの色づきが待ち遠しい場所です。
庭園から見上げると、本堂がまだまだ上にあることに気づきます。
本堂へは、阿弥陀堂の横にある階段から上がるようです。
所々にあるモミジが、赤く色づいて、とても綺麗です。階段を上るリズムも、思わず軽くなります。
長い階段をあと少しで上がりきる場所で、見事な仁王像が出迎えてくれます。
聖天院の堂宇は当初から、現在の場所にあったわけではないようです。特に本堂の老朽化はひどかったので、裏山を整地して新しい本堂を建立とのことです。本堂脇には、福島県の有名な「三春の滝桜」が献木されています。「高麗神社」と「聖天院」は、桜の名所としても知られています。
「雪山」と呼ばれている岩
本堂の右にまわると、裏山を整地したときに出てきた凝灰岩(ぎょうかいがん)がむき出しになっています。当時、あまりにも白く見えたことや、その形が雪を懐いた山に似ているところから、「雪山」と呼んでいるようです。白っぽい岩なのですが、想像力を膨らませなければいけません。※凝灰岩とは、火山から噴出された火山灰が、地上や水中に堆積してできた岩石のこと。
こんな危険なガケに建てられていることを実感する本堂前
本堂を参拝していた時は気づきませんでしたが、京都の清水寺舞台のように険しい山に築いた寺院だということを、改めて感じた場所です。
本堂左の高麗王若光像のある鐘楼ですが、修繕中のために銅鐘が外されていました。通常、受付で申し出ると、銅鐘をつくことができるようです(1回100円)。機会があれば、銅鐘の音を聞いてみたいものです。
異国文化を感じる建物も
鐘楼を左に進むと、山腹を切り開いた細い道が続いています。第二次世界大戦の不幸な歴史での、在日韓民族無縁仏の慰霊塔があります。ココまでの聖天院は、どちらかと言うと高句麗カラーというよりも、日本の寺院のなかにいるような感覚がありましたが、異国文化を感じる場所のひとつです。
左にある八角形の建物は、どこかで見たような気がしたので調べてみると、ソウルのタプコル公園(旧パゴダ公園)にある八角亭に似ていますね。
その昔、高句麗の人々によって開拓された土地に築いた、「高麗神社と聖天院」を巡りました。高句麗の文化と日本の文化が、ミックスされた光景を観ることができました。できなかったことも含めて、また機会があれば訪れてみたいと思います。