「船の墓場」と呼ばれる場所をご存じだろうか。
中央アジアのウズベキスタンとカザフスタンにまたがるアラル海は、かつて世界で4番目に大きい湖だった。しかしソ連時代、湖に流れ込む河川の水を綿花畑に大量に使用したことなどが原因で湖水が一気に干上がり、漁船が取り残されてしまったのである。20世紀最大の環境破壊ともいわれ、湖は消滅の危機に瀕している。そんな荒廃したところへ、旅に出た。
Muinok
砂漠に住む少女たち
アラル海の名残を目指し、車でヌクスからムイナクへ向かった。道中で子どもたちが川へ水を汲みに行く姿を遠くに見ながら、砂に埋まった道を延々と進む。
こんな小さい女の子も。
今はもう少し便利に生活しているだろうか……。
砂漠の魚料理
途中でランチを取った。いったいこの砂漠地帯でどのようなメニューがあるのだろうと、胃腸が強い方ではない私が、楽しみと同時に不安を抱えながら慎重に選んだメニューは目玉焼きだった。
隣にあるラグマン(麺料理)は、同行した父が頼んだもの。中央にある丸いものはノン(パン)。他の地域で食べたノンよりかなり薄く平たい。
同行した通訳とガイドさんたちが頼んだもの。牛?または羊肉の煮込み。胃腸に配慮して、私は撮影のみ。
こちらはナマズ?のワイルドな素揚げ料理。自分のお腹と相談して、一口だけいただいた。いただいた量が少量だったせいか、なぜか味を全く覚えていない。そしてこれが理由かわからないが、帰りの飛行機で父と通訳がお腹を壊していた……。
砂漠に浮かぶ「墓場」
延々と続く砂だらけの車窓を見ていると、そこで生きる人々の逞しさに尊敬の念を感じると同時に、彼らは幸せなのだろうか、便利で物質的に恵まれた生活は幸せの条件になるのだろうか、幸福とはなんだろう……などと勝手に想像を巡らせながら数時間後、ようやく「墓場」に辿り着いた。
何もない広大な砂の中に、ぽっかり浮かぶ船たち。
水位の下落があまりにも急激だったため、その原因について当時は様々な憶測を生んだようだ。同行したガイドから聞いた話のひとつに、アラル海が近くにあるカスピ海と地下でつながっていて、ある日何らかの刺激によってアラル海の水がカスピ海に流れ込んだという、非現実的な説も噂されたようだ。実際は冒頭でも述べたように、ソ連時代に水を大量に必要とする綿花栽培がソ連政府によって促進され(コットン・モノカルチャー:綿花単一作物栽培とも呼ばれる)、それらに河川の水を使用した影響が主な原因のひとつといわれている。
近くにある歴史博物館にあった写真。
一度失われたものを回復することは難しい。また善悪の判断も立場によって大きく異なる。とにかく私は今、そしてこれから自分に何ができるのかを問い続けたいと思う。