フィレンツェの最高権力者であったメディチ家。1700年代までフィレンツェに君臨してきた一族のお墓があります。1500年代、当時法王として最高のスポンサーであったメディチ家+最高の芸術家ミケランジェロが創りだした作品が、サン・ロレンツォ教会メディチ家礼拝堂にあります。
外観は不思議な建物に見えますが、ここはサン・ロレンツォ教会の後陣部分にあたります。つまり、教会の一番奥の礼拝堂部分を後ろから入るようにして国立美術館扱いになっているというわけです。
6ユーロの入場券(2016年3月現在。特別展等があると自動的に入場料は値上げします)で中に入ってみましょう。
こんな体験ができます!
なんだか不思議な空間が広がっている、この1階部分がお墓になっています。
1階の大理石の床は、金属の柵で囲まれている部分が何箇所かあります。よく見るとメディチ家の人々の名前が彫られており、ここが本当のお墓だということがわかります。
ここでは通常、サン・ロレンツォ教会の宝である聖遺物が展示されています。
2階に上がってみましょう。
最初の空間は、君主の礼拝堂です。
1568年にメディチ家のコジモ1世が計画し、その次男であるフェルディナンド1世が工事を続けましたが、終わったのは今世紀のことでした。
そのまま次の部屋に進んでみましょう。新聖具室と呼ばれる部屋があります。
ミケランジェロが、1520年から14年間かけて建築と彫刻装飾も手がけた傑作が静かに置かれています。
上記はメディチ家で一番有名な大パトロンと謳われたロレンツォ豪華王と、その弟ジュリアーノのお墓です。
真ん中の聖母子像はミケランジェロが制作しましたが、左右の聖コジモと聖ダミアーノ像は弟子の作品と言われています。
ロレンツォ豪華王の息子にあたる、ヌムール公ジュリアーノと「夜」と「昼」
ロレンツォ豪華王の孫にあたるウルビーノ公ロレンツォと「さそがれ」と「あけぼの・オーロラ」
ロレンツォ豪華王の亡くなった後、1500年代初頭はフィレンツェにとって政治的に不安定な状況でした。
政変が起こり、10年間は共和国制となりました。共和国政府から注文を受けて制作したのが、あの有名なダヴィデ像です。
その後、ロレンツォ豪華王の息子レオーネ10世が法王となり14年間のメディチ家支配が復活。
カトリック教会最高の地位を得たレオーネ10世は、当時の最高の芸術家であるミケランジェロにメディチ家の霊廟制作を命じます。
しかし、また共和国制が3年間だけ復活し、霊廟建築は一時中断。しかし、再びメディチ家の復活。
レオーネ10世のいとこにあたるメディチ家のクレメンテ7世が法王になり製作続行が命じられます。
こうした複雑な政治状況の中で制作されたのが、この霊廟だったのです。
たとえこうした背景を知らずにきても、ここに来るたび、傑作だと感じると同時に、何か息が詰まるような、何か重苦しい雰囲気を感じ取ってしまいます。
皆さんも体感して下さいね。
さて、この礼拝堂にはトイレがあるのですが。
場所が無かったからなのか? 階段の途中にあります!
階段の手すりがドアに付いているのでよく見ないとわかりませんね。多くの観光客はびっくりします。
中に入ると結構スペースがありますよ。
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