2016年8月開催中のリオ・デ・ジャネイロオリンピック。南米大陸初の開催で世界中の注目が集まっていますね。
今からさかのぼること32年前。共産圏で初の冬季オリンピックが開かれました。
その開催地は、「サラエボ」。
今は消滅したユーゴスラビアという国家の一都市「サラエボ」は、多民族が共生する文化的に洗練された町でした。
しかしその後この町の名は、「オリンピック開催地」という輝かしいイメージではなく、そのわずか7年後に起きた民族紛争の激戦地「サラエボ」として、世界中のメディアに登場することとなりました。
今回はそんな「サラエボ」の現在を観光案内します。
サラエボの場所
サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都。
国内には、三つの主要民族が棲み分け(ボスニア系、クロアチア系、セルビア系)、国家の統治体制はボスニア系とクロアチア系住民が多く住む「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系が多く住む「スルプスカ共和国」からなる連合国家です。
そしてサラエボ自体、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、スルプルカ共和国とに分断されています。
実際に検問所や壁があるわけではないので、旅行者にはパッと見てどこが境界線なのかわかりづらいのが現状。
しかし例えば、連邦側から共和国側のバスターミナルまでタクシーに乗ると、ドライバーさんはあるところで突然車の上のタクシーの看板を車内にしまいます。それは、連邦側から来たと知られるのを避けるためだそうです。
このように、観光客の目にはわからなくとも、地元の人の暮らしの中ではその境界ははっきり意識されています。
ボスニア紛争中に受けた砲撃の跡は、赤く塗ってバラの花に見立てているため「サラエボローズ」と呼ばれる。
ディープなサラエボを体験出来るスポット
サラエボ観光についての基本的な情報は数多あるガイドブックに譲るとして、今回は知っているとより一層ディープなサラエボを体験出来るおすすめスポットをまとめてみました。
サラエボ市民の足”トラム”
サラエボに来たらぜひ一度は乗ってみてほしいのがトラム。
全部で7つの路線が運行されていますが、おすすめは3系統。
サラエボの町を東西に走る路線です。
この路線は紛争当時「スナイパー通り」と呼ばれていた通りを走ります。
今でこそ片側3車線のモダンな通りになりましたが、当時は通りに面する高層ビルに身を潜めた狙撃兵がこの通りを横切る人たちを狙い撃ちにした、まさに戦場。
両側には爆撃を受けて傷を負った建物が未だ残る場所でもあります。
しかし、トラムに乗って見える戦場は、なにも窓の外だけではないのです。
トラムはサラエボ市民の重要な足ですが、無賃乗車が後を絶ちません。
そのため係員による見回りが頻繁に行われています。
その係の人が乗って来る時、車内は戦場と化します。
無賃乗車の言い訳をする人、そのまま逃げてしまう人などがおり、騒然とした雰囲気になります。
はじめて見たときは何事かと思いましたが、どうやらこれがサラエボトラムのほぼ日常的光景のようです。
そんな戦いまでして払いたくない運賃っていったいいくらなんだ、と気になるところですが、肝心の運賃は1.6KM(≒92円/2016年8月現在)。
日本人の感覚からすると、それぐらい払えばいいのに、と思ってしまいますが、お金の問題というだけではない、より大きな大義のために市民は戦っているのでしょうか。
サラエボのトラムはオーストリア=ハンガリー帝国占領時代にできたもの。
命をつないだ”トンネル博物館(Tunnel of hope)”
そしてそのトラム3系統を終点まで乗ると、「トンネル博物館(Tunnel of hope)」に行くことができます。
トンネル博物館とは、1992年から1995年までセルビア軍勢力によりサラエボが包囲されていた時、食料や衣料品を運ぶために住民が自力で掘ったトンネルの跡です。
外から見てわからないように、トンネルは普通の民家の地下にあります。
家の外壁には攻撃を受けた後がそのまま残っている。
トンネルに入る前にビデオで当時の様子の説明があります。
それを見たあとにトンネルを歩くのは臨場感あふれる体験。
といっても、全長800メートルあるトンネルのうち、実際に見られるには25メートルのみ。
トンネル観光自体はあっという間に終わります。
トンネルの内部は狭いので身をかがめて歩かなければいけない。
短い時間で強い刺激を感じることができる観光地として、効率重視型の方におすすめ、と言いたいところですが、博物館が郊外に位置しているため少し歩きます。のんびりとその道のりを楽しめる方向きと言えるかもしれません。
Tuneli bb 1 Sarajevo, Bosnia&Hercegobina
行き方:街中を走っているトラム3番(鉄道方面行き)に乗って終点まで行く(約30分)。終点のすぐ横がバスターミナルになっていて、そこから32番のバスでまた終点まで(約10分)。そこから歩いて10分ほど。トラム&バス 各料金1.6KM(≒92円/2016年8月現在)バス停の左側に小さい橋があるのでそれを渡り、すぐ左に曲がる。住宅街をまっすぐ歩いていくと(約600m)、Tunelというサインがある。
凄惨な事件の記念館”GALERIJA 11/07/95″
そんな遠くまで行くのはちょっと、という方へのお勧めは、町の中心にある大聖堂真横の「1995年7月11日記念館」。
これは1995年7月11日に発生した「スレブレニッツァの虐殺」に関する博物館です。
スレブレニッツァの虐殺は、8,000人以上のボスニアに住むムスリム人がセルビア軍によって殺害された事件。
見どころは館内で常時流れている映像。
ボスニア紛争がどんなものだったか事前に知らなくても、これを見るとこの国で人々がどんな風に事態に直面し、生き残ろうとしたか、そしてこの出来事が今この国の人々にどのような影響を与えているのかを知るヒントになります。
展示されている写真の一枚一枚も見ごたえがあります。
廃墟のような建物の中にありますが、恐れずに足を踏み入れてみてください。
一見の価値あり。
GALERIJA 11/07/95
Trg Fra Grge Martića 2, Sarajevo 71000, Bosnia and Herzegovina
9:00 – 22:00
公式HPはhttp://galerija110795.ba/
サラエボ1のブレク屋さん”Sač “
サラエボのトルコ人街(バスチャルシア)はセンスのよいカフェやレストランが軒を連ねています。
その中でも一度は訪れてみてほしいお店が「Sač 」。
ここではバルカン半島一帯で広く普及している庶民的食べ物の一つ「ブレク(Burek)」を味わうことができます(サラエボのブレクは地域内でもおいしいことで有名)。
炭火焼き。外はパイ生地で、中身は牛肉・チーズ・ほうれん草・じゃがいもなどがあります。餃子の食感と似ていて、個人的に牛肉のブレクが美味しかったです。
頼めばブレクの上にサワークリームみたいなソースをかけてくれます。
100g単位で注文できます。肉ブレクだと1Kg12KM(≒690円/2016年8月現在)です。200g頼むとちょうどいい量だと思います。
「おすすめのブレク屋はどこ?」というわたしの質問に地元の人が口をそろえて挙げるのがこの店の名前です。
Bravadžiluk mali 2, Sarajevo 71000
8:30 – 20:00
サラエボ市民の”花月”
サラエボ市民が一番町に繰り出す夜。
それはなんと月曜日。日本の”花金”ならぬ”花月”です。
週明けからそんな激しく夜遊びして大丈夫なの、との心配は杞憂に終わります。
ほとんどの人が失業中なので、特に次の日を気にせず遊んでいるそうです。
ナイトクラブ等で催されるイベントの広告が町中に大量に貼られている。
陽気なサラエボ市民に会える”Kino Bosna”
元映画館(劇場)を改装したバー。
落ち着いて話すのには向いていない場所ですが(バルカンのバーはどこも向いていない)、その代わりにサラエボ市民の陽気で活気のある姿がここにはあります。
特に戦争関係の観光をした後で訪れると、そのコントラストに驚かされます。
ここで暮らす人々がどんな風に人生を楽しんでいるか、一度垣間見てください。
Alipasina 19, Sarajevo
個性派カフェ”Zlatna Riboca”
大聖堂や青空市場の近くにあるカフェ。
アンティーク家具で統一されたユニークな店内では、ボスニアン・コーヒーから自家製ジュース、バルカン地域の伝統的なお酒・ラキアまで幅広いチョイスを楽しめます。
しかしそれだけではありません。この店に訪れたらぜひ見てほしいのがトイレ。
どんな時も遊び心を忘れない精神に脱帽です。
次の人のために長居だけは注意してください。
Kaptol 5, Sarajevo 71000
8:00 – 3:00
人々の集まる公園
公園でチェスをするおじさんたちです。
サラエボの公園ではこのような光景も珍しくありません。
バルカン半島最大の映画祭”サラエボ国際映画祭”
サラエボでは毎年夏に国際映画祭があります。
審査員が意外と豪華。
サラエボの町にはいくつかのシネマコンプレックスと単館の映画館がある。
日本からサラエボに行くことは珍しいかもしれませんが、歴史を感じると同時に今のサラエボ市民の生活に触れることができるのは貴重で面白い体験です。ぜひこれを参考にして、一度行ってみてはいかがですか?