美術館は、出会いの場です。
もしかしたら、明日行く美術館に、運命の出会いがあるかもしれない。
当時小学生だったわたしは、美術館で運命の恋に落ちました。あれから10年、わたしは今も、再会を願っています。
船が二隻、海に浮かんでいるだけの港の絵でした。
ピンクの雲、太陽の黄色い光、伸びていく空の青さ、そしてそれが映る水面。
日の移りゆく様がとても美しい絵でした。
塗り重ねるのではなく、色をひとつずつ置いていく絵自体、とても新鮮だったんだと思います。
思えば、この恋からです、わたしが印象派に惹かれるようになったのは。
小学校の美術館見学だったと思います。
でもどこの美術館だったかも、常設展か企画展かもわからず、作者や作品名さえ覚えていなくて。
他の絵のことなんて何ひとつ覚えていないけれど、あの絵だけははっきりと頭に残っていました。
美術館によく足を運ぶようになってからは、いつもあの絵を探していた気がします。
もう一度ちゃんとあの絵を見たい。もう一度会いたいと思い続けて、10年。
もしかしたらあれは、生涯たった1度しか出会えない運命の相手だったのかもしれないなんていう少女漫画みたいなことさえ本気で思ったりしていました。
だけど、本当に運命の相手なら、奇跡は必ず起きて、また巡り合える。
突然、小学校の時の日記が出てきました。うわあ懐かしい!と手に取って、ぱっと開いたページに挟まっていたのは、原稿用紙。
美術館見学のレポートでした。自分の印象に残った絵について書いた作文でした。
綺麗と言えない小学生の字で、作文や縦書きのルールを破ってる箇所もあったりなんかして恥ずかしい作文。
だけど、おそらくわたしの想像で書かれた最後のひと段落は、我ながらいいなあなんて。
ポール・シニャック〈コンカルノー港〉
10年越しに知った作者と作品名を口の中で繰り返しながら検索にかけたときのドキドキ。
検索結果にあの絵が出てきたときの安堵感と昂揚感。
たとえそれがパソコンの画面を通してであってもまたあの絵を見れた嬉しさ。
やっぱり本物と、もう一度きちんと再会したいという願い。
なんだかいろんな感情が入り混じって、気づけば少しだけ涙ぐんでいました。
photo;ブリヂストン美術館
調べてわかったのは、あの絵は京橋の「ブリヂストン美術館」にいるということ。
でも、わたしはまだ会いに行ってはいません。まだシニャックのことを全然知らないから。
もっとちゃんとシニャックについて知って、点描画について知って、それから、ようやく会いに行けるのかなと思っています。
美術館は、出会いの場です。
堅苦しい息の詰まる場所なんかではなくて、ドキドキの詰まった空間なのです。
何気なく訪れた場所で、意外な出会いがあったりする。
そう思うと、やっぱりわくわくするんですよね。
だってまさか、小学校の美術館見学で運命の作品に出会うなんて思ってもみなかったわけで、そういうこともあるかもしれないよなあって。
わたしにとって美術館は、見に行く場所じゃあないのかもしれません。
会いに行く場所、なのかも。