日本は歴史ブームと聞いています。武器甲冑類に興味を示す若者や女性も多いとか?
イタリアには、日本国外で日本の武器甲冑の最大コレクターと言われる人物がいました。彼の名前はフレデリック・スティッベルト(1838-1906)。
日本が鎖国を解き、世界に開国を開いた時代に、多くの武器甲冑類が日本国外に流出します。彼は最初に日本の武器甲冑類を購入したひとりと言われていました。
スティッベルトの夢は、世界中で集めたコレクションで博物館をつくること。いったいどんな場所なのでしょうか?
莫大な遺産を引き継いだ男とは?
フレデリックは、1838年、イギリス人の父とイタリア人の母の間に生まれました。住んでいたのはフィレンツェですが、教育を受けたのはイギリスでした。
祖父は東インド会社の商人でもあったため、1859年フレデリックは成人した際、祖父の代から受け継いだ巨万の富を相続します。フレデリックは欧州やイスラムを旅をしながら美術や武器甲冑を収集していきました。
1849年にフレデリックの母親が購入した丘の上の邸宅を増築、改装して5万点にもおよぶコレクションを展示し始めます。それがスティッベルト博物館の始まりです。邸宅の外観は修復されて色々な家紋がかけられています。
旅する博物館
順路は1階から2階へと移動します。館内の最初の部屋。武器甲冑が有名な博物館ですが、絵画も沢山あります。
多くの武器甲冑美術館と違う点は、甲冑だけを展示するのではなく、実物大の人形を使った生き生きとした展示であること。
騎手の部屋に飾られた西洋甲冑。まるで今にも動き出しそうです。こちらの部屋には、メディチ家のコジモ1世の父、黒隊長のジョバンニの甲冑も展示してあります。
イスラムの部屋。部屋のテーマごとに、館内装飾もデザインが変わります。ひとりひとりの兵士は、アラブ系の顔。部屋を巡るとまるで世界を旅しているような感覚に陥ります。
ナポレオンの使用した服。こちらのインテリアはナポレオン時代の装飾になっています。
和洋折衷の扉。よくみると漆塗りが配置されています。
万博で日本を知る
2階は、この博物館でも特に有名な日本の甲冑の部屋があります。
フレデリックが遺産を相続した時代は、バラバラだったイタリアが統一され、日本では開国と明治維新を迎えた時代。そして、1867年のパリ万博など、武器甲冑を含む日本美術の展示が好評を得た時代でもあります。
空前のジャポニズム、日本ブームがやってきたのです。フレデリックもこうした万博に足を運ぶようになり、日本の武器甲冑に興味を持ち始めました。
開国とともに多くの日本美術が西洋に流出するようになり、フレデリックは相続した潤沢な資金をもとにコレクションをはじめました。
江戸期に作られた奇抜な変わり兜(かぶと)。動物や魚貝、昆虫など自然をモチーフにしており、職人の卓越した技術とセンスがうかがえます。
現代の私達から見ると、全く古さを感じない奇抜な兜が数多く展示されています。日本人独特の繊細さも伺われる芸術品です。こうした兜だけでも200頭! どれだけの資金が使われたのでしょうか?
刀剣類、なぎなた、根付など信じられない数のコレクションがあります。
いかがでしたか? 各部屋はいわゆる監視人がいないため、毎時間ごとに職員と回るシステムになっています。子供から大人まで楽しめるため、週末には親子連れも沢山来ますし、子供達の社会見学の場所でもあります。
街の喧騒から離れて、ゆったりとした時間を楽しむことが出来ます。
Via di Montughi, 9, 50139 Firenze FI, イタリア
行き方: フィレンツェ中央駅より公共バス28番、4番で40分程度。もしくは、駅前からタクシー利用で20分程度。
開館時間: 月・火・水 10時ー14時(入場13時まで) 金・土・日 10時ー18時(入場17時まで)木曜日は休館日。
入場料: 8ユーロ 子供(4-12歳)6ユーロ、 子供(3歳まで) 無料
※毎時間ごとに博物館の職員と館内を回るため、自由に各自見学は出来ません。館内の見学所要時間は1時間程度ですが、出口にはカフェもありますし、周囲の広々とした公園を楽しめます。
詳しくは、スティッベルト博物館公式HP(日本語)