1800年代後半のアメリカ西部開拓時代は、ゴールドラッシュと呼ばれ世界中から一獲千金を求めて人々がアメリカ西部に押し寄せて来ました。
現代とは違い、ガンマンやアウトロー達がいた、そんな時代に起こった悲劇があります。今でも、ホワイトレディと呼ばれる亡霊が西部のゴーストタウンに現れるという噂があります。
ホワイトレディとは、いったい誰なのでしょう? 悲しい歴史の中に消えた忘却のゴーストタウン……その謎に迫ります。
炭鉱の町、Helper(ヘルパー)の歴史
ユタ州・カーボン郡にヘルパーという人口2,000人あまりの町があります。1880年代、鉱山開発のためヨーロッパをはじめ日本や中国からたくさんの人々がやってきました。
鉄道の開通に伴い炭鉱の開発はピークとなり、ヘルパーの町近郊の鉄道沿いには小さな炭鉱町が次々と出来ました。
世界各地から希望を抱き、西部の荒れ地にやってきた男たちは、危険と隣り合わせの炭鉱採掘の仕事に従事し懸命に働きました。
男たちが命をかけて働いたお金を目当てに、サルーン(酒場)や売春場が次々と出来ました。
給料日には、泥と汗にまみれた男たちが洗濯じたてのパリッとしたシャツをさっそうと着こなし、酒と女を求めサルーンに出かけるのです。
写真は、1900年初頭から1976年まで実際に使用されていた建物です。
ホワイトレディの住んでいた町
ヘルパーの町から約5マイル(8㎞)西にあるスプリングキャニオン一帯には、当時11もの炭鉱町がありました。
鉄道が通り、人口が増えてきた町には学校・郵便局・警察所・病院など公共施設も建設され、そこで商売を始めるものも出始めます。スプリングキャニオンには、当時1,000人以上もの人々が生活していました。
こちらは病院跡。今では、このように朽ち果てています。
こちらは刑務所跡です。
建物の中はこのような感じです。
ここは当時この辺りで一番大きな商店でした。食料品をはじめ、日用雑貨・銃の火薬などあらゆるものが売られていました。
写真スプリングキャニオンにあるこの家は、ある男性が岩場を利用して作った家です。17年間もの長い間、1人でこの家に住んでいました。この場所から炭鉱の仕事に出かけたのです。
高原砂漠気候のこの辺りは、夏は40度近くになり、冬は-15度ほどにもなる厳しい場所です。岩場を利用した家はあちこちで見る事が出来ます。
写真に見える穴は石炭発掘現場への入口です。男たちは、命をかけて石炭を掘りだすためにこのような炭鉱入口に入っていきました。
悲しい出来事
第1の悲劇
スプリングキャニオンの炭鉱町の1つにLatudaという町がありました。そこでは、ホワイトレディと呼ばれた彼女とその家族も幸せに暮らしていました。
Liberty Fuel Companyに炭鉱夫として働いている夫を持つ彼女のお腹には新しい命が宿り、2人は生まれる子供のために一生懸命働きました。
そして、待望のかわいい赤ちゃんが生まれます。喜ぶ2人。しかし……幸せな生活は長くは続きません。
その日も、いつものように夫を仕事に送りだして愛しい赤ちゃんをあやしていた時、訃報が入ります。つい先ほど送りだした夫が、坑内事故に巻き込まれ亡くなったというのです。
彼女は、正気を失い、その場で倒れてしまいます。悲しみにくれた彼女は、しだいに理性を失いました。生きる希望を失い、可愛い我が子を川に投げ捨て殺めてしまいます。そして、自らも炭鉱会社の軒下で首をつります。
写真はその炭鉱会社の跡です。
その後……彼女たちの住んでいた家やその近郊に白い服を着たホワイトレディと呼ばれる幽霊が目撃されるようになります。
100年もの時は流れ、彼女が住んでいた家に、このホワイトレディの話を聞きつけた若者が、肝試しにやってきました。そこで彼らはホワイトレディを目撃します。
恐れおののいた彼らは、恐怖のあまりダイナマイトで彼らの家を吹き飛ばしてしまいます。
現在では、吹き飛ばされた家の後しか残っていませんが、悲しみのオーラが今も漂っています。
第2の悲劇
この辺りには当時100人程が、住居を構えていました。
ある夜、突然がけ崩れがおき、80名ほどの命を一瞬にして奪ってしまうという自然災害が起こります。今もなお当時のままの姿を見る事が出来ますが、悲しみの町は人々を恐怖に追いやります。
当時使われていたバケツが荒れ地に投げ捨てられています。
1929年から1933年に起こった世界恐慌のあおりを受け炭鉱事業は徐々に縮小され、1970年代にはスプリングキャニオンに居た1,000人程の住人は1人も居なくなりました。
歴史の片隅に追いやられてしまった悲しい時代、滅亡した町、消えた人々……このゴーストタウンで今も漂っているといわれるホワイトレディは歴史の証言者なのかもしれません。