台北で台湾のことについて知りたいと思った時は、どこへ行けばいいでしょう?
歴史について知りたければ国立台湾博物館などへ行くのが良いでしょうし、美術についてなら台北市立美術館などいいかもしれません。
ではもし、台湾の原住民について知りたいと思ったら?
その時はぜひ故宮博物院から徒歩5分程のところにある「順益台湾原住民博物館」を訪れてみてはいかがでしょう?
九族文化村や台灣原住民文化園區のように大規模かつ体験型というわけではありませんが、小さいながらも原住民に関する色々な展示物がありますよ。
また順益台湾原住民博物館をオススメしたい理由がもう一つありまして、実はこちらの博物館、台北在住している日本人による展示物のガイドを聞くことができます。
どうしてそんなことを知っているかって?
実は私が、日本人スタッフとしてここで原住民に関するガイドをさせていただいているからです。
というわけで今回は、日本人スタッフである私どもから、順益台湾原住民博物館の見どころとオススメ情報をお伝えさせていただこうと思います。
上の写真も展示物と関係がありますので、どうぞ最後までお付き合いくださいね!
台湾の原住民とは?
まずは台湾原住民とはいったいどのような民族なのか? ということについて。
「原住民」と聞いて、この単語に違和感を覚えた方もいるのではないでしょうか? というのも日本では「先住民」という言い方のほうがよく使用されるためです。
これには理由があって、中国語だと「先住民」と「原住民」は単語のニュアンスが少々異なり、前者だとすでに存在しないものと言う意味になってしまいます。
というわけで、今回説明をするにあたり台湾での言い方に則り「原住民」という表現を使用させて頂くことを、予めお伝えしておきます。
台湾の原住民族ですが、2019年2月現在、全部で16族が台湾政府より台湾の原住民族として認定されています。
あれ、9族じゃないの……? と疑問に思うかも知れませんが、それは九族文化村が創業を開始したのは1986年、邵(サオ)族が第10番目の原住民族として認定を受けたのが2001年とタイムラグがあるためです。
その後2014年までに6つの部族が台湾政府から原住民の認定を受け、現在の16部族となりました。
日本統治時代の台湾で起きた原住民の抗日暴動事件を主題とし、日本でも公開された映画「賽德克・巴萊」(邦題セデック・バレ。2011年公開)に登場する賽德克(セデック)族が原住民として認定されたのが2008年ということですから、台湾原住民族の立場がより明確になり始めたのが、比較的近年に入ってからであることが伺えます。
そうした流れから、今後も政府によって承認される部族が増えていく可能性もあるわけです。
台湾の原住民は居住しているエリアによって、大きく二つに分かれます。「高山族」と「平埔族」です。
高山族は台湾の山岳部を中心に居住している原住民の方々を指す呼び方で、対する平埔族は、平地に分布している原住民の方々の総称です。
ちなみに誰が最初にこの分類を行ったのかというと、なんと日本統治時代に台湾にやってきた日本人学者、伊能嘉矩(いのうかのり)さんという人だったりします。
原住民は各部族で使用されている言葉が異なるのですが、特にそれを習得してもいない日本人が一体全体どうやって調査をしたの!? と思いませんか?
どうやってコミュニケーションを取ったかという話については、また後ほど……。
またこの呼び方は彼らの居住するエリアを表すとともに、彼らの生活習慣における変化をも表しています。
「平埔族」は平地という比較的居住しやすいところに住んでいたため、後年そこに移住してきた漢民族との同化が進んでいくこととなります。これを「漢化」といいます。
原住民の一部族が台湾政府より部族として認められる条件に「原住民の一部族として独自の言語が使用されている」「祭事や生活様式など独自の習俗がある」というものがありますが、漢化が進んでしまった原住民族はこれら言語や習俗がすでに失われてしまったりもしているのです。
現在台湾政府から承認されている原住民族16部族のうち、宜蘭や花蓮に分布する噶瑪蘭(カバラン)族や日月潭に分布する邵(サオ)族は平埔族に分類されます。
順益台湾原住民博物館と館内の見どころについて
上の段でちょっと難しい話ばかりになってしまってすみません。それでは、各階のフロアとオススメ情報をどうぞ。
まず順益台湾原住民博物館ですが、建物のフロアは全部で4つ、地上1〜3階と地下1階です。
1階から紹介していきますと、1階は人と自然環境、2階は生活と器具、3階は各原住民部族の衣装と装飾品、そして地下1階は信仰と祭儀に関する展示がそれぞれ行われています。
1階の展示物について
順益台湾原住民博物館に足を踏み入れると、まず正面に台湾を中心にした世界地図が設置されています。
世界地図が表しているのは、言語学の観点から見た台湾原住民の位置づけです。
台湾原住民の言語は、オーストロネシア語族に分類されます。オーストロネシア語族の分布範囲はとても広く、東はイースター島、西はマダガスカル島まで広がっています。
中でも台湾原住民族の話す言葉は言語学において最も古い形を保持していると言われています。つまり、オーストロネシア言語を使うこの語族の分布は、ここ台湾から世界に広がっていったということです。
同じ語族の言語を使用しているフィリピンの方やインドネシアの方などが台湾原住民族の言葉を聞くと、この単語は大体意味が分かる、ということもあるそうです。
各部族の使用する言語を聞くことができるシステムもありますので、上記の言語を学習したことがある方は、分かるかどうかぜひ試しに聞いてみてくださいね!
一階右手奥に配置してあるのは、達悟(タオ)族が毎年4月〜7月掛けて行う、トビウオ漁に使用される船です。大きいものはチヌリクラン、小さいものはタタラと呼ばれます。館内に展示してあるのはタタラのほうです。
赤と白に華やかな装飾模様を描いた小舟ですが、これらはペンキを使っているわけではありません。白は貝殻、赤は赤土、黒は墨を原料にした塗料で彩色されています。そうして塗料を使って描かれている絵には、それぞれに大切な意味があります。
またこの船は釘などを使わず、校倉造のように木と木の形を組み合わせて作られています。結構間近で見られますので、木と木がどんな風に組み合わせてあるか、じっくり確かめてみてください。
タタラの反対側に設置されているのは、排灣(パイワン)族の石板です。
排灣(パイワン)族は貴族制度のある部族で、身分がそれぞれ頭目(一番偉い)、貴族、そして平民に分かれています。
この石板は頭目の家を表すために頭目の家の横に設置される石板です。
石板に彫刻されているのは占い師と二人の狩人で、狩人が占い師に狩猟に出てもいいかどうかを占ってもらっている風景がモチーフになっています。
占い師の周りを排灣(パイワン)族の守り神である百歩蛇(ひゃっぽだ)がぐるりと取り囲んでいるのが特徴的です。
余談ですがこの百歩蛇、2018年に台湾にロケに来たジャニーズJr.のKAT-TUNの皆さんが捕獲するというような話をしていましたね。無事会えたのでしょうか。
その他各部族の生活風景を撮影した写真や、各部族の歌う歌や演奏された楽器を鑑賞することができる設備もあります。
台湾原住民の方は、歌が上手な方が多いことで有名です。台北小巨蛋でコンサートを行い、観客のテンションが上がりすぎて近隣一体に地震(物理)を起こして住民から抗議を受けた張惠妹さんは阿美(アミ)族の出身だそうですよ。
こちらのコーナーでそんな彼らの歌声の素晴らしさを堪能して頂けたらと思います。
2階の展示物について
階段を上って2階へ行くと、1階よりずっと多くの展示物があるのに驚くかと思います。ここは、生活に関するものが展示されているエリアです。
日本人スタッフのオススメのものもたくさんありますので、ぜひゆっくりお楽しみください!
2階のフロアに入ってまず目に入るのは、ガラスケースに入った壺の群れ。この壺は、排灣(パイワン)族のものです。
これらの壺は口が小さく、とても実用的ではありません。これらは装飾品として作られたり、祭事用に用いられるものです。生活用品として作られている壺の展示もありますので、特長を比較してみてくださいね。
実用の壺の他に装飾用の壺が作られるのには理由があります。
排灣(パイワン)族の創世神話に彼らは壺から生まれたというものがあり、壺は神聖なものとして「排灣(パイワン)族の3つの宝」に数えられるためです。
主に頭目や貴族のうちに飾られ、その家の娘が結婚する時などは身分や家柄を表すものとして壺の縁を少し割砕いて与えたりしたそうです。上の写真の壺の縁が欠けているのはそうした習慣があるためですね。
ちなみ壺は「男壺」と「女壺」に分かれます。どんな壺が男壺で、どんな壺が女壺なのか? よくよく見ると分かりますので、ぜひ確かめてみてください。
また壺の左手側には、達悟(タオ)族の住居の模型があります。我々日本人スタッフのイチオシポイントの一つです。
達悟(タオ)族が新しく家を建てる時には、まず前方が海で後方が山になっている、緩やかな斜面を探す所から始めます。良い斜面が見つかったら、最初に排水設備をつくります。また住居の床には玉石を敷いて、雨が降ってもすぐに地面に浸透するようにします。
建物自体も地平面から極力出ないようにし、海を向いている側の屋根を長めにし、屋根の一番端も地平面より低くなるようにして、強風に耐え得るようにします。台風が多い地域ならではの工夫です。
この建物の構造、どこかで見たことがある気がしませんか? そう、日本の竪穴式住居と形状が似ているんです。
自分が学生だった頃には竪穴式住居がどうしてこの形状をしているかなどと考えたことがありませんでしたが、こうして達悟(タオ)族の家屋の構造などを見ていると、日本の建築物の構造についても改めて考えてみたくなるから不思議なものです。
これを機に、新たに勉強してみてもいいかもしれません。
2階の一番奥に設置されているのは、排灣(パイワン)族の石板スレート家屋の模型です。
模型の上にはスクリーンがあり、石板スレート家屋の彫刻についての説明や、排灣(パイワン)族が家屋を建てる時に守り神である百歩蛇が助けてくれた物語などをみることができます。
ムービーには最近日本語の字幕がつきました。排灣(パイワン)族が家を作るムービーがめちゃめちゃ可愛いので、ぜひ見てみていただきたいです。
石板スレート家屋の前には、アイヌ民族のマキリにも似た台湾原住民族の刀が展示されています。こちらの展示物も日本人スタッフオススメポイントのうちの一つです。
実は台湾原住民には元々文字がないのですが、刀の一つに明らかに文字が書かれているものがあります。しかもこの文字、明らかに私達が知っている文字でしょう?
こうした「私たち日本人が明らかに知っているものが原住民族の生活中に存在する」のは、台湾に日本に統治を受けた時代があるためです。
現代に至るまでその影響が残っているものもあって、例えば台湾の花蓮という所へいくと、台湾鉄道の車内放送に中国語、台湾語、客家語、英語の他阿美(アミ)族の言語の放送が流れるのですが、「吉安(ジーアン)」という駅に差し掛かった時、阿美(アミ)族語の放送ではこの「吉安」という駅の名前を「ヨシノ」と呼びます。
これは台湾の日本統治時代にこの駅の近く一帯が「吉野村(ヨシノムラ)」という村であったことに由来しています。
このように台湾原住民と日本との関わりを表すエピソードというのも結構ありますので、是非是非日本人スタッフに聞いてみてください。
また刀の向かいに展示されているのはキセルなのですが、このキセルも原住民の生活を知ることができる展示物のうちの一つです。
台湾原住民の生活において、タバコは老若男女の差なく楽しむことができるものでした(現在は違いますよ!)。それと同時に、社交的な面でも重要な役割を果たしていました。タバコを一緒に吸うという行為は、お互いが敵対関係ではないということを表す証でもあったためです。
上の項で日本人学者、伊能嘉矩(いのうかのり)さんのことについて書きましたが、台湾原住民の言葉の判らない彼がどのようにして台湾原住民の調査を進めていったのかというとその成功の鍵がこの「タバコ」だそうです。
原住民の集落に近づくときにキセルとタバコを用いて、まずは自分が敵ではないことを相手に知らせたそうです
まさかのタバコミュニケーション!!
上記2写真は順益台湾原住民博物館の展示物ではないのですが、烏来の泰雅(タイヤル)民族博物館に展示されているキセルをくわえたおばあさんの写真がめっちゃ格好いいのでどうぞご覧ください。
吸いニケーションという言葉で片付けてしまうとそれまでですが、実はこの吸いニケーション、割と命をかけたやり取りでもありました。
というのもかつて台湾原住民族には「出草」といって、首狩りの習慣があったためです。
出草に関する展示は地下1階にありますよ!
あ、ちなみに、石板スレート家屋の前に展示されている刀のうち、出草に使用された言われている刀もあります。
出草に使われた刀は一目でそれと分かるよう、とある目印が付いていますので、見分けてみてくださいね! ちょっと怖いけど……。
キセルのすぐ横に竹を2本くっつけたような形状のものがあります。こちらは私が当館でぜひ見ていただきたいものの一つです。
これは「鼻笛」といって、楽器の一つです。
どうやって吹くかという点については、後ろの写真をご覧ください。竹の先が男性の鼻の部分に当たっているのが分かるかと思います。
そう、この笛は鼻で吹きます。だから「鼻笛」です。
しかもこの笛、悲しい時に吹くのだそうです。
笛の音色を聞きたいと思ったら、笛の下にあるボタンを押してみてください。いかにも悲しい時に吹くような寂しげな音が鳴ります。
が、後ろの写真の絵面がどうしても悲しくなり切れない……。
ちなみにですが、鼻笛とは別に、ムックリ(アイヌ民族の口琴)のようなものも有ります。こうした具合にアイヌ民族と台湾原住民の文化を比較してみるのも面白いかと思います。
鼻笛と口琴は展示のみですが(口琴は物販で購入することが可能です)、木琴については地下に体験コーナーがあります。楽譜と歌詞もありますのでぜひ演奏に挑戦してみてくださいね!
3階の展示について
更に階段を上っていくと、台湾原住民の衣装が展示されているフロアに着きます。3階は衣装や装飾品に関するフロアです。
こちらのフロアは右の方から順に見ていって頂ければと思います。右の一番手前に展示されているのは、原住民族の衣装を作るための糸の作り方と機織り機の展示です。
機織り機の構造からも分かるかと思いますが、こちらの機織り機は基本的に真っ直ぐな布しか織ることができません。そうした都合、最もシンプルな衣装は長方形の布と布を合わせただけの貫頭衣です。
襟の部分が丸くなっているものもありますが、これは漢民族の影響を受けていると言われています。
衣装の中には、ボタンやビーズなどできれいに飾られたものがあります。
これらはもちろん装飾的な意味合いもありますが、交易の時に装飾を引きちぎってお金の代わりにしていたという側面もあります。
決して古いから装飾品が取れてしまったというわけではないのです。
現代ではこうした各原住民族伝統の衣装を身にまとうのは、祭事の時のみになってしまいました。
こちらは布農(ブヌン)族の衣装ですが、布農(ブヌン)族の男性の衣装の背中の部分には、帯のような形の赤い模様があります。
これは布農(ブヌン)族の祭と関係があるのですが、祭でこの衣装を着た男性が並んで輪になると、腰の部分の赤い模様が連なって、一つの輪のような形になります。
これは百歩蛇という守り神の蛇を表現しています。
祭りで輪になると一匹の蛇が現れるというのが、台湾原住民の部族の結束の強さをよく表しているように思えますね。
こうした衣装を作ったり布を織ったりすのは女性の仕事です。これができないと、一人前とは認められません。
できなくても隠しておけばいいじゃないかと思うかも知れませんが、そうもいかない理由があります。一人前と認められた女性は(男性もですが)顔に刺青を入れるからです。
結婚したという意味合いのものですが、ゴールデンカムイのアシリパさんのおばあさんも口の周りに刺青を入れていますよね。
男性と女性では刺青を入れる場所も違いますし、部族ごとに刺青を入れる位置も理由も異なります。
また刺青に関しても日本統治時代と関係のあるエピソードが色々あるので、そのことについてもぜひ、日本人スタッフを捕まえていろいろ聞いてみてください。
地下1階の展示について
最後に、3階からエレベーターを使って地下一階へ降りましょう。地下一階は台湾原住民各部族の信仰と祭儀に関するエリアです。
原住民部族が台湾政府に台湾原住民として認定される条件の一つに「祭事や習慣など独自の習俗がある」というものがあるだけあって、台湾原住民の祭事は部族ごとに異なります。
実は祭りと言っても、決してわいわい楽しむものばかりではありません。例えば展示物の一つに「賽夏(サイシャット)族」の「パスタアイ」というお祭りに関する展示物があります。
こちらのお祭りは、とても静かに行われます。というのもこちらのお祭りは「慰霊祭」であるからです。
賽夏(サイシャット)族の伝説にこのようなものが有ります。昔賽夏(サイシャット)族は「タアイ」という小人の種族に生活の知恵を教わりながら暮らしていました。
しかしある時ある誤解から賽夏(サイシャット)族とタアイは仲違いを起こしてしまいます。
賽夏(サイシャット)族はタアイが休憩場所にしていたびわの木を切り倒し、タアイを谷底に落として殺してしまいます。以降、部族に不幸が降りかかるようになってしまいます。
このことを深く後悔した賽夏(サイシャット)族は、びわの木を切り倒した時かろうじて逃げ延びた二人のタアイが指示した通り「パスタアイ」を執り行うようになったということです。
このお祭り、実は私達一般の観光客も参加することができます。当館の日本人スタッフにも参加したことがある人がいて、お祭りの厳かな雰囲気を味わって来たのだとか。
パスタアイの他にも色々なお祭りに関する展示物がありますので、どんなお祭りなおか、祭りが行われる時期、また参加できるかできないかなど、ぜひ当館で予習していってくださいね。
それともう一つ、地下一階の展示物で一押しのものがあります。それがこちら、達悟(タオ)族の兜です。
兜というと戦いの時に使われるものですが、達悟(タオ)族は平和を愛し、戦いを嫌う部族です。というわけで、これは戦いの時に使うものではありません。
では一体何のために使うのかというと、ここは信仰と祭儀のフロアですから、もちろん祭儀の時に使用されます。
達悟(タオ)族の兜は、アニト(悪霊)を退治する時に使用されます。顔をすっぽり覆う形をしているのは、悪霊に顔を見られないためだそうですよ。
笠上の兜にふたつ穴が開いているのは、そこから外部を見るためです。
実物ではありませんが、かぶってみるとこんな感じになります。
模型の兜は通常は保管庫にしまわれておりますので、これを被らずには帰れないと思われた方は、どうぞ、係の者までお申し出ください!