伊豆大島へと向かう東海汽船の船はいくつか存在します。
その中でも1986年から28年もの間、島と都心を結んだ「かめりあ丸」は、多くの島民や乗客に愛されてきました。
“Camellia-Maru” by E-190 – E-190‘s file. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
そんな「かめりあ丸」の当時事務長・富岡さんのインタビューを通じて、さらにその魅力に迫ります。
『自然で、深い。』
■今回の旅の達人 前田 芳美氏 千葉県出身。自然の中にいることが大好きで、心のままについ動いてしまうので、数あるあだ名の一つに、海藻がある。 幼い時、初めて舞台で歌ったのが、『大島アンコ』であったが、今回が、初めての伊豆大島。 |
(編集部注:この記事は2013年にインタビュー・執筆されたものです。)
今回のお話は、帰りの船から。
かめりあ丸で島を出ます。
船に乗り込む時に、何ともさわやかな笑顔で迎えてくれた、かめりあ丸、事務長の富岡さんに、お話を伺いました。
男前で、たくましい様子の富岡さん。
その筋肉は、何をして付けられたのですか?と質問すると、
「何でですかねぇ?分かりません。」と笑顔でおっしゃいました。
全長102mの大型客船・かめりあ丸は、夏場は三宅〜八丈間を走っているが、
それが終わって、ダイヤが変わり、さるびあ丸と入れ替わり、大島〜神津への航路を走る。
「昭和61年に竣工して、今年27才。人間で言うと、けっこうなお年寄り。」
「古いなりに良さがある。来年の6月に走らなくなるのもあって、
今、かめりあを見たい!というお客様も結構いらっしゃいます。」
「だから、来年、何年も顔を合わせた人達と、会えなくなると思うと、毎日引き締まります。」
「椿祭りの一番始めの日は、御輿のお客様を乗せます。東京からの御輿の団体です。」
「1月の終わりに、御輿の人間が、ばっと入って、それから祭りがスタートする。賑やかな祭りの一つですね。」
伊東出身の富岡さん。
お父様も船乗りだったそうで、小学生の頃、頑張って一人で、伊東の港に迎えに行っていたとのこと。
「だから、常に顔を出すと、乗組の人が、風呂入ってけよーとか、飯食ってけよーと声かけてくれて、お世話になりました。」
「入社した時も、年配の方が、小ちゃい時、見たことあるよー、なんて言って。」
透き通る大島の海。
「個人的には、八丈島や、新島もいいです。
八丈も、人の手が入っていない良さと、海の色も、他の新島、また沖縄などと違って、深さがある。昔、島流しがあった歴史など、魅力のつまった島です。」
「また、最近では、御蔵島が、特に若い人に人気です。イルカを見に。
出航率は、それほど良くないのに、リピーターが多いです。」
「舷門口で、島々から帰ってくるお客様をお迎えすると、だいたい疲れている方が多いのですが、
御蔵島から帰ってくるお客様は、皆さん笑顔でキラキラしている。」
「時間に少し余裕が必要なので、まだ、伊豆七島の魅力を知らない若い方々には、チャンスだと思います。」
帰りのルートは、大島から、ベイブリッジをくぐり横浜へ、→レインボーブリッジの下を通って竹芝へ。
この海を知り尽くした、乗組員の方々のおかげで、夜の海を楽しむことができ、船は埠頭へつながれました。
※このコンテンツは、tripro「旅の達人」を再編集したものです。